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彼女まで50cm、ロードムービーみたいな夜に



早田はやたが、俺の隣で泣いている。

量販店が建ち並ぶ国道。
県をまたいでも特段の変化はない。
利便性と画一化が仲良く手を繋いで、笑いながら個性を潰しにかかっている。
まるで心躍らない風景。

「私、ってダサいよね」
タオルハンカチを握りしめた手を、左右の頬に何度となく押し当てながら早田は言った。
「そうかな」
「そうだよ」
「失恋したら誰でも泣くんじゃない?」
瀬口せぐち君でも?」
「泣くと思うよ」
「それは嘘」
「ほんとだよ」

早田を泣かせたのは、俺の幼馴染の広見ひろみだ。
ふたりは、広見の一目惚れではじまり、広見の心変わりで終わった。
早田が泣いているかもしれないから、迎えに行ってやってくれと頼まれた。
「俺はもう優しくできないから」
と。
格好つけんなよと思ったし、悲劇ぶるなと言いたかったが、俺が実際に発したのは、
「わかった」
のひと言だった。

国道沿いの喫茶店の、だだっ広い駐車場に車を停め店内に入ると、早田が背中を丸くして座っていた。
正面にまわり「早田、」と呼ぶ。
時間をかけて顔を上げた早田は、家に帰りたいのに親が迎えに来てくれない子供のような目をしていた。
直ぐにここから連れ出してあげたくなり、
「とりあえず」
出よう、と言いかけたとき、「瀬口じゃない?」と声を掛けられた。
見ると、同じ高校だった岩下が、この店の制服を着て立っている。
「おー、久しぶり」
「おまえ変わってねえな! 遠目に見てもすぐわかったわ。何してんの?」
俺に話しかけながら、岩下はちらちらと早田を見た。
「あー、悪い。待ち合わせで来たんだけど、友達が調子悪くなったみたいで。今から送ってくわ」
嘘が簡単に口から出る。
「え、そうなの? 水とおしぼり持って来ようか?」
「いや、大丈夫ありがとう」
「お大事に」
すみません、と早田がぎりぎり聞き取れる声で呟いた。
「また来るわ」
「おう、またな。俺土日はだいたいこの時間から入ってるから」
岩下の言葉を聞いて、俺は安堵した。
広見は1時間近く前にこの店を出ている。
岩下は、早田が広見に振られるところは見ていないだろう。

「おじゃまします」
小さな声で律儀に言いながら、早田が助手席のドアを開けた。
時刻は午後6時をまわったところで、真夏のような昼の眩しさは影を潜め、もう窓を開けなくても、車内はすんなり冷房の微風で満たされる。
ハンドルに手をかけたまま、ここからどうしようかと少し考えた。
「腹減ってない?」
早田が一緒に飯を食いたいのは、当然俺ではない。わかっていても、早田をひとりで泣かせたくない。
「私がここに居るって、広見君が言ったの?」
「そう」
「可哀想だから行ってやってくれって?」
「心配してたよ」
「自分で何もする気がないなら、心配なんかしなきゃいいのに」
「仕方ないよ。あいつはそういう奴だから」
大真面目なつもりだったが、なぜか早田は少し笑った。
「そうだったね」
「あのさ、俺も別に早田のことを可哀想とは思ってないから」
「じゃあ、どうして来てくれたの?」
「え。車なら思いっきり泣けると思ったから」
それっきり早田が何も言わないので、ぱっと横を見ると泣いていた。
今は黙っておこうと決め前を向くと、
「お腹は、ちょっと空いてる」
流されたと思っていた質問の答えが、意外なタイミングで返ってきた。
「何食べようか」
「ラーメン」

国道から脇道にそれて、前を走る車たちが吸い寄せられるようにして入っていくラーメン屋に俺たちも入った。
早田は鶏油と煮干しの醤油ラーメンを、俺はどんぶりの縁にチャーシューが大胆に横たわった鶏塩ラーメンをそれぞれ注文した。
「美味しい」
ちゃんと感想を口に出しながら麺を啜る早田は思ったより平気そうに見えたけれど、半分ほど食べて急に、本当に急に泣きはじめた。店内にはあいみょんが流れていた。切実な息づかいが「恋をしたから」と繰り返し歌っている。
気付かないふりをするべきか迷いながら、しかしテーブルの上にあったティッシュペーパーの箱を掴んで、早田の真ん前に移動させた。
「ごめ……ありがと」
早田はそれから店を出るまで、咀嚼と嗚咽をひたすら繰り返した。

再び車を走らせて、40分経つ。
早田は泣きながらラーメンを完食して、店員から拍手をもらった。
俺は拍手なんて贈らないけど、失恋しても残さず飯を食う早田は、やっぱり俺の知る早田だった。
早田は強いんだよ、と、40分ほぼずっと泣いている早田に教えてやりたくなる。
たくさん泣ける早田だから、そんなこと俺に言われるまでもなく自覚しているのかもしれないけど。
Yogee New Wavesの『Climax Night』以降嗚咽が止まらなくなった早田は、大澤誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』が流れはじめるとタオルハンカチを目に押し当てたままになった。
狭い車内で今、俺だって置いて行かれたような気分でいる。
手を伸ばせば触れられる場所にいる早田の心は1ミリもここになくて、早田の心がちゃんと身体に戻るのを待っているだけの俺は、味のない国道と似たようなものかもしれない。
夜の中をひた走るこの車が、止まれば死んでしまうマグロみたいに思えた。


県境を過ぎてしばらく走ると現れたコンビニの駐車場に入った。
コンビニ特有の強力な照明に守られた駐車場でうかがい見た早田の目は予想通り赤かったけれど、トイレに行くと言うので、ふたりで店内へ入った。
ペットボトル飲料の陳列の前に並んで立っていたとき、
「本当に欲しいものがもう何処にも売ってない気がする」
鼻が詰まりきった声の早田が嘆いた。

車に戻って、ふたりでペットボトルを開けた。
さっきからずっと目的地がなかったことに今更のように気付いて、このまま海まで行こうかと考え、ルート検索するつもりでふと、スマホの日付に目をやると今日は7月7日だった。
「あ、七夕だ」
「えっ」
驚いた様子で早田もスマホの画面を覗きこむ。
「ほんとだ」
七夕に振られてしまったという事実が、改めて早田を傷付ける可能性を俺は恐れたが、
「じゃあ星見ないと!」
意外なほど明るい表情で、早田は俺のことも急かしながら車を出た。

ふたりで、街灯のないコンビニの裏を歩いた。
蛙が鳴く暗いあぜ道の途中で、立ち止まって空を見上げる。
「天の川は、さすがに見えないな」
「でも綺麗な星空だよ」
隣から聞こえるのは相変わらず鼻詰まりの声だったが、今は泣いてない気がした。

恋人たちのための夜空を、束の間、蚊に噛まれながら無言で眺める。
「どんな人なんだろ。瀬口君みたいな人を泣かせるのは」
「なに、俺みたいな人って」
「冷静」
どこが、と否定したかったが、やめた。
イメージなんてどうでもいい。
「早田が知らないだけだよ」
星を眺めながら答える。
そうかな、と呟いて早田はまた静かになった。
ちらりと目をやると、早田もやっぱり空を見上げている。

「なんか、またお腹空いてきちゃった」
あぜ道を戻りながら、早田があっけらかんとした声で言った。
「前から思ってたけど、よく食うよね」
「前から思ってたなら、今日指摘しないでよ」
「ごめん、」
ふたりで笑った。

再び入ったコンビニで、早田はツナマヨのおにぎりと、何故か「念のため」と言ってじゃがりこを買った。
本当は唐揚げも食べたかったと言うので、半分あげる約束で、コーヒーとともに俺が買った。

「瀬口君、今日は来てくれて本当にありがとう」
再び車に乗ると直ぐに、早田がしっかりとこっちを向いて言った。
「まあ、運転しかしてないけど」
「そんなことない。ねぇ、あの曲また聴きたい」
「どれ?」
「途方に暮れるやつと、そのひとつ前の曲」
「いいけど……早田、これ以上泣いたら脱水になるんじゃない?」
笑いながら言うと、
「飲み物まだあるから!」
と強く言い返してきた。

夜の分量が多過ぎる駐車場に、車が点々と停まっている。
唐揚げのにおいが充満した狭い車内で、早田はおにぎりを齧りながら『Climax Night』と『そして僕は途方に暮れる』を聴いたけれど、もうさっきまでのようには泣かなかった。

俺は少し嬉しくなって、このまま隣に早田を乗せて海まで行きたくなったけれど、それはまた今度でもいい気がする。
「知らないってことは可能性だよな」
「ん?」
信号に引っかかって、停車する。
しかし早田の表情を確かめる勇気はまだ全然なく、
「今度、午前中に迎え行くから海行こうよ」
と前を向いたままで誘った。
少し間が空いたけれど、
「いいね、行こう」
早田の声が返ってきた。
横を向いて、ちゃんと見る。
間違いなく、早田はまた泣く。広見のことを思い出して。
そんな夜が当分続くのかもしれないけど。
俺の視線に気付くと、早田は、ほんのちょっとだけ微笑んでくれた。
ただそれだけで舞い上がって、思わず俺は甘い夢を見る。








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