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きっかけ

数日前から「追憶」として、パートナーとの馴れ初めについて書き始めた。普段からペンを走らせることが苦手な私にとって、noteは些か便利過ぎる。このお手軽さに言葉が引っ張られないように気を付けていきたい。

趣旨としては、どうしても忘れたくない想い出を記しておこうというもので、所謂日記だ。幼い頃からこの類のものは全く続かなかったのだけれど、今のところ毎日更新している。毎日という縛りはないが負担でもない。長らくコンテンツを消費する側であったのでどこか不思議な感覚だ。

ただ、自分という人間について考えてみるとそもそもとてもお喋りで、X(旧Twitter)なんてほとんど感情の垂れ流しである。投稿によって感情を切り離す感覚がとてもたまらない。もちろんこちらはよりパブリックなので、全く同じとはいかないのだけれども。

パートナーについて、とても素敵な人だ。自分には彼女しかいないとそう思わせてくれる。普段なかなか断言できない私がこんなことを言うのは、彼女の言葉や行動がそれに相応しい勇気を与えてくれるからだ。世の中のほとんどが不確定性をはらんでいるにも関わらず不自然な断言に満ちているのが不思議でたまらなかったが、そんなことは理解しつつも誰もが小さな勇気を振り絞り腹を括っているのかもしれない。私にとってその後ろ盾はきっと彼女への信頼なのだろう。

心を奪われるとはよく言ったもので、彼女はいとも簡単に私のそれを独占した。発する言葉や素振り、表情も含めて彼女の世界観は心地良い。古くからの友人であると同時に、私にとっては最も信の置ける大切な親友だ。代わりなんて元からいない。溢れ続ける好きによってその枠すら疾うの昔に満たされてしまった。この人と死ぬまで幸せに生きていきたい。彼女が笑ってさえいれば私の世界は今日も平和なのだ。願わくば、今日もありったけの幸せが彼女に訪れますように。

ちなみにこのnoteの存在は把握されている。どんな感情で読んでいるか知る由もないが、嘘偽りなく彼女への想いと私の感情の起伏について綴っていこうと思う。


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