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わざと難しくする意味は、あるのだろうか?

「コンテクストの擦り合わせ」
という言葉をご存知でしょうか?

僕も舞台の世界に入るまで、
いや、もうちょっと経ってから知った言葉なんですが。

最近の実感ですが、どうも世の中、わざと色んなものを難しくしようとして、
このコンテクストの擦り合わせがうまくいかずに、

色んな誤解やストレスを生み出しているように感じます。

そんなに、難しくする必要があるんですかね?
ちょっとそんなことをつらつら、書き連ねてみようと思います。

そもそも、「コンテクストの擦り合わせ」って何?

僕の周りでの使い方ですが、
役者間や、演出家とのイメージの擦り合わせ、のことを、
コンテクストの擦り合わせ、といいます。

このコンテクストの擦り合わせって結構大事な作業で。
役者と演出家はもちろん、演出家とスタッフや、劇作家と演出家など、
各々の思っていることがズレていると、作品の完成度にかなり影響してきます。

これはどうやらビジネスや他の世界でもある用語のようで。
同じように、イメージの共有、という風に使われているようです。

確かに、ビジネスの世界でもイメージがずれてると困りますよね。

ハイコンテクストと、ローコンテクスト

加えて、そのコンテクストの中にも、
ハイコンテクストと、ローコンテクストという言葉があります。

要は、共有しにくい、多様性のあるものを「ハイコンテクスト」
シンプルで、共有しやすいものを「ローコンテクスト」

と、言うことが多いようです。

例えば、作品の世界で言うならば。

詩や、哲学的な作品、ピカソの絵とかは「ハイコンテクスト」な作品。
ライトノベルや、ハリウッド映画などは「ローコンテクスト」な作品。

となるのかな、と思います。

僕の関わっている舞台芸術の世界は、このハイコンテクストな作品が多いと感じるところが多々あります。

実際、こう見るとハイコンテクストな方が芸術的なイメージもありますし、玄人好みな感じがしますし、演劇的な賞を取っていくのは「ハイコンテクスト」な作品のイメージが強いです。

ハイコンテクストばかりになる意味

ハイコンテクストな作品は、その名の通り、多様性のあるものです。
色んな考え方ができるし、色んな想像を含んでいる作品が多いと思っています。

僕個人としては、こういった作品が嫌いなわけではないですし、
なんならダンスの公演とかはイメージを掻き立たせてくれるのでとても好きなのですが。
これは、あくまで玄人向けの作り方です。

要は、「難しい」のです。
元から知識があったり、見慣れている人でないと、そもそも理解すらできないものが多いのです。

「わかってくれる人だけわかってくれればいい」

と、言いそうな方が、ふと誰ともなく頭に思い浮かびましたがw
作品的にはそれでもいいのかもしれません。

しかし、その高尚なものがわかる人たちは、

「わからないのは、見るやつのセンスがないからだ」

と、いう思考に陥りがちに思えます。こちらからコンテクストを下げることができないのです。
そういう作品を、人生の1番最初に見てしまうと、

あぁ、舞台って難しいんだなぁ、、

と思ってしまって、その後一度も劇場に足を運ばない人とかがいます。
悲しいですよね。。
お客様とのコンテクストの擦り合わせが失敗しています。


ちょっと余談ですが。

そういう作品に関わり続けると、俳優もハイコンテクストな言葉ばかりを使うようになり、若い俳優にとってはプレッシャーになったりもします。

概ね、俳優教育の場面で、そういった現象は起こりがちだと思います。
ベテランの俳優さんが講師で、色んなことを言うのですが、生徒は何も理解できない。そもそも何を言っているのかわからない。
そんな生徒に講師は、

「わからないのは、お前らの勉強が足りないからだ」

とか言っちゃうわけですね。

いや、その勉強をしにきているんだから、こちらがコンテクストを落とさないといけないのです。

勉強が足りないのは、どちらなんでしょうね。


ビジネスの世界でも、
やっぱりこのハイコンテクストなやり取りを求める方が多い印象があり、
もっと簡単な言葉や気持ちで伝わることを、
わざわざ難しい言葉を多用して、
どんどん難しくしてしまう傾向があるなと、感じています。

全ての方がそうではないのですが、わからない人を下に見ていたり、少し悲しい関係になっている印象があります。

自分が専門家であることを自負したいのか、相手に対して優位性を取りたいのか。
どちらにせよ、カッコ悪いですね。。。

ローコンテクストなやりとりを心がけたい

僕は、もっとローコンテクストなやりとりが増えればいいなと思っています。

本で読んだ話ですが、
言語がそもそも伝わらない外国人同士で、あったりしたら、ハイコンテクストなやりとりなどそもそもできません。
そして、更に、すぐに成果を出さなければならない状況だとしたら。
相手の文化を理解してから、ハイコンテクストなやりとりをしよう、何てやっていたら、そもそも話が進みません。

自然とストレートで、文脈の低い、ローコンテクストなやりとりが増えてきます。
すると、ストレスなく、円滑に仕事が進むというのです。

コンテクストの擦り合わせがうまくいっているので、一つの場所にしっかり向かえる、ということですよね。

作品の世界でもそういうことがあります。

変に難しい言葉を並べたり、複雑な表情を駆使しなくても、
ただ大きな声で単純な言葉を叫んだ方が伝わることもあります。

そんな雑なw

と、思われそうですが。僕はそういう方がわかりやすくて好きです。

もちろん、それで全ての方に良いと言われるとは思っていませんが、
コンテクストの擦り合わせはしやすいんだろうな、と思ってます。

ローコンテクストの言葉の中から、最高の言葉を紡ぎ出せれば、いいですよね。

ビジネスの世界でも、できるだけ難しい言葉を使わずに、
みんながわかりやすい言葉を使えるように心掛けたいですね。
わからないと言われたら、わかるように説明するしかないのですから。
伝える側のコンテクストの調整は、必要だと思います。

と、

これを言うと伝えられる側が怠惰になる傾向があります。

が、「全て相手にどうにかしてもらおう」は無しです。

わかるように努力することも、もちろん大事です。

コンテクストの擦り合わせは、

双方のコンテクストを合わせる

というのが大事になります。

ローと言っても、限度はあるので、、、
お互いがお互いを思いやる気持ちが、大事ですよね。

必要なハイコンテクストを残して、齟齬のない、優しい世界に

ここまでハイコンテクストなやりとりを否定すると、全てがローなやりとりになりそうですが、それはまずいです。

専門的な分野など、一般の人が簡単に理解できないようにする、というものもある程度は必要だと思っています。
そのハイコンテクストが、人のためになることもあると思うからです。

お医者様なんかがいい例ですかね。
みんながみんな、医学のことを完全に理解できて、自己診断できるような世の中になってしまったら、、、

色んな事件や事故が起こりそうです。

ハイコンテクストなやりとりは、もちろん必要です。

でも、それは最低限にして、齟齬が起こらない優しい世界ができるといいですよね。

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