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徒然エッセイ⑥アドバイスする者の責任

以前、私は職場の年下の同僚で三十歳くらいの女性職員から相談を受けた。彼女は独身で学歴は高卒だった。
彼女は「大学に行き、学歴を得たい」とのことだった。希望の学部を訊いてみると、文化人類学を学びたいとのことだった。
私がそのときすぐに考えたのは、彼女の年齢だった。彼女は子供がいない。私は、結婚して子供を産んだほうがいいのではないか、と思ってしまった。
それに、彼女は絵を描いたり物語を書いたりすることが好きだということは以前から聞いていて、彼女の口から始めて「文化人類学」という言葉が出たので、その学問のことをどれだけ知っているのだろうかと、その決意みたいなものを私は疑ってしまった。
そこで、私は言った。
「文学部系の学部なら、本をたくさん読めば足りると思うよ」
これは私自身が文学部を出ていたので、例えば小説家で大成している人は必ずしも文学部を出ているわけではないので、本心から思ったことだ。
しかし、それは大学を出ている私の考えだ。
大学に行っていない人から見ると、学問が好きならば大学は未知の魅力に溢れた場所に違いない。
もし、私の言葉で彼女が大学を諦めたのだとしたら、申し訳ないと思っている。

私は社会福祉士の資格を持っていて、その仕事は困っている人の相談援助が主だ。
しかし、上記のアドバイスをしたときは、まだ資格を得ていないときだった。
相談援助の技術として、バイステックの7原則というのがあり、そのひとつに「自己決定」というものがある。上記の女性に対する私のアドバイスはこの「自己決定」、つまり本人が自分で決めるように促すことができていなかった。
相談というものは世界中のあらゆる所で行われていると思う。
相談を受けると、人は相談者を上から目線で見る傾向があると思う。相談する側からすれば、自分の選ぶ道を示して欲しい、という思いがあり、その反対に相談を受ける側とすれば、相手の進む道を自分が決めることができる、という優越感のようなものを感じると思う。
そこで、私が思うのは、相談を受ける側は、相手と同じ目線に立ち共に考えることが重要だと思う。そして、相談する側は、「最後に決めるのは自分だ」という意識を忘れてはならないと思う。
アドバイスする者の責任は重大だが、相談者の進路を決めてしまうのは責任が重すぎる。
それに決定権はアドバイスする者にはない。
相談をするときも、受けるときも、決断するのは相談者自身であることを常に頭に入れて置かねばならない。

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