観劇記録 麻布演劇市「真情あふるる警告たち」

麻布演劇市「真情あふるる警告たち」
2021.09.12 13:00回

 2部構成になっており、また敢えて一本の物語にしない事で「幾つもの生活」を産み出している。「この世界の〜」的な印象を避けての事と思われるが、テンポよくショートショートで構成されている前半は見易かった。
 さらに服装や名前でキャラクターを立てない……全員がモブであることでフィクション性を排除している(何でもいいが、ひとりスラックスじゃないのは何なんだろう)。ただ胸に付けた薔薇と思われる花は「生きる」ことに対する情熱の暗喩だろうと思われるが、いまいち効いていない気がする。

 その当時に実在した幾つもの「日々」と言う物語があり、それを魅せる事には成功していると思われる。キャラではないモブとして、名前のない存在が板の上で生きる。その事により現実味のある雰囲気を産み出している。
 「暮らしの手帖」に寄せられた投稿である、と言う主題なのでこの様な日々が1500通も寄せられた事を想像できるし、投稿されなかったがそこに存在した日々が、生活がいくつもあったのだろうと想像できる。

 しかし残念に思うのは空腹に対する危機感がどうにも薄く見えてしまうことだ。まぁ、まさか役者に喰うな、痩せろとは言えない。ただそれにしても「空腹」という絶望に対する差し迫った気を感じ無いのは少し残念である。
 食糧の無さ、それをやや牧歌的な話として片付けて良い事では無いと思うが、悲惨さとのバランスを考慮した結果かも知れない。あまり悲惨一辺倒では説教臭くなりやすいのだろうか。
 尚、アマチュア格闘技者として減量中の身なので空腹に対しては敏感である。腹いっぱいのカレーライスを食べたい(それは自己の選択であって状況では無いのだが!)。

 喰うものが無い絶望の中で配給された豆腐や乾燥トウモロコシなどが有難いのか、それに対して怒っているのか、それともそんな余裕すら無いのかを感じ取れなかった。
 ただ塩鮭に関しては妻のマイムが何かわからないが、その気配から冷たい怒りにも似た諦めの様なものを感じた。


 前半のテンポが良かっただけに、後半はやや長めに感じられた。
 軍用犬の話では最後に見せる犬の写真が椅子の影になってしまっているのが勿体ない。椅子が中央である必然性は無いので、残念に感じられた。
 影と言えば最終場面で使う豆電球の為に、常にスクリーンに細い影が被さっていて、これもまた勿体ない印象を受けた。

 口頭記述も、熱が入ると句読点を(敢えて)飛ばすので全体では統一性が無くなってしまう。テンポが悪くなるからであろうが、個人的には統一性が欲しかったところである。A型の悪い癖だろうか?
 また軍国主義的な言い換えを批判しつつも、「投稿」を「遺言」と言い換えたりするあたりの感覚はあまり賛同できない。あくまで記録であり、記憶であり、それをどう受け取るかは読む側に委ねられるべきである。
 つまり、「戦争そのもの」に反対をするか「負ける戦争」「相手を選ばない無茶な戦争」に反対するかは見る側次第である。

 そして日々の崩壊と言う現状に対してのアプローチをする絶好の機会であると思われるが、そこもやや不十分であると感じた。
 現状に於いて、少なくとも観劇を出来る身分の人間は「食べるものが無い」と言う事は無い。だが紛れもなく我々が持っていたかつての日常は破壊された。自粛したく無い側の存在や自粛を強いたい側の存在、それは戦時中にもあったであほう。その辺りの触れ方次第では爆発的に良くなったのでは無いかと思うが、敢えて対立軸を置く事もないか。解決しないし。

 個人的には「暮らしの手帖」特集号を読んでみたいな、と言う気になった。帰りに本屋で取り寄せようか、どうせ今夜もメシは食えない。
 

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