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Re: 【短編小説】とても明るく暖かい夜のGSポリスメン不惑

 パイセンはPEACEをふかしながら言った。
「単車に乗ってりゃ色々あるさ」
 でもアンタの言う色々ってのは、精々が立ちゴケしてブレーキレバーを折るとかその程度だろ?
 適当に愛想をコいて帰宅をキめ込む。
 じゃあなパイセン。過去の栄光なら勘弁。アンタが載った雑誌の事は知らないから。いまでもその切り抜きは取ってあんのかい?
 まぁなんでもいいや。

 人生は過去しか見えないのに進むから、それを後ろ歩きに例える話を聞いた事がある。
 車やバイクもすこし似てる。
 サイドミラーを確認しながら進むからな、などと言って目を逸らした隙に、すり抜けようとした車のサイドミラーにハンドルガードが接触して硬質な音を立てた。
 あぁやっちまった!
 咄嗟にアクセルを開いて強引にすり抜ける。久しぶりにボーンヘッドをした。まぁ+チックのハンドルガードくらいだ。傷にゃなんねぇだろ、と思って飛び出た交差点はまだ赤信号だった。


 えぇいままよ!
 アクセルを全開にして交差点を突っ切ると、反対車線の先頭で控えていた白黒の車が赤色灯を焚きながらUターンしてきた。
 冗談じゃない!
 次の交差点で信号待ちをしている車列を次は上手くすり抜け、左折した。自転車や歩行者を撥ねないように気をつけたが、信号無視にパニックを起こした学生がフラフラとだこうしているので轢いた。
 これで何点減点だ?
 おれは空ぶかしでパトカーに訊く。聞こえちゃいないか、おまえらは車列のケツでも舐めてろ。

 住宅街の中へと進んでいく。
 サイドミラーの中にいた赤色灯はとっくに遠ざかり、民家の壁にすら映らなくなった。サイレンの音も聞こえない。
 ざまぁみろ。
 撒いてやったぜ。
 しかし闇雲に走ったせいで、ここがどこか分からない。近所なのは知ってる。家からそう遠くない。
 だが、いま自分がどの方角を向いているかが分からない。
 星も月も見えない都会のクソさがここにある。


 そこは寂れた商店街と言う程でもないが、しかし栄えている雰囲気も無かった。
 日没後にも関わらず人通りはそこそこあるが、しかし単車を動かす邪魔になるほどでもなかった。
 突然の闖入者たる俺を誰も気にするでもなく、街はゆっくりと構えている。
 俺はパトカーに追われた事による心拍の上昇が落ち着くのを待ちながらヘルメットを脱いで煙草に火を点けた。


 恐らくあの距離ではナンバープレートも映ってないだろうし、逃げ切れただろう。
 そう思って煙草を投げ捨てると
「おい」
 と野太い声をかけられた。


 面倒な事になった。
 外国人のフリでもして切り抜けるかと考えながら辺りを見回すと、通りを挟んで向かいに建っている和菓子店の入り口に一人の老人が座っているのが見えた。
 恐らく声の主はこのジイさんだ。齢八十、と言ったところだろうか。
 白い髪は薄くなっていて、人を穿つ様に眺める目は好々爺と言える雰囲気を持っていない。
 しかし痩せ衰えた肉体は背を丸めていて、戦闘的とも言えなかった。
 ジイさんはそのまま続けた。
「ここで、何か、買っていけ」
 そして暗い店内を指差した。
 何か買ったらポイ捨てを見逃してやる、と言う事だろうか。
 そう逡巡していると「今朝からひとつも売れてないんだ」と続けた。


 こっちとしてはバツの悪い思いをしているのもあるし、逃げ切った安心から少し小腹が空いたのを感じているタイミングでもあった。金が無い訳でもない。
 言われるがままに通りを渡って和菓子店に入ってくと、敷居を跨いだ瞬間に割れかけた呼び出し音が店内に響いた。


 奥から割烹着を着た妙齢の女が出てきた。あのジイさんの若い嫁か娘か、今ひとつ判断がつかないのは薄暗い店内だからか?
 とにかく俺は道明寺をひとつ買った。
 他にせんべいでもあれば買ったところだが、店頭に並んでいるのは上生菓子だけだった。
 さすがに饅頭をいくつも食える若さは無いし、明日にはダメになってるだろうから土産には向かないな……などと考えていると、割烹着の女が小さな紙袋に道明寺を入れながら
「あの方、お客さんのお知り合いですか?」
 と訊いてきた。


 何を言っているのだ?お前の身内だろうと喉まで出かかったが割烹着の女は困惑した表情になり
「あの人、朝からあそこにずっとああして座っているんですよ。もう気味が悪くて。お蔭でお客さんも入ってこないし。知り合いだったらちょっと言ってやってくださいよ」
 と言った。
 俺は背筋に厭なものを感じながら振り向く。老人は相変わらず店に背を向けて外を眺めていた。


 俺は道明寺をもうひとつ買うと、割烹着の女に挨拶をして店を出た。
 入り口に座っている老人に道明寺を渡して「さぁ、これでいいだろ」と声をかけると、老人は頷いて立ち上がり、街の闇に溶けるように消えていった。
 物乞いか、痴呆系か、妖怪か。
 いや妖怪なんてのは痴呆老人のそれが殆どだろう。
 道明寺ひとつで済むなら安いもんだ。何か良いことを期待してるぜ、ジイさん。

 俺はバイクに跨りその商店街を出た。
 おおよその方向に見当をつけて道をいくつか曲がると、見覚えのある近所のガソリンスタンドがある交差点に出た。
 メーターも半分以下になっていたことだし、とガソリンスタンドに入ると、そこには先ほどのパトカーが停まっていた。
「ジジイ、少しは役に立てよ」
 俺は苦笑いをした。
 ガソリンスタンドの端に立っていたジジイは長命寺派だったのかも知れない。
「なら先に言えって」
 俺はにじり寄る警察官たちを相手に財布を投げつけると、懐から煙草を取り出して火をつけた。
「単車乗ってりゃ色々あるわな」
 そうだろ、パイセン。

 その夜はとても明るく、暖かい夜になったと言う。

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