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日本人の議論嫌いの理由

一昨日から書いている、日本人の議論力に関連して、今まで書いてきたnoteをもう一度まとめて見直しました。

日本人はまともな議論が出来ない|鈴木良実 (note.com)
議論をさせない学校制度|鈴木良実 (note.com)

まずは、アメリカなどの議論法の訓練として、ディベート手法です。
ディベートの発想|鈴木良実 (note.com)
このような議論方法が、アメリカなどでは、きちんと教えられている。例えば

小学校のレベルから
「事実」と「意見」の分離を教える

等が行われています。こうした訓練があるから

裁判における陪審員としての判定

が出来るのでしょう。

しかしながら、このようなディベート手法は

切り取った範囲での議論

になります。アメリカなどでは

人間の力は有限
完全なモノは期待しない

と言う割り切りがあるので、こうした議論歩も有効でしょう。

しかし日本には

皆が仏の智慧を持つ

と言う信仰があるので、こうした

切り取った範囲では
如何に厳密な議論でも不信

を抱きます。つまり

洋才で受け入れても
和魂が納得しない

状態です。これが日本人の議論嫌いにも絡んでいるでしょう。

この問題点については
反証可能性の使い方|鈴木良実 (note.com)
民主主義のための議論スキル|鈴木良実 (note.com)
も参考にして下さい。

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