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揺れる想い

♪揺れる想い体じゅう感じて~はZARDの名曲だけど、今回は単純に私の状態のことです。あしからず(笑)



紙か電子か論争

相変わらず電子と紙の狭間をいったりきたりの私です。特に地震とかが関わってくると、その迷いが大きくなる様子…。

電気が使えなければ、スマホもタブレットもただの重い物体だからなぁ。いざとなったら電力供給を自前で~と考えて、ソーラーパネルも持っていたりするけど、結局のところWi-Fiが使えないと、スマホの良さは何割減。そうなるとメモも日記も読書もやっぱり紙なのか?!と思ったりね。

一方、ダンナが自分の机まわりを変えるために、断捨離しているところを見たら、やっぱり電子化は重要なのかもなぁ~と思う自分もいて…。

子どもたちが全員社会人になって、私自身も各種講座や会議などに出なくなって、チラシ作成からも遠ざかってしまったら、紙モノの流入が驚くほど減って、分別や処理や保管に頭を悩ますことはなくなりました。だから紙の手帳が何冊かあったって、あまり苦痛ではない。

ただこれまでも迷ってきた通り、紙の手帳は何のために書くのか…という問題にぶち当たるんです。もし私が急死したら、誰がこのお宝でも何でもない物を片付ける?と思うと、紙より電子に心が揺れます。

そもそも私は手帳をあまり読み返さない。だったら何のために手帳(というか、実質的には日記や記録かな)を書いているのか、自分でも全くわからない(笑)それにお金を使ったり、こんなに悩んだりするのは、いろいろともったいない気がしなくはない。だったら日記アプリや、ipadの手書き系手帳アプリやノートアプリで十分なんじゃないか…と思ったり。

ただ以前書いた通り、実際の紙にペンで書くという脳への刺激は大切!と思うと、紙の手帳も必要なのかな?と思ったり、手帳じゃなく他のものを手書きすればいいんじゃない?!と思ったり。

結局、私の中の紙か電子か論争は、まだまだつづく感じです。

AIに負けるのか?

最近ダンナはChatGPTをとても気に入っているそうです。私はChatGPTが出始めた頃、まことしやかに嘘を語られたので、あまり信じていません。

早いものでダンナは来月に還暦を迎えます。まだまだ動ける年齢と思っていたのに、持病が祟ったのか、ストレスが祟ったのか、数年前からなんだかボロボロです。もう休みの日に遠出することもほとんどありません。

私は祖父母に育てられたので、人間の老いというものがかなり身近で、個人差はあってもこう老いていくものだ~というのは、感覚として持っていました。そんな私にとってダンナの老いは、予想外に早いなと感じています。

どこの弱りが早く進むかにもよるけれど、ぽっくり死なない限りは、介護状態に突入する可能性も最近感じています。

もしダンナが認知症になったとしたら、まず誰よりも先に私をわからなくなるだろうな~と、こうなる前からずっと思っていました。たぶん娘の名前を呼ぶだろうと。

ただ最近になって、娘さえもわからなくなるんじゃないかという、脅威的な存在が出現したんです。それがChatGPTです。

私ども人間に「Aって何なのかな?」と聞いても、「何なんだろうね~」とか「○○っぽいことなのかな」みたいな、かなり曖昧な返答をすることも多々あるじゃないですか。ダンナ曰くChatGPTは、質問に対して何事も的確に返してくれるそうです。

要は曖昧なことを返す人間と話すよりも、的確ななことを返すChatGPTと対話する方がいいと、ダンナは思っているようなのです…。

会話がない訳だ。
私とは1日に何言も話しません。

ということで、ダンナが認知症になった時に、私は即座に忘れ去られるんだろうな!という思いがさらに強くなりました。ChatGPTに負けるとは…。


バランス取るのが難しい

かたやスズメベースには、人との会話や関わりを求める人がやってきます。私自身も人と話すことが好きなので、この自宅での無言な状態よりも、スズメベースでの人とのやり取りの方が自然だし、自宅での状況の方が違和感があります。

私の場合まだ同居している子どももいて、子どもとはうるさい程に話しています。だから今はまだましです。ただ子どもとの同居がいつまでつづくかわからないし、同居していることがいいことなのかどうかと、疑問に感じることもあるので、なんともいえません。子どもが成人した後は、基本的には夫婦という単位に戻るものかな~と考えていた私からすると、複雑な気分です。

夫婦で会話もほとんどなく、その対話はChatGPTにしてやられ、どこかに連れ立って出かけることもほとんどなく、私が1人で遠出しようとすると嫌みを言われる…なんて日々が来るとは全く考えていませんでした。

誰しもがいつ死ぬかなんかわからないけれど、私は正直なところ、身の振り方をいま悩んでいます。アクティブに動けるのは、50代半ばの今がギリギリなんじゃないかなと、思ったりするからです。

まだ行きたい場所も沢山あるんだけど、こんなにじっとしていていいのかな?後になって「あの時に行けばよかったのに!」って思わないかな~って、自問自答する毎日です。

そんな中、地震が増えてさらに複雑です。
バランス取るの難しい!!


暑いうちにやっておきたいこと

暑い暑い。立ちくらみもあるから、無理に外出はしません。倒れたら迷惑かかるしね。

暑いうちに家のことをして、涼しくなったら外出を増やしたい!と目論む私は、今のうちに部屋の片付けをしておきたいと思うものの、あまり進まず…。

ものが少なくて心地いい暮らしもあれば、好きなものたちに囲まれて幸せな暮らしもある。どっちに進むのか、私はこれまた迷い中なんです。

最近、物を探す時間と頻度が増えていることを考えると、持ちものをもう少し減らした方が、暮らしやすい気もしてきています。息子①の持ちものはダントツに少なくて、今回の断捨離でダンナの持ちものもそれに近づいたのを見たら、そっちの世界もいいな~と思ったのは事実。

私の場合、まずは本がまぁまぁあるし、缶やらぬいぐるみやらもある。趣味があるとものが多い傾向になるのは、仕方ないことなのか否か。というのも、息子①とダンナは趣味があるようなないような状態だからだ。ゲーム好きな2人。最近のゲームはダウンロードすればいいだけだったりして、以前のようにケースやカセットが嵩張るとかいうことはない。片付け下手でもスッキリ。

一方、手芸やらつくりものが好きな私や娘は、持ちものが沢山ある。手芸や文房具好きは、特に持ちものが多い気がする。それにプラスして、私にはカバン好きというのもある。

普段ストリーミングで音楽を聴くことが多いけど、昔のCDは捨てられないし、最近は最近で推し活してるからCDを買っちゃってる…。これじゃものは減らないな。

でももう少しはものを減らしたい。
暑いうちにね。

最後に…。

ダンナの耳の聴こえの悪さは進んでいて、それがあると認知症の可能性が上がるらしい。そもそも糖尿病の数値の悪さは、認知症に関わってくるそうだ。要因はWな訳だ。隣にいる者としてはバクバクする話だよね。

そんなダンナは、たぶん過去に小さな脳梗塞を起こしている感じがあって、ここ10年くらい脳のMRIを撮ってもらった方がいいんじゃない?と、私はアドバイスしてきたけれど、医者嫌いで、病気や悪いことをはっきりさせることが嫌いなダンナは、まるで検査する気なんてなかった。

しかし先日、検査日程を決めてきたというから驚いた。驚いたと共に、よっぽど体調が悪いんだな…とも思った。耳の聴こえが悪くなっていることも、最近では認めはじめている。

大丈夫と言われたとダンナから聴かされていた頸動脈だけど、本当はプラークがあると言われていたことを、数日前にダンナから聞いた。問題ないとずっと聴かされていた腎臓が、かなり弱っていると聴いたのは、やっぱり数日前のこと。まぁどれをとってみても、健康体なはずがないとは思っていたけど、改めて聴くとやっぱり辛いというか、悲しいというか…。

「どうにか健康体になりたい!」と、今になって言い出すダンナ。気づくのが遅いよなぁ。かといって運動する訳でもないし、食生活は怪しいままだし、どうにもならない気がする…。

怪しいくらいの青空

写真は昨日の空。加工したみたいな色だけど無加工。

今、私は何をするべきなんだろうな。

東京三鷹生まれの三鷹育ち。自分の居場所を求めて富良野、京都、東京多摩地区を転々としたのち三鷹に戻り、以降ずっと三鷹に在住。2016年2月、本好きと、長く続いた居場所探しの経験を活かし、地元でゆるい感覚のまちライブラリーをスタート。ひっそり人好き。地域クリエイター。