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骨の眠る道を走って

イラク北部の街、エルビル。イラクの内部にあるクルド人自治区です。戦時下のイラクなのだけど、ここはオイルマネー効果もあってか比較的治安が安定しています。外務省のガイドラインでもレベル2、南米やアフリカの地域でもよく目にするレベルです。100km離れた距離では3年前までISISと有志連合の激戦があった街のモルスがあるにも関わらず。

そんなイラクのエルビルでマラソンが開催されていること、知っていましたか。おそらくイラクで開催されている唯一のフルマラソンです。

もしもコロナウイルスが存在しなければ、2020年はイラクに走りにゆくはずでした。

齢27にして28の国で35のレースを走ってきた訳ですが、陸上選手でもない六本木OL(最近職場が六本木になりました)がこれだけレースのために海外遠征をしていると、やっぱりいろんな質問をされます。

なかでも「どうして危ない場所も走るの?」「なんで海外ばっかりを走るの?日本でもいいじゃん。」のツートップは耳タコになるくらい。
たしかに一般人の視点(会社のおじさんとか)からすると、六本木OLがイラクに走りに行くのは謎オブ謎らしいです。

なのでこのツートップ疑問符に対して、すこしだけ真剣にnoteで話しますね。

無数の骨が眠る道を走って

2019年2月の中頃。わたしは赤土が舞う舗装もされていない穴ぼこだらけの道を走っていました。

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ルワンダの首都キガリから車で1時間ほど離れたところにあるルワマガナ群。JICAの協力部隊がライフラインの整備を請け負っている地域です。そこで開催されたルワマガナチャレンジマラソンに、キリマンジャロマラソンまでの時間潰しで参加をしたんです。わたあめ並みの軽い動機ですね。

わたあめ並みの軽い動機で走るにしては、心臓をきゅっとつかまれたような気がした大会でした。

ルワンダではわたしの生まれた1994年に大虐殺が発生しています。民族間争いによりルワンダ国民の10~20%が犠牲になったとされる大虐殺は、ルワンダに深い深い傷を与えました。

「たくさんの人が殺されたから。土を掘ると骨が現れることもある。」

キガリ空港のSIMカードショップで仲よくなったノエルさん。ルワマガナ(キガリ空港から150km)までのアクセスがわからず右往左往していたわたしを、ただの親切心で目的地まで送ってくれた超絶ナイスガイです。

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ノエルさんは長い道のりを運転しながら、ルワンダで起こったこと、ルワンダの現状を淡々と教えてくれました。

自分はツチ族で殺される側の民族だったこと。自分は6つになった頃だったこと。親族がほとんど殺されてしまったこと。道を掘ると人の骨が現れたりすること。生きることに必死だったから、読み書きができない人がたくさんいること。

それでもルワンダはようやく立ち直ろうとしていること。首都も少しずつ先進国に近づこうとしていること。未来に希望をもっていること。

「この国は平和も秩序もなくなってしまったことがある。今も日本や欧米に比べたら何もない。だけど君が日本からわざわざこの国に走りにきてくれた事実がとても嬉しい。それが僕らに勇気をくれる。ありがとう。」

凸凹道で揺られる車内で伝えてくれた言葉は、刺繍みたいにこころに刻まれています。

その2日後に、わたしは無数の骨が眠る道を走りながら、いろんな現実を目にしました。

教科書で学んだ焼畑。舗装もされていない凹凸の道。水道も電気もなさそうな家。道の端でわたしのことをもの珍しく眺めるたくさんの目。目が合うと困ったようにはにかむ女の人。手を叩いて応援してくれるおじさん。物怖じせず並走してくれる子どもたち。

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ゴール直前で転倒し救護室に運ばれた半泣きのわたしに、現地の子どもたちが輪になって珍獣を眺める目を向けていたのは一生忘れないです。その目がだんだんと変わって、最後には笑顔で一緒に写真を撮ってくれたことも。

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17つ目のレースといえど、それまでは海外のレースを走ると”楽しい”の感情がほぼのウェイトを占めていたわたしにとって、この”現実”は言葉に表すことが難しいくらいに衝撃的でした。

近いようで遠い、絶望的な差

人間の基本的構造は、ほとんど同じです。
おなかは減るし、怪我をしたら痛い。嬉しいときは喜ぶし、悲しいときは泣いたりする。そこに言語や人種は関係ありません。

マラソンを走っていると、たくさんの人から応援をしてもらいます。レースに出場した35の国で、誰からも応援をしてもらえなかった国はひとつもありません。日本との関係が悪化しつつあった頃の韓国でも、ハイパーインフレで経済崩壊したジンバブエでも、政策批判のため数万人規模のデモが続いていたアルゼンチンでも、どんな国でもです。頑張っている人を応援したい感情は、万国共通みたいでした。

「頑張って」と水を渡してくれる。走りながら「共に行こう。」と手をひいてくれる。「一緒に走ってくれてありがとう。」とゴールで手を握ってくれる。

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”人間”って意外と近いんです。

だけど世界の”現実”は絶望的に遠くにいることが多々あります。

そもそも42.195kmを走ることを許されている人が、どれくらい存在しているとおもいますか。もちろん走ろうとすれば誰だって不可能ではありません。けれど42.195kmを走る時間のある人間が、どれくらい存在しているのでしょうか。

フルマラソンは日本や欧米諸国の先進国で、めちゃくちゃ人気を誇ります。東京マラソンの抽選は倍率がびっくりするくらい高いことは周知の事実です。
ナイキが厚底やらの新しいシューズを販売すれば話題になるし、どのレースに出場するかの議論がよくされていますよね。

2018年にキューバのハバナハーフマラソンを走ったとき、ひとりの男の子に声をかけられました。

「その履いてる靴、ちょうだい。ぼくの靴、もう履けないんだ。」

彼の足元に目をやると、穴だらけのぼろぼろの靴の姿。穴が大きくなりすぎて足の指がほとんどはみだしていて。
しばらく何も言えなくて、ただわたしもこれしかないのと伝えると、そのぼろぼろの靴で足早にいなくなってしまいました。

何もできなかった。何を伝えればいいかもわかりませんでした。

2019年にひょんなことからケニアで高地トレーニングをすることになったとき、空港までの送迎ドライバーは自分の身の上話を車内でしてくれました。

自分も選手としてやっていたこと、フルマラソンを2時間11分ほどで走ること、上には上がいて、プロの選手にはなれないこと。国の外のレースに出場することは、一生かかってもできるかわからないこと。

「インビテーションがいるんだ、あと保証人。」

ケニア人が日本にやってくるには、保証人のインビテーションと残高証明書が必要です。日本人がケニアに渡航するときに必要なのは、電子ビザ代の50ドルだけ。保証人も残高証明も必要ありません。

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絶望的な差がそこにあった気がします。

”走る”は、ほとんどの人が出来るスポーツです。そしてスポーツの中でも初期費用も維持費も低い分類にあります。
その”走る”でも、こんなにも差がある。

42.195kmを走るレースを走れるのは、それだけ余暇の時間があるからこそです。だから南米やアフリカの国では7kmや10kmのレースが人気を誇ります。時間もかからないし、穴のあいた靴でもなんとか走れる距離だから。練習の時間もそこまで必要がないから。

76分の1の確率でたまたま日本に存在しているわたしは、世界の国を自由に渡航してレースに出場しています。スマートウォッチを使って、AirPodsで音楽を流して、ランニングをして、走ったあとにはアミノバイタルを飲んで、シャワーを浴びています。

これの生活を維持できているのは、わたしがたまたま日本に生まれたから。

”遺伝子の宝くじに当たったから” それだけなんです。


世界の”現実”を近くしてくれた

#スポーツがくれたもの

走ることは、わたしと世界の”現実”を近くしてくれました。

レースに出場するまでの過程で、泣いちゃうくらいのトラブルはたくさんありました。飛行機がいきなりキャンセルになった、マラソンエキスポの場所が通知なく変わっている、泊まる場所とスタート地点が50km以上離れている、そもそも開催地までの交通手段がない、数えはじめるとキリがないです。

だけど、いろんな人が手を差しのべてくれたから、いまのわたしがあります。

スタート地点まで車で送ってくれたフランスのおばあちゃん、Google翻訳を駆使しながら振替の飛行機を取ってくれたボリビアの人たち、ゴールのあとに雨に打たれて凍えるわたしにレインコートをくれたブラジルのおばあちゃん、レース中もずっと「困ったことはないか。」とサポートしつづけてくれたアルゼンチンの人たち。

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渡航したことのないオーストラリアと南極以外の大陸には足を向けて寝れません。

そして現地の人の応援が、走る力をくれたことは言わずもがな。42.195kmの間にいるしんどいタイムも、それがあったから乗り越えられています。

レースを走ったことがきっかけで知り合って、そこからずっと連絡を取り続けてくれる人もたくさんいます。

「どのレースを走ったの。」「日本はどんな状況?」「こっちはデモがあって、近くで爆発があったよ。」「ベイルート中のガラスが割れて、歩くとガラスの割れる音でいっぱい。」「暇すぎて家を建てたよ。」「サンパウロにくるときには必ず連絡をちょうだいね。」「あなたの1年が最高になるように。お誕生日おめでとう。」

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人ってやっぱり意外と近い。人種も言葉も違うけれど、こころを通わせることはできるのです。お互いを心配して、会う日を楽しみにすることに国境は関係ないのです。

だからこそ、”現実”が近くなると、絶望的な差に身を震わせることが増えました。
苦しくなるときもあります。だって近くなったとしても、わたしが何かを劇的に変えるほどの権力もお金も持っていない、ただの六本木OLなわけです。

けれども、それで燻るのはいやですし、わたしにできることをしていきたい。

わたしは世界を走ることが好きです。応援してくれる人も好きです。
世界で走ったエピソード、レースの経験を伝えることで、日本のランナーがちょっとでも興味をもって走ってみてくれたら。それで少しずつ世界で走る人が増えれば。

日本のランナーがもっと世界で走るようになったら、上手に言えないけれどいろんなことがもっと良くなると思います。
世界であなたたちが走ることによって、いろんな人が元気をもらい、それが明日の生きる活力にもなったりもします。あなたたちが走ることが、全く関係のない国の人に勇気を与えることができるのです。
それに世界を走ることは、あなたたちの価値観だってびっくりするくらい変えてくれるはずです。今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃない。その事実に気づくことはきっと人生において大切な何かになってくれるとわたしは思います。

“遺伝子の宝くじに当たったから”その宝くじを使ってほしい。
そして世界の”現実”を近くして、絶望的な差を少しづつ、できるところから埋めていければいい。

”走る”ことでもらったこと、いろんな人に分けれたらいいね。

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