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ノートに紙で書くこと(それで救われること)


仕事でうだるような暑さの中都内をまわっている最中に結構体調が悪くなってしまい、駅のホームの椅子に座った。体調というか、メンタル的にバッドに入ってしまった感じだった。「働くってなんなんや…」という半ば投げやりな気持ちになってしまい、勤務時間中にも関わらず自分の中の働くモチベーションが急降下していくのを感じた。

カバンの中にロルバーンのノートが入っていることを思い出し、とにかく今思っていることを吐き出してみようと思って頭の中でモヤモヤしていることを片っ端から書き出してみた。働くことは好きなこと。会社も仕事も人間関係も変わっていないのに働くことに疲弊していること。その場合変わったのは自分であること。今日異常に暑いから余計にキツいだけなのかもということ。今日帰りにサランラップを買わないといけないことー。

気づけばノートを使い切っていた。書いている内容は、きっと価値があることではない。話の道筋はめちゃくちゃだし、オチもないし、教訓もなければ文章として上手い部分なんてちっともない。でもそこではないのだ。おそらく、手で書くことそのものがすごく重要なんだと思う。

以前、iPhoneの「ジャーナル」という日記アプリに魅力を感じて、紙の日記帳から思い切ってアプリに移行したことを思い出した。結局アプリでの日記運用は文字通り三日坊主で終わった。たぶん僕がしたかったこと(というより僕にとって必要だったこと)はそこではなかったのだ。確かにアプリに日記をつけた方が後になって検索できるし、何月何日がどんな天気で、誰とどこに行ったかが地図アプリと連動して分かったりもする。でも僕にとって日記をつけること/文章を書くことは記録することが重要ではないのだった。


書くことそのもの。もっと言えば書き終わった瞬間にそのノートは燃やしてしまっても構わない。書くこと自体が僕の頭の中をクリーンナップしてくれている。書き終わった後にすごく頭の中がスッキリしている感じがする。精神状態も安定している。書く前と書いた後で事態は全く変わっていない。相変わらず案件の予算は不十分だし、クライアントの要望は曖昧として何がしたいのかわからないままだった。それでもそれに対するモヤモヤとか、漠然とした嫌な気分はほとんどなくなっていた。

次すべきことをTODOにしたわけでもないのだけれど、色々な生活の実務とか、あるいは仕事を次から次へとこなして色々な情報をインプットする中で心の中でどんどん溜まっていくいわば心の澱(おり)のようなもの。僕は文章を手で書くことによってこの澱を取り除いていたのだった。

それで、家には趣味で集めているロルバーンのノートが山ほどあるので、そのうちの1冊を開封してまた文章を書き始めた。今度は日記帳としてではなく、なんでも考えることを書きつける心のデトックスアイテムとして。



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