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曽我大穂/Uzo Hiramatsuー追憶とアルゼンチンタンゴ

Uzo Hiramatsuのライブペインティングと曽我大穂のライブパフォーマンスに行ってきた。

各人が各人の物語を読み込み、涙する場を提供する、
曽我大穂の不思議な音楽世界
Uzo 画伯が、絵の具とキャンパスとの格闘を繰り広げる最中、
何重にもエフェクターを掛けた、透き通り反復する歌声に乗せられて、
ある種の懐かしさと共に、子供の頃の孤独感が蘇る

3歳の頃、
父親が車で出かけていった、
その後を追いかけた、
追いつくことを疑いもせず、
それがどうしたって自然であった

父親の車を見失い、
それでも追いつくことを疑いもせず、
自分の両足を懸命に前後させ、
パパ、パパ、と叫びながら走り続け、

気づけば来たことのない場所にいた、
もう一歩も歩けなかった、
気力も体力も尽き果て、
どうしようもない鳴き声に体全体が飲み込まれた

どうやって家に帰るのか分からない、
心配そうに声をかけてくれる大人にも、
迷子を保護しにきた警察にも、
不信感と恐怖をかき立てられるだけ

誰も助けてくれない、
ひとりぼっちの感覚

きっとまた母親に叱られる、
きっと父親に殴られる、
ちゃんとしなきゃ生きていけない、
言われたことを守らないと死ぬだけだ、
そして、僕は言いつけを守らなかった

迷子の時の絶望感、その他愛のない幼少期の思い出が、
ぼぉっと、優しく蘇り、
そして次の瞬間には、
生まれて数ヶ月の、
泣き止まない自分の息子を
抱いている思い出が蘇る

羽毛のように柔らかく、甘い香りがする
子供の体を抱きしめて、息子に何度も言うのだ、
大丈夫だ、ミナトは独りじゃない、パパがついている

そして同じような感覚で、恋人に言ってしまうのだ、
僕がずっと一緒にいるから、心配しないで

なぜならきっと僕は知っているのだ、
どこかで僕は、迷子で独りぼっちのままなのだと、
帰る家が無くなって、
啜り泣いて泣き叫ぶ子供が、いつまでもいるのだと

uzo画伯の絵と曽我大穂の音楽は、ネガティブモードのそんな僕に、
遠くから心配そうな視線を投げかけてくる、
子供が遊ぶように、おもちゃを積み上げては壊す、
そんな曽我大穂とUzo画伯のライブパフォーマンスは、
素直に、何の計算もせずに、
聞き手に、根源的な孤独を思い出させ、そしてそこに寄り添ってくれる

そんなことをぼんやり考えていると、隣で小さな子供が泣き出した、
そして優しいおじさんである曽我大穂は、
パフォーマンス中、自分でこぼした銀玉を一つ拾い上げ、
その子に差し伸べる

だけどその子は警戒心を解かず、その銀玉を受け取らない

困った顔をした曽我大穂は、こともあろうにその玉を、
45を過ぎたおっさんのこの僕に、
仕方なさそうに渡してくれた

これは、アルゼンチンタンゴ以外の、いったい何であろうか
存在の孤独と、孤独な者同士の、ささやかな思いやり

貧民街で生まれた、孤独で愚かで情熱的で絶望的なアルゼンチンタンゴ
上流階級に取り入った、お調子者で、胡散臭くて、詐欺っぽくて
乱暴で、性的で、トラウマに溢れ、それでも思いやりに満ちたアルゼンチンタンゴ

曽我大穂の音楽で、アルゼンチンタンゴを踊ってみました。

https://youtu.be/G-5_h-KghxM


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