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わかんない

チャンドラーの「プレイバック」の新訳版が出たタイミングに、読み比べを先日しました。その経過については7月4日にアップ済みです。
ただ、その中で入手できず入れられなかったのが、小鳥遊書房の市川亮平氏訳のものでしたが、図書館でようやく借りることが出来たので盆休みに読みました。

先ず奥付にあった氏の略歴
「東京都出身。横浜国立大学工学部卒業後、NECにて半導体製造装置開発設計、パーソナルコンピュータ開発設計に携わる。訳書にマーク・トウェイン「トム・ソーヤーの冒険」(小鳥遊書房、2022年)、レイモンド・チャンドラー「ザ・ロング・グッドバイ』(小鳥遊書房、2023年)がある。」

さて、読み始めて最初にい頁から違和感が。それは冒頭、弁護士のクライド・アムネイからの仕事の依頼で突然電話が入ったところ。

「ユニオン・ステーション8時着の『スーパー・チーフ』号を待ち構えて乗客のある女性を見つけて尾行してもらいたい。滞在するホテルを見届けたら報告してくれ、わかったか?」
「わかんない」

えっ?マーロウが「わかんない」、いやいやそんなJKみたいな言い方を40歳位のオッさんが言うか?
まあ「わからないな」でしょう。

どうやら個別の訳に付いてはあまりイケてない感じでした。もっとも有名なあのセリフも

「情に流されたら生きていけない。情がなければ生きている資格がない。それが私だ」

少し物足りない感じでした。ただ、この市川氏の秀逸なのはあとがきにある説明。これは今までの役者にないところで、チャンドラー研究家として大変優れていると思います。

氏が引っかかった事としてレンタカー、旅行小切手があります。それについて無断引用します。

「レンタカーについて。サンディエゴの駅でターゲットの女性はなぜレンタカーが借りられなかったのだろうか?
一般に免許証の名義とパスポートの名義は同じだ、なにしろ身分を証明するものだから。マーロウが「パスポートの名義は?」と訊くと女は「私のことはじきみんなおしえてアゲル、焦らないの」と言ってマーロウの問いをかわした。だが女性は旅行小切手にサインするところはマーロウに隠さなかった。このことから女性の旅行小切手の所有者署名とパスポートの名義及び運転免許証の名義は異なっていることがわかる。
運転免許証の名義と旅行小切手の所有者署名(ホルダーズサイン)が異なっていたらどういうことが起きるか?レンタカーを借りる際にはなにがしかのデポジット(保証金)が必要だ。女性は現金の持ち合わせがない。女性はあとの場面でこう言っている。「手持ちは六〇ドルで全部」と。それで旅行小切手でデポジットしようとした。だが運転免許証の名義はミセス・リー・カンバーランドであり、旅行小切手の所有者署名はエリザベス・メイフィールドだ。旅行小切手でデポジットするためには連署(カウンターサイン)にエリザベス・メイフィールドとサインする必要がある。デポジットはできるが免許証の名義と違うのでレンタカーはNOだ。連署にミセス・リー・カンバーランドとサインすれば免許証とは一致するが旅行小切手の所有者署名と異なっているのでデポジットはできない。というわけでレンタカーは借りられない。それで無駄にもめていたのだ。
旅行小切手は本作の最重要ファクターの一つだ。もし旅行小切手の所有者署名がミセス・リー・カンバ1ランドとなっていたら、女性はめでたくレンタカーを借りることができる。するとどうなるのか?マーロウは気絶からの回復後、女性を追おうとするが、女性がレンタカーで去ったとしたら手がかりゼロ、見つけることは不可能だ。つまりストーリー全体が成り立たなくなってしまう。
そんなことはない。なぜならマーロウはゆすり屋が女性とグラスルームへディナーに行くと壁越しに聞いていた。それに万一マーロウがグラスルームのことを思い出さなくても結局真夜中に女性が自らマーロウの部屋に来た。だからタクシーだろうとレンタカーだろうと話の展開に影響はない、と考えがちだ。
だがそのように事は運ばない。第一にゆすり屋が、グラスルームへ行こうと言って去ったすぐ後、女性は荷造りして逃げる準備をしていたし、マーロウはそれを知っていた。だから女性がまたゆすり屋と合流するとマーロウが考える可能性はまずない。
そして女性がレンタカーで逃げたらそこで手がかりがなくなるのでマーロウはコテージにそれ以上滞在する意味はないから引き払う。そうすると夜中、女性がコテージに来てもマーロウのいた部屋はもぬけの殻になっている。
では、なぜ女性は結局ゆすり屋から逃げなかったのか?それはゆすり屋に説得されたと考えるのが合理的だ。ワシントンとつながっているマーロウはどこまでも追ってくる、どこまでも逃げなければならない。
だがゆすり屋と一緒なら金を出しさえすれば逃げなくてもいい、言ってみればどっちの毒が少ないかを選ぶ発想の選択だった。
一方、マーロウは女性がゆすり屋から逃げるため荷造りをしていたことを知りながらなぜ女性が列車に乗る可能性は低い、ゆすり屋と合流するのでは、と最終的に判断したのか?それはタクシーの運転手の「7時47分発LA行き列車だ。乗客がいればデル・マールで停車する。ここの住民はLAへ行くのにもっぱらこの列車を利用する」という説明を聞いてそう判断したと考えられる。
女性はサンタ・フェ駅の時刻表を持っていた。にもかかわらずサンディエゴへは向かわずデル・マールへ行った。一日数本しか通らない列車のデル・マール到着時刻や、停車要求方法など、東海岸から来たばかりの女性が知るはずがない。だから常識的に考えればデル・マールなんかへ行くわけがないのだ。
7時47分発L・A行き列車があることをわかっているのは地元住民だけだ。だからその列車で逃げたように細工できるのは女性と面識のある地元住民、つまりゆすり屋しかいない。というわけで、女性はゆすり屋と合流したと考えるのが妥当だ。
マーロウは女性がゆすり屋と合流することにした理由について「ラリー・ミッチェルはそんなに簡単には振り切れない。もし彼が女をこの町に来させるだけのカードを持っているとしたら、そのカードで女をこの町に釘づけにしているはずだ」と結論づけた。まさか自分が女性にとってゆすり屋より嫌われる存在だったとはとても考えられなかったのだろう。
こんな七面倒くさい話にしないでレンタカー屋になんかへ行かず、まっすぐタクシーに乗るような話にすればよいじゃないか、と日本に住んでいる我々は思う。
だが米国人が旅行先、とくに滞在型旅行でタクシーに乗るのはそれ相応の理由があるときに限られる。彼らはもっぱらレンタカーを使う、広くて公共交通機関の少ない米国ではいちいちタクシーを使ったら煩わしいし、金もかかる。というわけで女性が迷わずタクシーに乗るのは不自然だ。
ちなみにマーロウがタクシーを使った理由、それはレンタカー屋で女性と並んで手続きをするのは論外だし、万一誰かが女性を迎えに来ていたら、レンタカーの手続をしている間に女性は消えてしまう。そういう訳でこの場面でマーロウがレンタカーを使うのは現実味がない。
女性がレンタカーをあきらめた時点でチャンドラーはマーロウに「免許証がなければ車は借りられない、女もそんなことは百も承知だろうに、と誰でも思う」と述べさせてこの点を収めた、いかにも安易だ。実際通読していてこの箇所までくると、あれ、とは思うが、ま、そんなもんかと思って先へ進んでしまうし、それしかモヤモヤの収めようがない。
一方チャンドラーが書いた「Notes on the Detective Story(推理小説における要点)」のなかで彼は、推理小説というものは「人物、設定、環境は現実に即していなければならない」それから「時が来たら簡単明瞭に説明ができるようでなければならない」と述べている。つまりチャンドラーは設定なりトリックなりを、たとえ文中で説明しなくてもあらゆる場面がすべて現実に即していて、説明が求められた場合には簡単明瞭に説明できるように組み立てるべきと述べているのだ。それをもし「免許証がなければ車は借りられない、女もそんなことは百も承知だろうに、と誰でも思う」でお茶を濁すようであれば、あれ?チャンドラーさん、ちょっと待ってください、話が違う、と言いたくなる。だがそこはさすがチャンドラー、読み進めると旅行小切手を登場させてきっちり筋を通していることがわかってくる。」

さて、さらにもう一つ時間的なミスがこの作品には含まれていると指摘するるのですが、それを示すために市川氏は冒頭に時系列の表(タイトル写真)を掲げてました。こちらは本書をお読みください。

私の結論として、この訳本は文学的な意味での素晴らしい訳とは思えないですが、今まで読み飛ばしていた盲点をきちんと整理、指摘している優れた解説本だと思います。さすが市川氏の経歴にあるようなエンジニア気風なのかもしれません。


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