「リバー化」鈴木鹿(21枚)

〈文芸同人誌『突き抜け14』(2017年11月発行)収録〉

 ダブルベッドに三人で寝ている。
 壁際から順に、明吉、賀子、長太の順である。
 三人とも寝相はよく、ほぼ等間隔で横たわっている。ひとりに与えられた面積は決して広くはないが、狭いと感じてもいない。明け方の薄明るい部屋で平和な睡眠が進行している。
 長太の側、ベッドの脇には人ひとりが歩いて通れるぐらいのスペース。
 半透明のポリプロピレン製衣装ケースが反対側の壁一面を埋めつくしている。四段×四列、計十六個が長太の腰ぐらいの高さで几帳面に積み上がっている。八個を賀子が使い、残った八個を明吉と長太で使っている。
 入りきらなかった服、主に賀子の服が衣装ケースの上に畳んで積まれている。それは長太の背丈ぐらいまである。衣装ケースを買い足すことはできなくはないのだが、これ以上の高さに積み上げると万が一、地震があったときに、ベッドに横たわる三人に向かって衣装ケースが崩れてくる恐れがある。今の高さであればそれはないし、服が降りかかってきても怪我はしないだろう。以上の理由からこのままにしている。
 衣装ケースの上には、畳まれた服のほかに目覚まし時計がひとつ。
 毎日必ず目覚ましがセットされているが鳴ることはほとんどない。目覚ましが鳴る前に起きてしまうからである。
 朝、まず壁際の明吉が目覚める。
 明吉につられて賀子が目覚める。
 そのうち長太が目覚める。
 長太は枕元に置いた自分の携帯電話をまさぐり、画面で時刻を確認してから、もう一度目を閉じることもあるし、体を起こすこともある。どちらにしても最終的には長太がベッドから立ち上がって目覚ましのセットを解除する。
 長太はパジャマのまま寝室を出てリビングに向かう。
 賀子、明吉がパジャマのままで後に続く。
 賀子が朝食の準備をする。
 そのあいだ、長太と明吉は静かに待つ。
 長太が朝刊を読むあいだ、明吉は折込チラシに目を通す。
 リビングに朝食のいい匂いがして、三人は同時に着席する。朝食のメニューはだいたい決まっていて、特別な事情がない限りパンと卵と牛乳である。
 近所にオープンしたばかりのパン屋のパンを三人とも気に入っているが、オープンしたばかりのパン屋は連日行列で、買いたいパンがまともに買えない日も少なくない。
 朝食を機嫌よく終えて、長太が食器を片付けているあいだに賀子が朝刊を読む。
 三人で一緒に歯を磨いた後は、各自の身支度を済ませる。
 三人で一緒に玄関を出る。長太、明吉、賀子の順に出る。鍵は賀子がかける。ゴミのある日は長太がゴミ袋を持つ。
 アパートの二階から外階段を下る。長太、明吉、賀子の順に下る。
 最寄りの駅まで五分の道のりを三人で歩く。歩道と車道の区別がないが車通りが多い道なので気をつけながら歩く。
 駅の自動改札を通り、三人で同じ列車に乗る。三人は並んで立つ。順番はその日による。
 長太がひとり先に降りる。
 明吉と賀子はその後、同じ駅で降りる。
 明吉と別れ、賀子はそこからバスに乗る。
 それぞれの場所で昼間どのように過ごしているのか三人は互いに詳しくを知らない。
 夕方、賀子はバスに乗る。
 賀子はバスを降りる。
 賀子は明吉と合流する。
 賀子と明吉は列車に乗って、最寄りの駅までやってくる。列車を降りる。
 駅から五分の道のりをふたりで歩く。どこにも寄らない日と、駅前のスーパーに寄って買い物をする日がある。スーパーに寄る日もそれほど多くの買い物はしない。ちょっと足りない食材や日用品、または賀子が急に飲みたくなった缶チューハイを買う程度である。
 賀子と明吉はアパートの外階段を二階まで上がる。鍵は賀子が開ける。内鍵は明吉がかける。
 賀子が夕食の準備をする。
 そのあいだ、明吉は静かに待つ。
 テレビをつけてぼんやりと眺めたり、朝に見た折込チラシをもういっぺん見たりしている。
 リビングに夕食のいい匂いがして、ふたりは同時に着席する。夕食のメニューは毎日変わる。賀子の気分と体力、冷蔵庫の事情次第である。明吉と長太がリクエストを行うことはなく、とはいえ賀子の好きなものばかりというわけでもない。おそらく定番メニューと新規メニューがほどよいループを繰り返しているはずだが、その規則性は当の賀子も把握していない。主食だけはだいたい米と決まっている。
 夕食を機嫌よく終えて、賀子が食器を片付けているあいだ明吉はリビングの床にごろごろと転がる。食器を片付け終えた賀子が、一緒になってごろごろと転がる日もある。ふたりはリビングの床をごろごろ転がりながら追いかけっこをする。どちらからともなく捕らえ、どちらからともなく笑う。
 賀子が風呂の湯を貯める。賀子と明吉は歯を磨く。
 賀子と明吉は一緒に風呂に入る。同じ泡で互いを洗い合う。同じシャワーを浴び、同じ湯船に浸かる。同じ体温になる。
 賀子と明吉は風呂から上がる。それぞれのバスタオルで体を拭き、それぞれの下着とパジャマを身につける。
 賀子と明吉はリビングで静かに過ごす。ふたりで同じテレビをぼんやりと眺めたり、賀子が雑誌をめくって明吉が折込チラシを見ていたりすることもある。
 明吉に眠気がやってくる。賀子はそれにすぐ気づき、賀子もまた眠気をおぼえる。
 明吉と賀子は寝室に向かう。
 明吉がダブルベッドの壁際に横たわる。
 賀子がダブルベッドの中央に横たわる。
 掛け布団の下でふたりはもぞもぞと身をよじる。手元のリモコンで灯りを消してからも、もぞもぞは続く。腕と腕。足と足。腰と腰。
 どちらからともなく動きが止まり、どちらからともなく眠りに入る頃、長太が最寄りの駅に着く。
 駅前のコンビニで缶ビールを二本買って、五分の道のりをひとりで歩く。
 アパートの外階段を二階まで上がる。長太は鍵を開ける。玄関のドアをゆっくり閉める。ゆっくり内鍵をかける。
 ゆっくりリビングに入り着席する。賀子が用意して置いてあった夕食の皿を見る。必要に応じてキッチンに立ち電子レンジで温める。おそらく電子レンジで温めることを想定されたメニューであっても、長太の判断で温めないときもある。
 小さい声で、いただきますを言う。買ってきたばかりの缶ビールを一本静かに開ける。食器に不必要に触れないように箸を運ぶ。小さい声で、ごちそうさまを言う。
 夕食を機嫌よく終えて、長太は食器を片付ける。リビングの朝刊と折込チラシを片付ける。
 長太は歯を磨く。長太は風呂に入る。風呂に浸かり、湯を抜いて上がる。バスタオルで体を拭いて下着とパジャマを身につける。
 長太はリビングに戻り、二本目の缶ビールを静かに開ける。床に座って何をしようか考えるが、何もしない日のほうが多い。爪が伸びていたら爪を切る。テレビをつけずにぼんやりとしている。
 長太はリビングの電灯を消す。真っ暗なリビングでしばらく目を慣らす。
 長太は寝室に向かう。
 衣装ケースの上の目覚まし時計をセットする。
 ダブルベッドの枕元に携帯電話を置く。
 ダブルベッドの端にゆっくり潜り込む。
 腕。
 足。
 腰。
 もぞもぞせずに眠りに入る。

   ●

 ダブルベッドに三人で寝ている。
 壁際から明吉、賀子、長太の順に目を覚ます。
 長太が枕元の携帯電話で時刻を確認し、ベッドから立ち上がって目覚まし時計を止める。
 三人はゆっくりと朝食を取り、ゆっくりと身支度を済ませ、一緒に玄関を出る。
 最寄りの駅まで五分の道のりを三人で歩く。
 駅の自動改札を通り、三人で同じ列車に乗る。列車は空いている。横並びの座席に三人で座る。長太、明吉、賀子の順に座る。
 三人は話をする。流れる車窓、車内の広告。車掌のアナウンスとブレーキの音。
 三人で同じ、大きな駅で降りる。
 駅と直結の百貨店に入り、地下のフロアで菓子を選ぶ。賀子がイニシアチブを取り、長太は賀子に求められたときのみコメントを加える。明吉はどの菓子を見てもにこにことしている。
 菓子を買う。紙袋は長太が持つ。
 三人は百貨店と直結の駅に戻り、駅と直結のバスターミナルからバスに乗る。
 バスのいちばん後ろの座席に三人で並んで座る。窓際から順に明吉、賀子、長太が座る。いちばん後ろの座席が空いていないときはそのすぐ前のふたり掛けの座席に明吉と賀子が座る。窓際から順に明吉、賀子が座る。長太が立ち、賀子の膝に菓子の紙袋を置く。
 三人はバスを降りてすぐの病院に入る。自動ドアの先、広くて薄暗いロビーには病院の匂いがする。
 三人はエレベーターに乗る。明吉、賀子、長太の順に乗る。
 エレベーターで八階に上がる。他に乗る人はひとりもおらず、他の階で止まったことは一度もない。
 八階でエレベーターを降りて右、突き当たりを右、長い廊下を明吉、賀子、長太の順に進む。いちばん奥の病室の、ひとつしかない名札を、間違いないとわかっていながら必ず見て確認してしまう。
 病室の奥のベッドの上で、茂子は体を起こして三人を迎える。
 明吉がずんずん前に出て茂子を抱きしめる。抱きしめられた茂子は明吉を抱きしめ返す。
 長太は賀子に紙袋を渡す。
 賀子は茂子のベッドの枕元の棚に紙袋を置き、中の菓子を広げる。
 茂子が明吉から離れる。無理矢理にではなく、やさしく引き剥がす。明吉はそれをやさしく受け入れる。
 長太はベッドの足元にある丸椅子に腰かける。
 賀子はベッドの枕元にある丸椅子に腰かける。
 明吉はベッドに腰かける。
 茂子はベッドに腰かけたまま、四人で菓子を食べる。
 八階の病室の窓からは町がよく見渡せて、すぐ近くを流れる川と河川敷もよく見える。青空と、日差しの向きがゆっくり移動していくのがよく見える。
 昼食の時刻になり、賀子と長太と明吉は病室を出る。エレベーターで一階へ下る。途中で何度も止まっては人が乗り降りするのを、三人は黙って見ている。
 病院を出てすぐのパン屋で三人のパンと紙パックの牛乳を三つ買う。パン屋はいつも空いていて行列はおろか他の客をほとんど見たことがない。
 河川敷へは歩いて一分もかからない。賀子、明吉、長太の順で歩く。賀子のバッグからレジャーシートを取り出して、川を見下ろす斜面の草むらに敷く。長太、明吉、賀子の順に座る。
 三人はパンをかじる。それぞれに紙パックの牛乳を飲む。賀子と明吉はストロー。長太は口を直接。
 三人の視線の先には金網で囲われたエリアがあり、その中にはテニスコートが二面あって、どちらのテニスコートでも老人のグループがゆっくりとしたテニスを楽しんでいる。ゆっくりといっても老人たちの動きが若干スローであるというだけで、ネットの上を飛び交うボールの速度はそれなりにスピーディーである。
 老人たちはにこやかにスピードボールの応酬を楽しむ。三人はそれぞれのパンを咀嚼しながら無言でそれを見ている。
 テニスコートの向こう、川の流れはゆるやかである。川幅も広く、ぱっと見る限り周囲も含めて平坦であり、初見ではどちらからどちらに向かって流れているのか見分けがつかないほど。弱い風が水面を弱々しく波立て、反射した太陽の光が三人の目に飛び込んでくる。長太は目を閉じる。明吉は目を閉じない。賀子は目を開けたまま伏せる。風が吹く。三人は身を寄せ合う。
 どよっ、と集団の声にならない声が聞こえて三人は反射的に声の方向を見る。老人のグループがラケットを握りしめたままだらんと手を下ろし、ぽかんと口を開けて上を見ている。黄色いテニスボールが高い高い放物線を描いて金網の上を飛び越えて、てんてんと河川敷の土の上を転がり、スローダウンして止まりそうになるも、止まらず、止まらず、止まらずに川の水にぽちゃりと落ちる。テニスボールは一瞬、沈んだかに見えたけれど、すぐに水面に顔を出し、そのまま川にぷかぷかと浮いたまま流されていってしまう。老人たちのどよめきがだらしなく消えて、賀子は川の流れの意外な速さに目を見張る。
 パンを食べ終え、牛乳を飲み終え、ゴミのすべてをビニール袋にまとめる。
 レジャーシートを畳んで、まとめたゴミと一緒に賀子のバッグにしまう。
 三人は立ち上がり、河川敷を離れて病院へ戻る。エレベーターで八階に上り、エレベーターを降りて右、突き当たりを右、長い廊下を明吉、賀子、長太の順に進む。
 病室のベッドでは昼食を終えた茂子が午睡をしていて、明吉はそのベッドにずかずかと上って、茂子の隣に添い寝をする。
 薄く目を開けた茂子が小さく口を開く。
 賀子が茂子の手を握る。茂子は再び目を閉じる。
 賀子はベッドの枕元にある丸椅子に腰かける。
 長太はベッドの足元にある丸椅子に腰かけて、窓の外を見ている。
 日が沈んで病室と廊下の灯りがつくまで窓の外の日差しの向きの移ろいを見ている。

   ●

 ダブルベッドに三人で寝ている。
 壁際から明吉、賀子、長太の順に目を覚ます。
 長太が枕元の携帯電話で時刻を確認し、再び目を閉じるが、眠ることはできない。
 長太はベッドから立ち上がって目覚まし時計を止める。
 朝食を取る。身支度後、玄関を出る。
 最寄りの駅の自動改札を抜けて、列車で病院のある駅まで行く。
 電車を降りて駅と直結のバスターミナルからバスに乗る。座席は空いていない。
 バスを降りてすぐの病院に入り、ざわつくロビーを抜けてエレベーターに乗る。全員黙ったままの箱はぎこちなく八階へと向かう。
 エレベーターを降りて右、突き当たりを右、長い廊下を進む。いちばん奥の病室の名札を視界の端に入れながら病室に入る。
 ワンピースを着て、上着を羽織った茂子がベッドの端に腰かけている。
 明吉が茂子の隣、ベッドに座って茂子を抱きしめる。
 抱きしめられた茂子は明吉を抱きしめ返しながら、その目は長太と賀子の目を見ている。
 見つめられた長太と賀子は茂子の目を見つめ返しながら、その目は茂子を抱きしめる明吉の後頭部と指先を見ている。
 四人で病室を出る。茂子の大きなバッグは長太が持つ。
 賀子、茂子、明吉、長太の順に長い廊下を進む。
 左。
 左。
 エレベーター。
 一階。ロビー。
 外。
 タクシーの運転手が後ろのトランクを開ける。長太は茂子の大きなバッグを入れて、助手席に座る。
 後部座席には奥から賀子、明吉、茂子の順に座る。
 病院正面の車寄せから発進したタクシーはバス通りを駅とは逆方向に進み、やがて幹線道路へと合流。スピードに乗って、車の流れに乗って、軽快に走る。周囲の流れがあるからタクシーがこのスピードなのか、このタクシーのスピードが周囲の流れを牽引しているのか、アクセルを踏んでいない者にはわからない。
 幹線道路を離れたタクシーが徐々に細い道、細い道へと入っていき、やがて静かな午前の住宅街の一戸建ての前に停まる。後部座席のドアが開き、三人が降りる。助手席の長太が料金を支払ってから降りて、後ろのトランクから茂子のバッグを取る。
 玄関の鍵は茂子が開ける。茂子、賀子、長太、明吉の順に入る。内鍵は明吉がかける。
 茂子が電気のブレーカーを上げ、水道の元栓を開ける。四人ですべての部屋の窓を開けて空気を通す。
 茂子。
 賀子。
 明吉。
 長太。
 ふたりは、ふたりを家に残して、最寄りの駅まで歩く。歩いて何分かかる道かもわからないまま歩く。
 駅の自動改札を通って、がらがらの列車を乗り継いで、最寄りの駅まで、車窓と広告。手と手、足と足、腰と腰。
 駅前のスーパーで買い物をして、食材と日用品、缶チューハイと缶ビールも買って、ふたりで荷物を手に駅から五分の道のりを歩く。パン屋に行列がない。がらがらの店内でパンが選び放題。
 アパートの外階段を二階まで上がって、鍵を開け、内鍵をかけ、昼食をパンにする。
 雑誌と朝刊。
 コーヒーとコーヒー。
 夕食。
 片付け。
 歯磨き。
 入浴。
 缶チューハイと缶ビール。
 酔いと酔い。
 寝室。
 ダブルベッドに横たわるふたり。
 広い広い広い広い
 ダブルベッドの
 上の
 布団の
 中の
 手
 と
 手
 足
 と
 足
 腰
 と
 腰
 声
 と
 声
 が
 寝息
 と
 寝息
 に変わるまでの
 終わることのない長さ長さ長さ長さ。
 体温をまさぐる。
 薄暗い部屋で
 目覚まし時計が鳴る。

〈了〉

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