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「ネイビーマン」鈴木鹿(46枚)

〈文芸同人誌『突き抜け13』(2017年5月発行)収録〉

 指一本触れなくていいからビッチと飲みたい夜がある。矛盾しているだろうか、いや、矛盾などしていない。本当に指一本触れなくていいし、本当にビッチと飲みたい。どちらも本心から、腹の底から、下腹の中から湧き上がる欲望である。下腹だけどそういうことじゃない、そういうことじゃないのだ。指一本触れなくていいからビッチと飲みたい。夜。がある。夜。である。夜。にいる。be動詞。ビッチ同士。違うし俺はビッチじゃないし。
 今。そんな夜に抜久森はビッチのいそうな繁華街のクラブ、やらバー、やらから遠く離れた住宅街の一角にある居酒屋でひとり、店で二番目に安い焼酎のグラスを啜っている。右におっさん、左におっさん、奥行の狭いカウンターの上で使わない灰皿が幅を利かせて抜久森に残された場所はほとんどない。おっさんの額ほどしかない。おっさんとおっさんの間でひとり安い焼酎を啜る未来のおっさん。これはただの事実を羅列した文だが言葉にした瞬間に石になって未来まで固めてしまいそうで、なんとか振り切ろうと抜久森はグラスを呷る。氷が融けて薄く薄くなった、冷たい冷たいほとんどただの水である。うすうすの焼酎。うすうす。うすうすの、なんだ。ああ、ああ、ビッチと飲みたい。あばずられたい。
 どうして俺は、どうして俺が、どうして俺ばっかりが。無為な問いだとわかっていながら止まらない。これは下腹からではなくて頭から、脳から発している電波のような問いだ。出来損ないの理屈だ。取るに足らないものだ。わかっていながら止まらない。根絶を図るよりは対症療法的に遮断するのが手っ取り早い。だからアルコールを流し込もうとする。酔いをぶん回そうとする。薄い。
 カウンターの向こうではばばあがひとりテレビに見入って手がお留守だ。抜久森の注文したオニオンサラダはいつになったら出てくるのだろうか。今だれかがどこかでつくっているとでもいうのだろうか。それとも材料が届くのを待ってでもいるのだろうか。右のおっさんも左のおっさんもテレビを見ている。この至近距離で本人を直視はできないので実際はわからないがテレビを見ている気配がする。抜久森もテレビを見てみる。再現映像のようなものを見ながらスタジオの芸能人がじゃれ合っている。すぐに目を伏せて、焼酎味の氷水を啜る。
 クラブやバーのような自分の努力でなんとかするしかないような場所ではなく、いっそいわゆるキャバクラのような、お金さえ払えば一定のちやほやを得られる場所に行けば、抜久森はこんな冷たい水でお腹を中から冷やし続けることもないだろう。気を利かせることが仕事の女性らによって抜久森のグラスは適切な状態に保たれるだろう。その女性はビッチかもしれないし、ビッチじゃないかもしれない。本当にビッチかどうかはおいといてビッチのような演出の女性もいるだろう。こちらとしてはそれでもまったく差し支えないのだ。
 なのにどうしてどうして俺は。そういった店にも、そういった店がある繁華街にさえも足を運ぶでもなく、なんだったら繁華街の近くを通ったにもかかわらず歩みをそちらへは向けず、こうして自宅の最寄りの、最寄りというにも徒歩で来るには微妙に遠い住宅街の片隅の、地元住民に愛されてるんだか惰性で生きながらえてるだけなんだか判然としないややうけの居酒屋で肩身の狭い思いをしながらこうしてなにも吐き出しもできないているんだろう。氷を齧る。がりがりと音を立ててなくなる。
「同じのください……あと、あのう……さっき頼んだオニオンサラダは……」
 ばばあが眉をぴくりとも動かさずに新しいグラスに氷を放り込み焼酎をどぼどぼと注ぎ、冷蔵庫からラップのかかった深皿を取り出して、ラップを外してなにかをかけて、それらが抜久森の前に出てくるまで三十秒もあっただろうか。なんの釈明も愛想もない。すがすがしいほどの態度に罵る気持ちすら起きない。もうテレビ見てるし。
 乱暴に濃い焼酎をずびずびと啜り、鼻を啜り、きんきんに冷えたスライスオニオンを咀嚼する。冷たいものが頬を伝う。抜久森は泣いている。かなり昔にスライスされたオニオンには涙を流させる力はもう残っていないというのに、抜久森の涙が止まらない。右のおっさんも左のおっさんも向かいに立つばばあも抜久森の涙に気がついているのかいないのか、気がついているのに無視しているのか、なんら干渉してこないのは抜久森にとってはむしろ好都合で、いや本当に、こんなところで安い焼酎を、安いとはいえ場所代込みのお金を払って飲むぐらいだったら、コンビニで買って家で飲むか、家があまりに寂しすぎるのだとすれば公園にでも繰り出せばよかったと思う。氷がそんなに融けていない焼酎を一気にぐびりとやってしまう。どうして俺だけがビッチと飲めない夜を過ごしているんだ、指一本触れなくていいと言っているだろう!
 横になっていた体をむくりと起こすと目の前には平和な公園の風景が広がっている。秋にしてはうららかな、ぽかぽかとした陽気と、駆け回ったりのんびり歩いたり立ち止まったりしながら生きる喜びを四方八方に照射している数組の親子が完璧な人口密度と分布で公園の自然および人工物と調和してひとつの風景としての完成をみている。太陽光線の強さと傾きからすればまだぎりぎり午前中、正午の少し前といったところだろうか。揺るぎようのない平和さ。平和ネス。ピースなバイブスとはこのことか。こちらからあちらは見えるがあちらからこちらは見えないに違いない、なぜなら誰も抜久森のことを注目していないし、非難するような声をあげてこないから。公園の片隅の植え込みの陰に、シートもなにも敷かずに、抜久森は紺色のボクサーブリーフ一丁でぽつんと座っている。枯れかけの草や葉は露わになった肌に痛いということを知る。
 ちくちくとした皮膚感覚に記憶を刺激されるように抜久森は事の次第をゆっくりと飲み込んでいく。抜久森の理解が正しければここは自宅からぎりぎり歩いて来られるか来られないかの瀬戸際にある住宅街の中の比較的大きめな公園で、今は土曜、つまり金曜の次の日であるに違いない。抜久森は左手首の腕時計を確認する。デジタル表示が正午直前の現在時刻、そして曜日を「SAT」と告げる。裸の上半身、ひょろひょろの腕に大ぶりな耐衝撃ケースが白々しい。ショックなのはこっちのほうだよ。
 ところが不思議と抜久森は落ち着いているのである。ショックもなければ後悔の念もない。まるで温泉でさっぱりと汗を流して充分に体を乾かしてから袖を通す浴衣のようにさらりとしている。このようなこと、つまり事実だけを羅列すれば酔って記憶を失い気がつけば屋外で裸で眠りこけている、というようなことは決していつもあるようなことではない。というか初めてである。我に返った際に自らの醜態に気づいたなら、そしてそれが公の場に晒されており、なおかつそこにはイノセントの塊たる子供なんぞがいたならば、少なくとも慌てるだとか、狼狽するだとか、あるいは大いに自らを恥じるであるとか、あれこれぐるぐるもやもや頭が埋め尽くされそうなものだが、なんなんだろうな、この清々しさ、なんならマネの『草上の昼食』みたいな感じ? 裸なの俺だけど。
 座る抜久森の傍らには横倒しの通勤トートバッグ、その上には丁寧に折り畳まれたジーンズとTシャツ、パーカ、揃えたスニーカーの中に靴下。よくできた伴侶の仕業のようだが紛れもなく抜久森自身の仕業である。普段から几帳面な生活をおくってはいるが屋外で裸になり記憶をなくすほどの酩酊の果てでさえもこの有様。なんなの。思わず苦笑い。いつか伴侶ができたなら逆に嫌がられてしまうな、などという軽口が脳内にぽこんと浮かび、澄み渡っていた思考に小さな影を落とす。
 植え込みの陰に座ったまま、公園で遊ぶだれからも姿が見えないように気をつけながら服を着る。ジーンズを穿きながらボクサーブリーフの股間を再確認する。なんの事件も起きた形跡のないクリーンな股間である。その布地が紺色であることに常人では気づけないほどの小さな安心を抜久森は感じている。
 立ち上がり、植え込みの陰を去る。ありったけの爽やかな顔で、全身が痛いことなどおくびにも出さずに。一週間ぶんのカレーの材料を買って帰る。


「抜久森さんって紺色が好きなんですか?」
 そう尋ねてきたのは一昨年の職場の忘年会の居酒屋の小上がりでたまたま隣に座った新人デザイナーのワッコちゃんで、そのあまりにシンプルな問いに抜久森は面食らってしまった。ワッコちゃんにしても盛り上がりそうな話題もない抜久森の隣にうっかり座ってしまいかといって先輩である抜久森を邪険にもできず、なんとか捻り出した苦肉の質問だったことは容易に想像がつく。そのことがわかる程度にはいちおう抜久森も大人になったとなんとかぎりぎりで思っている。で、大人なのでそういった問いには深く考えずに答えてそれなりの場をつくって、他のメンバーを巻き込みながらゆるゆると時間をやり過ごしていけば職場の飲み会なんていうのは平和裏に終わるのだ。
 ところが、そのあまりにシンプルな問いに対して抜久森は、まだ大して酔っ払っていなかったにもかかわらず、ぐっと答えに詰まってしまったのだった。なぜなら抜久森はその瞬間まで、自分が紺色を好きだなどということを微塵も思ったことがなかったからだ。
 俺の好きな色ってなんだ。子供の頃はよくそういったことを考えたり、友達同士で好きな色に関する会話を楽しむこともあったように思う。抜久森はなぜか紫色が好きだった。なんだかかっこいい色だと感じていたし、赤と青が混ざると紫になるというのも超クールだと思っていた。大人になっても好きな色というのは、ある人にはあるのだろう。そういった好みはインテリアや小物、そしてファッションに反映されるのだろう。ただしいくら好きな色だからといってインテリアから小物からファッションからすべてがその色ということになるとかなりの奇人扱いとなるのは必至だ。また、ワッコちゃんのようにデザイナーを生業としている人なんかであればその仕事、作品にも表れてくることもあるだろう。いうまでもなくなおさらのこと、その色ばっかりというわけにはいかないが。芸術家なら別だけど。
 で、そうそう、紺色である。「抜久森さん?」ワッコちゃんが不思議そうに抜久森の顔を覗き込んでくる。抜久森もすぐに答えればいいものを「んー?」なんつって誤魔化しながらジョッキのビールに口をつけながら時間を稼いでなんとかこんとか捻り出した答えが「どうしてそう思う?」って究極にダサくて泣きそうになる。でもそれは抜久森の正直な気持ちの吐露であって、抜久森は少なくとも大人になってから自分の好きな色の話をしたことなどないし、そもそも紺色を好きだと思ったことなど一度もないのだ。毎日全身紺色だとか髪が紺色だとか顔が紺色だとかであればそう思われるのも仕方ないがそんなこともない。ワッコちゃんはどうしてそう思うのだろう? 抜久森のダサい返しを特に嫌がる風でもなく、ワッコちゃんは彼女の考えを述べる。
「抜久森さんって、毎日必ず紺色のなにかを着てるか、持ってるかしてるじゃないですか」
「え、そう?」
「今日も」と言いながら彼女が指さしたのは胡座をかいた抜久森の靴下。ああたしかに紺色の靴下を今日の抜久森は穿いている、が、これもこだわりがあって選んだものではなく、朝、なんとなく手に取ったものだし、紺色の靴下ばかり持っているというわけでもない。そもそもファッション全般に関して抜久森は特にこだわりがない。職場がスーツ着用不要であることに関しては暑がりで汗かきな抜久森は恩恵を感じているが、そのぶん、カジュアルでありながら社会人としての節度を保った服装をしなければならないのは正直面倒だとも思っている。だらしなく見えない年相応の格好を、痩せ型の体に合った服装を、というのを気をつけるぐらいであとはそのときの気分で服を買う。ぼろぼろになった服は部屋着にするか処分するかして外へは着ていかないようにする。せいぜいそんなもんである。なのでまったくの無頓着というわけでもないが、こだわりがあるとはいえない。
 色については、そうだな、紺色を意識したことはなかったがあまり派手なものは選ばないから、というのも、派手な色ほど合わせるのが難しそうだし、ファッションのセンス、スキル、あるいはそれを楽しもうというモチベーションが必要っぽくて、そういったものが欠如している抜久森の選択は結果的に地味になっているのだと思われる。なので自然と紺色を選ぶことが少なくないということだろう。自宅のクローゼットを思い浮かべようとするが詳しく思い出すことができない。これこそまさに服にこだわりのないことの証左である。
「よく見てるねえ」素直に感心して抜久森は言う。
「見ますよー」と無邪気に答えるワッコちゃんの言葉を聞き流しながらビールを流し込んで、流し込み終わってから抜久森は「え」と、声に出てしまったかどうか自分ではわからないけれど、もうテーブルの会話は他のメンバーを巻き込んだ別の話題に移っていて抜久森のターンは終わっていたのだけれど、ふと、なんでワッコちゃんは俺のことを、そんな細かいところを見ていたのかと、しかもそれを、見ますよとはっきり言葉にして伝えてきたのかと、急に頭がフル回転を始めて心臓がどきどきしてくるのを抜久森は自覚する。した。してしまった。ああ、やられた。ズキュンのやつだこれ。ああーやっちまった。意識しちゃった。そうすると急にワッコちゃんのことが可愛く見えてきちゃって、いやたしかにワッコちゃんはいかにも今どきの若者というか、チャラチャラって感じではないけれどきちんと可愛くしているし、元の顔だって、いやそりゃすっぴんを見たことはないし化粧もちょっと濃いめなんじゃないの、ぽわっと紅潮して見えるそのチークだってそういうメイクのテクニックなんだろそれぐらい俺だって知ってるんだ、でも、テクニックだとしても、ワッコちゃんは普通に可愛いのである。
 ああ可愛いなあ、可愛い、可愛い、可愛いよ、そんな可愛いワッコちゃんは抜久森が眠れぬ年末年始を過ごして年が明けたらいつの間にやら同僚の駒淵とつき合っていて、夏を待たずにあっさり別れて、あっさり退職してしまった。抜久森にはどうしようもなくただただやりきれない気持ちと、そして紺色への意識だけが残ったのである。
 平日の朝、出勤前。シャワーを浴びてバスタオルを腰に巻いただけの姿でクローゼットの前に立つ。スマートフォンで天気予報、気温の推移を確認。目の前にはハンガーに掛かるシャツやジャケット、ズボンの類。衣装ケースに畳んで入れてあるTシャツやカットソー、スウェット、あとは靴下とパンツの類。それぞれのアイテムにおいて紺色の成分はそれほど多いわけではない。紺色以外にも黒や白、灰色茶色、たまに赤や緑や青や、中にはストライプやボーダー、チェックもある。理論上は紺色のアイテムを一切使わないコーディネートも可能だ。可能だが、どれか一点は必ず紺色が入るように抜久森は選ぶ。たとえば月曜はシャツが紺色。火曜はズボンが紺色。水曜は靴下と長袖カットソーのボーダーが紺色。木曜はシャツの下に着たTシャツが紺色。金曜はジャケットとボクサーブリーフが紺色という具合である。たぶん以前から無意識のうちにそのようなことになっていたのだろう、ワッコちゃんはそこに気づいただけだったのだろう。けれど今では必ず一点は紺色のものを、と意識しているのを抜久森は自覚している。なにか一点だけでも紺色のものを身につけていないとどうにも居心地が悪く、不安になってしまうのだ。ワッコちゃんが抜久森をそういう体にしてしまった。指一本触れないで、触れさせないで、抜久森の体を変えてしまった。いや、触れなくてもいいよ別に、そういうんじゃないから。いいけど、いいけどさあ。
 紺色のアイテムには、なにかと合わせやすいこと、ビジネスの場面で浮かないことのほかにもいくつかの副次的なメリットがある。まず、特にTシャツやシャツにおいて脇の汗染みが目立ちにくい。これは暑がり汗かきの抜久森にとって非常に重要な点だ。夏の暑い日や外をたくさん歩く日に清涼感優先で水色なんかをチョイスした日には汗染み必至である。大人の男に必要なのはなによりもまず清潔感だ。脇汗はあまりよろしくないし、だいいち恥ずかしい。その点、紺色であれば、清潔感は保ちつつ汗染みもまあまあ安心だ。もちろんこの点においては白いシャツでも構わない。だがもうひとつのメリットの観点からすると白はNGだ。週に何度も、少なくとも複数回は、というか実際ほぼ毎日の抜久森にとっての燃料補給すなわちカレーを食べるという場面において、白い服はもってのほかのチョイスとなる。失格である。もちろん着ている服が白だろうが白じゃなかろうがカレーが跳ねてよいわけではないが、やはり食べるときの心持ちが違うというものだ。人生の中で食べられるカレーの皿数はある程度決まっており、その貴重な皿数を、気が気でない気持ちで消化するのはあまりにもったいない。故に、抜久森はよっぽど必要なときを除いて白を着ることはない。必然的に濃いめの色が多くなる。黒や茶色、そして紺色。
 アパートの狭い玄関の姿見で、光量の足りない黄色がかった照明の下で、全身をさらりと眺めて変なところがないか確認する。特に工夫のあるコーディネートをしているわけではないので奇妙な事態になることはまずない。紺色のスニーカーを履いて、紺色のダウンジャケットを着て、紺色のトートバッグを肩から掛けて部屋を出る。暗い地下を運行する地下鉄の車内は毎日変わりばえのしない顔が微妙に位置を交換しながら並ぶ。暗い空気に暗い服で紛れてやり過ごす。


 冬の終わりに入社してきたデザイナーの紺田さんは明るめの茶髪で化粧とか顔立ちも含めてそこはかとなくギャルかあるいはヤンキーっぽくて、そして毎日紺色を着ている。ギャルかあるいはヤンキーっぽいというだけで以前の抜久森ならスルーしていた紺田さんに今の抜久森は俄然釘付けである。気になってしまう、意識してしまう、意識してしまったらもうだめだ。やられた。ズキュンのやつだ。
 毎日、紺色なのである。もちろん同じ服を着ているというわけではなく毎日違う服なのだが、メインとなるのは紺色で、なんなら上も下も、全身が紺色という日も少なくない。それでいて地味なわけでもなくきちんと華やかで、かといって派手ということはもちろんなく落ち着いている。抜久森の単に紺色のものが一個入っていればいいやというアバウトな感じとは違う。紺色が映えている。紺色を着こなしている感じがすごくする。ワッコちゃんしか気づかなかったような、抜久森のような地味な紺色具合ではない。だれが見ても、紺田さんは紺色が好きなのが毎日丸見えなのである。そもそも紺田という苗字で紺色が好きというのがずるい。黒田さんが黒を好きでもなんとも思わないし、白田さんが白を好きでもなんとも思わないし、青田さんが青を好きでもなんとも思わないし、赤田さんが赤を好きでもなんとも思わないけれど、紺田さんが紺色を好きなのはずるい。紺はあまりにも色すぎて、逆に避けてもおかしくないぐらいだ。だけど紺田さんは紺色を着る。堂々と着る。似合っている。かっこいい。可愛い。
 抜久森は職場に行くのが楽しくなってくる。職場で紺田さんの姿を見かけるたびにわくわくする。不審に思われないぎりぎりの、ごくごく短い時間で集中して紺田さんのことを見る。今日も紺田さんは紺色を身にまとっている。日によってスタイリッシュ、エレガント、キュート、などなど、紺色の可能性が紺田さんを通して広がっていく。ギャルかあるいはヤンキーっぽい顔のことも完全にアリになっている。ナシだった頃のことがもう思い出せない。属性なんて今すぐシュレッダーにかけてしまえ。金曜の夜、職場を後にするときは少し寂しい。土日に自宅の台所で一週間ぶんのカレーを煮込みながら紺田さんのことを考えている。
「抜久森さん、カレー好きなんすか」
 紺田さんが話しかけてきた午前中、抜久森は息が止まりそうになる。いや、業務として話すことは普通にあるしその流れで雑談ぐらいはするのだが、たまたま職場に抜久森と紺田さんしかおらず、そして抜久森もちらちらと紺田さんをチェックしようと試みていたまさにそのときだったので、抜久森は驚いてしまった。カレー。カレー?
「え、カレー?」
「カレーなら抜久森さんが詳しいって駒淵さんから聞いたんすけど」
「あ、うん、カレー、けっこう好きだけど」
「このへんでおすすめのカレー屋さんとか、あります?」
「え、どうしたの」
「ランチのネタが尽きちゃって」
「ああ」
「昼、いつもどうしてるんすか」
「まあ、だいたいカレー食べに行ってるけど」
「今日も行きます?」
「あ、うん、たぶん」
「一緒に行ってもいいっすか」
 抜久森の息が完全に止まる。二秒ぐらい止まる。
 インド人とは思えない流暢な日本語を喋る店主が去り、小さなテーブルにはカレーライスがふたつ。抜久森と紺田さんは差し向かいで座っている。職場の徒歩圏内に数軒あるカレーを食べられる店のうち最も抜久森が好きな店で、ランチにしてはやや値が張るがやはりおすすめを聞かれてこの店は外せない。当然、先輩である抜久森がおごるのだとしても、相手が紺田さんであるからまったく問題ない。本格的でありながら日本人の味覚にもフィットする完璧なカレーの香りがテーブルから立ち上り、抜久森はいつものようにうっとりして既に毛穴が開いている。紺田さんは興味津々という顔をしている。食べ始める。納得、そして満足の顔に変わっていく。よかった、本当によかった。
 今日は全身が紺色の紺田さん。そして抜久森も今日は紺色のシャツを着ている。紺色のふたり。だからどうということもない、なんの変哲もない光景である。普通は。
 カレーが喉を通らない、などということは抜久森には絶対にない。たとえついさっき息が止まったとしてもカレーはカレー、この瞬間カレーの尊さはカレー以上でもカレー以下でもなくカレーであり、カレーでしかない。むしろカレーであるからこそ抜久森は職場での自分と違う自分らしい自分を自分の意識下に置けているような感覚を自分の中におぼえている。
「紺田さんは紺色が好きなの?」抜久森は自分でも驚くほど自然に、するりと、自信をもって、紺田さんにストレートな質問をぶつけている。
「どうしてっすか」いつだって自然体に見える紺田さんが、やはり自然に答える。
「いつも……っていうか、よく紺色を着てるみたいだから」失礼に聞こえそうな発言をゆったり軌道修正できる心の余裕が抜久森には生まれている。
「好きっすね。毎日着てますし、わかりますよね」紺田さんにはいつも通りの余裕、紺田さんのペースがある。「でも、好きですけど、好きだから着ているだけじゃないっていうか」
「あ、そうなんだ」
「紺色着るとスイッチが入るんすよね。私のテーマカラーっていうか、キーカラーっていうか」紺田さんはデザイナーっぽい言い回しで、かといって小難しくも抽象的でもなく、真っ直ぐに考えを話す。抜久森はわかったようなわからないような曖昧な笑みで誤魔化してしまう。
「あ、でも紺色を着てると、カレーも気楽に食べられるからいいよ、うん」
「え」
「いや、白いシャツとかじゃこうはいかないっていうか」
「ああ、なるほど。はは、そうっすね」
 紺田さんが屈託なく笑うところを抜久森は初めて見た気がする。めちゃめちゃ可愛い。


 むくむくと下腹から湧き上がる寂しさを押し殺しながら繁華街には足を向けることがどうしてもできず、とはいえ安い焼酎をガブ飲みするのだけは御免で、紺色のステンカラーコートのポケットに両手を突っ込んで闇雲に立ち寄った駅前の大型書店の闇雲に歩き回った雑誌売場、平積みになった女性ファッション誌の表紙に躍る見出しが抜久森の目に飛び込んでくる。

   そろそろ本気で、
   「紺」について考える。

 まあまあ早歩きだった抜久森の足に急ブレーキがかかって抜久森は書店の中で転びそうになる。なんとか尻餅で事なきを得て這うようにして立ち上がり件の表紙を凝視する。決してメインではない中ぐらいの大きさの見出しだけが抜久森の意識を掴んで放さず他の見出しは目に入らない。見出しの上には小さな文字でショルダーコピー。

   地味な色なんかじゃない!
   知性の色をあなたは着こなせてる?

 それを読んだ瞬間に抜久森はその分厚い雑誌を引っつかんでレジへと駆け出さんばかりに早歩きしている。光文社『VERY』二〇一七年四月号(第二三巻第四号)税込七二〇円。雑誌を飲み込んだ紺色のトートバッグが肩にずっしりと食い込んでくる。意に介さず脇目もふらず一心不乱に帰宅する。
 女性誌である。それもメインターゲットはキャリア女性、幼い子供がいるような働くママだ。雑誌のキャッチフレーズは「基盤のある女性は、強く、優しく、美しい」。抜久森にないものだけで見事な文ができあがっている。そこに掲載されているアイテムが、コーディネートが、そのまま抜久森の役に立つとは到底思えないしそのぐらいのことは抜久森にだってさすがにわかる。しかしながら誌面に躍る大見出し、小見出し、そして本文は、抜久森を大いに刺激してやまない。そもそもが表紙にもあった特集タイトルが刺さる。「そろそろ本気で、『紺』について考える。」これを見た瞬間に、そして見るたびに、抜久森はこれまでの自分をなんとも不甲斐なく、情けなく、そして悔しく感じてしまうのだ。正直、抜久森は本気じゃなかった。本気で「紺」について考えたことは、なかった。馬鹿野郎。俺は馬鹿野郎だ。殴れ! 俺を殴れ! 紺田さん俺を殴ってくれ! 抜久森は冷蔵庫の缶チューハイを開けてぐびぐびと飲む。ほとんど泣きそうである。
 しかしすぐさま、ショルダーコピーが抜久森の心を力強く励ますのだ。「知性の色」。そう、紺色は知性の色。そうか、俺は毎日毎日知らず知らず知性の色を取り入れようとしていたのだ。そうか、そうか、そうだったのか俺は。そして抜久森はハッとする。紺田さんが言っていたこと。「好きだから着ているだけじゃない」「テーマカラーっていうか、キーカラーっていうか」。そうか、そうか、そうか、そうだったのか紺田さんは。紺田さんはただ無難ってだけで、ましてやカレーが気楽に食べられるからってだけで、紺色を着ているわけじゃないのだ。紺田さんは本気で「紺」について考えている。間違いない。
 六見開きにも及ぶその記事を貪るように読み尽くす。記事は紺色を肯定する。場で浮かない、なにかと便利というだけで紺色を選ぶのでなく、紺色そのものの魅力を引き出し表現しようとする。「肌を体を、キレイに見せる」「大人にしかない色気」「新しい私」「着たい紺を着る」そして「紺でデート」。抜久森の想像力が臨界に達する。
 スマートフォンにいくつかの検索ワードをぶち込んで、気がつけば抜久森はファッション通販サイトを開いている。テレビCMでよく見るサイト。服をインターネットで買ったことはないのでこのサイトを開くのは初めてだ。サイトには無数のアイテムが溢れていてこのままではとても理想の買い物ができそうにはないが、商品検索の絞り込み条件にはきっとある、あるだろう、あるはずだ。……あった。条件「色」。震える指で「ネイビー」を選択する。紺色のアイテムだけが並ぶ。これは店頭でのショッピングでは絶対に不可能だ。手のひらの中の紺色専門店で、抜久森はアイテムをひとつひとつ見ていく。俺は、知性の色を、着こなす。着こなしたる。本気で考えながら抜久森はカレーも食わずつくらず土日を潰し、日曜の夜、厳選と熟考の末に紺色のセットアップを購入する。


「紺田さん、今度の土曜、空いてる?」本気で紺色について考えた抜久森にもう恐れるものはない。
「え、なんすか」
「カレー食べに行かないかなと思って」
「抜久森さん、カレー好きっすね」
「紺田さんはカレー嫌い?」
「いや、好きっすけど。この前もごちそうさまでした」
「いやいや、それは別に」
「で、なんで土曜なんすか、ここから遠いんすか」
「そうね、まあ、遠くもないんだけど、昼に抜けて行くのはちょっと難しいっていうか」
「へえ」
「またおごるし、いや、あの、よければだけど」抜久森の中で不安が急にもたげてくる。パーカの下に着ている紺色のTシャツの裾をぎゅっと掴む。
「いいっすよ」
「え」
「いっすよ、カレー。土曜日、空いてるんで。夜っすか?」
「え、いや、いやいやいやいや、昼、昼で」
「うす」
 抜久森の呼吸が今頃になって五秒止まり、倒れそうになるのをなんとか自席の椅子までたどり着いてどっかりと座る。パーカの下で紺色のTシャツがぐっしょり濡れている。
 金曜の夜、終業時刻きっかりに席を立ち「じゃ」と紺田さんに最低限の一声をかけてから抜久森は一目散に職場を後にする。誘う日を土曜にしたのはネットで買った紺色セットアップが届くのが金曜の夜だからである。職場は土日休みなのだから日曜でもよかったしなんなら週明けでもよかったのだけれど抜久森はどうしても待つことができない精神状態になっていたのだ。と思う。自分でもよくわからない。「知性の色」帰途の夜道でひとりぼそりと抜久森は呟く。そう、興奮のあまり一時的に自分を見失ったことは否めないが、そのために約束を取り付けられたのだから結果的によかったというもの。ただし、ここからの抜久森は違う。変わる。無難っていうだけ、浮かないっていうだけの抜久森じゃなくなる。
 帰宅して晩飯も食べずに配達を待つ。指定時刻に黒の段ボール箱が届き、アパートの玄関ドアがばたんと閉まると同時にその場で開封。透明なビニール袋にそれぞれふんわり包まれた紺色のジャケットと紺色のズボン。今までに抜久森が惰性で購入、所有、着用していたどんな紺色とも違う、本気の紺色セットアップが姿を現す。すぐにパンツ一丁になり着用する。試着せずに買った服ということに一抹の不安がよぎるが、サイズはぴったりだ。ズボンの丈が短い気がするがこれでいいのだこういうものなのだそこは今回のポイントだ。狭い玄関の姿見で、光量の足りない黄色がかった照明の下で、全身をくまなく眺める。いい。すごくいい。率直にいい。たしかに紺色のはずなのに、なんだか色味も今までとは違って見える。これが俺の知性の色か。これが、俺が着る紺色の魅力か。素肌にジャケットの前を開けたり閉めたりして抜久森は再び興奮しそうになるところを知性パワーで必死に鎮める。汗をかく直前ぎりぎりのところでジャケットとズボンをそろそろと脱いで、クローゼットのハンガーに掛ける。紺色のパジャマですやすやと眠る。
 ジャケットの中は灰色のTシャツにした。靴も、普段あまり履かない茶色の革靴にした。黒いショートソックスに、パンツは黒のボクサーブリーフ新品おろしたてだ。指一本触れなくてもちろん構わないが万が一触れることになることはやぶさかではないのだ。外はスカッと気持ちのいい晴れ模様。ぽかぽかとした春の陽気に足取りも自然と軽くなる。明るい午前の日差しの中、幼い子供と、それを見守る母や父。楽しそうに歩く数組の若い親子に向けた抜久森の眼差しは温かい。抜久森はすべての幸せを祝福したい気持ちで満たされている。地下鉄で待ち合わせの駅まで向かう。土曜の地下鉄は平日と違う顔が一度限りの位置関係で並ぶ。先頭車両の先頭に立って窓に映る自分の姿を凝視し続ける。やはり、違う。この紺色は違うな。紺色とひとくちにいってもその色味には様々な差があるものだが、この紺色はどう見てもひと味違う。いいな。いい。緩みそうな顔を知性パワーで引き締める。
 駅前の銅像の前には数人が立ったり台座に寄りかかったりしていて、そこに紺田さんがまだいないことを確認し、腕時計の時刻を確認して、抜久森は数歩離れたところに立つ。背筋が伸びる。そういえば紺色は背筋が伸びる色だということも『VERY』二〇一七年四月号には書かれていたと思い出す。今、人生で最も身長が高いと思う。
 紺田さんのことを待ちながら、とはいえ左手首のGショックによれば待ち合わせの時刻にはまだ三十分あるから、ほどほどに肩の力を抜いて道行く人をぼんやりと眺める。老若男女、お洒落な人も中にはいるが、圧倒的多数の人たちは服装にさほど頓着していないように見える。暗い色。無難な色。安全な色。前例の色。本気で考えていないんだろうなあと思う。真面目なことが悪いとは決して思わない、むしろ思わない。けれど、そうした人々の群がなんともやるせない塊として抜久森の胸に迫ってくる。背筋を意識して深呼吸。身長が自己最高記録を更新。ズボンのポケットに両手を突っ込む。絶妙に露出した足首を撫でる春風が冷たくも優しい。
 抜久森は最初、気づくことができない。たぶんそれは知らず知らずのうちにいつもの紺田さんを、つまりは紺色を着た紺田さんだけを検索条件として人の群を絞り込み、眺めていたからである。抜久森が気づいたときには紺田さんのほうはもうとっくにこちらに気づいた顔をしていて抜久森が想定していたよりもずっと至近距離にいて抜久森はしっかり心の準備ができていないことに気づくが今さら遅くて、そして紺田さんは白い。真っ白だ。全身が白のアイテムでコーディネートされている。ざっくりとした白いニット、タイトな白いデニム、ヒールの高い白いパンプス、小ぶりな白のハンドバッグ。明るめの茶髪はいつもと同じ色のはずなのにいつもとまったく意味合いが変わっている。
「おつかれさまっす」
「白い……」
「え?」
「真っ白」
「ああ、そうっすね、今日は仕事じゃないんで」
「仕事……あ、そうだね、そうだよね」
「抜久森さんも今日は紺色じゃないんすね」
「え?」
「珍しいっすね、上下で揃えて」
「あ、うん、え?」
「全身パープル」
「……え?」パープル。パープル。パープルパープルパープル。抜久森の頭が混乱し始める。パープルつまり紫ってこと俺が子供の頃は好きででもでもでもでも今は気恥ずかしい派手な色だと思っている紫すなわちパープルって、全身、これ、セットアップ、イッツブランニュー。
 検索条件は間違いなく「ネイビー」だった。それは何度も確認した。もちろんネイビー、イコール紺色にも色合いの違いはある。濃かったり薄かったり、黒に近かったり青に近かったり、赤みがかったものもある。そういった違いは抜久森が持っているアイテムの中にもある。店頭で見るとほとんど黒なんだけどタグにはネイビーって書いてあって本当かよって自然光の下で見ると確かに紺色というアイテムは、ある。それは知っている。知ってはいるがこれは、このケースは、初めてのインターネットファッションショッピングだった今回は。
 春のよく晴れた土曜のもうすぐ正午という爽やかな屋外。一点の曇りもない完璧な自然光。抜久森は自分の着ているジャケットの腕を見る。穿いているズボンを見る。
 抜久森は思う。これ、紫である。
 紫っぽいけど紺色だね、ではない。紺色っぽい紫だね、でもない。はっきりと、まさしく、抜久森が子供の頃に好きだった紫そのものである。
 スマートフォンの画面ではわからなかった。アパートの狭い玄関の光量の足りない黄色がかった照明の下ではわからなかった。地下鉄の窓に映る姿ではわからなかった。タグにネイビーと明記されていたかどうかはわからない。でも今ならわかる。これ、紫である。
「行きましょっか抜久森さん。抜久森さん?」
 頭のてっぺんから爪先まで抜久森の全身から汗が噴き出る。ジャケット、ズボン、Tシャツ、靴下、靴、パンツ。鞄は今日は持っていない。抜久森は今、まったく紺色を身につけていない。ジャケットの下で脇汗が灰色のTシャツを染め上げる音がする。だめだまずいこれはあかんだって紺色だと思っていたよ思っていたのにそれが紺色じゃないだなんてだって本気で考えたんだよ俺は本気でマジ本気でなのに本気で考えた俺の紺色が紫だっただなんてどういうことだよなんなんだよパープルって全身パープルって。すがるように紺田さんを見る。それでどうにかなるかもわからないが心の底からすがりたくて見る。しかし目の前の今日の紺田さんには紺色の成分が一片もない。真っ白である。眩しい。
 全身パープル。パープル。パープルパープルパープル。パーパーパーパープルプルプルプル。パープルパープルパープルパープルパーポーパーポーパーポーパーポー
「パアアアアアアアポオオオオオオオ」
 全身を震わせ掠れた声で絶叫し、抜久森はふらりとバランスを崩す。咄嗟に出そうとした足の履き慣れない革靴の硬い底がアスファルトのくぼみにとられて抜久森の伸びた背筋は直線のままで斜めに、そして水平になり、銅像の台座の角に頭をしたたか打ちつける。自然光のブラックアウト。


「いつまで寝てんだ!」
 野太い声と手荒い殴打で叩き起こされて抜久森は目を覚ます。屈強な壮年の男が鬼の形相で抜久森を見下ろしている。全身白のコーディネートだがヤンキーっぽくもギャルっぽくもない。紺田さんではないことだけが間違いない。
「とっとと持ち場につけこの野郎!」
 慌てて飛び起き、自分が全裸であることに気づき、枕元に畳まれていた服を急いで着用する。白い。すべて白い。下着はともかくそれ以外も全身白い。着用が終わった途端に汗が噴き出そうになるが、目の前には抜久森のことなど片手でひねり潰せるに違いない太い腕。わけのわからないまま靴を履く。靴だけが黒い革靴である。立ち上がって歩こうとすると足下がふらつく感じがする。打ちつけた頭のせいかもしれない。よろめきながらなんとか部屋を出て、わけもわからず持ち場へと向かう。
 そこはステンレス製の巨大な鍋がいくつも並ぶ調理場である。何人もの調理人が全身白のコスチュームで動き回り、怒鳴り散らかし、遮二無二作業に没頭している。後から着いてきた屈強な男に背中を強く小突かれてわけのわからないままに持ち場である鍋の前に立つ。鍋の中では見たことのない量のカレーが煮込まれている。
 カレーだ! と色めき立ったのも束の間、自分が白い服を着ていることを思い出し抜久森はその場から離れたくてたまらなくなる。カレーが跳ねるでしょうが。カレーが跳ねるでしょうが! ああ、いやだいやだいたたまれない、カレーはたいへんすばらしいけど白いのだけがいただけない。しかし、待てよ、落ち着け俺よ、調理人のコスチューム、仕事着が白いというのはこれ至極一般的というかスタンダードなものである。たしかにラーメン屋とか居酒屋とか色の濃いTシャツなんかで調理場に立つ店もあるがオーソドックスな調理人といえば洋の東西を問わず白のイメージだ。これはこういうものなのだ、跳ねたら跳ねたで仕方ないのだ、そうか、わけはわからないけれど俺の仕事はどうやらそういうことらしい。そう思い込むことに決めてなんとか精神の安定を保ちつつ抜久森は巨大な鍋と対峙する。どろどろのカレーが煮込まれている。最高の香りが立ち上り抜久森の鼻腔をくすぐる。唾液の分泌。血流の躍動。目の前の現象と向き合う。
 突然やかましいラッパの音が鳴り響き、調理場の中の人の流れ、作業の流れががらりと変わる。抜久森は人の波に呑まれるように調理場から押し出され、狭い通路を抜け、気がつくとがらんと広い空間にたどり着いている。どこまでも続く長いテーブルと夥しい椅子。食堂のようである。目にも留まらぬスピードでカレーが皿に盛りつけられていき、目にも留まらぬスピードで大勢の男達がカレーを受け取り席に着く。男達は皆屈強で、日に灼けた精悍な顔つきをして、そして紺色のコスチュームに身を包んでいる。全身が紺色である。紺色の群が同じ鍋のカレーを食う。数え切れない人数の人と人の差異がものすごい勢いで摩滅していく有様に抜久森は圧倒され、そして恍惚が訪れる。
 ふらつく足取りで食堂を出る。頭がじんじん熱くてたまらない。外の空気が吸いたい。薄暗くて狭い通路をあっちへふらふら、こっちへふらふら、壁にぶつかりながらもたれかかりながら、急な階段を上って、上って、曲がりくねって、外の空気の匂いがしてひときわ明るい光も見えて、ああ、自然光だ、こちらが外だ、なんとか階段を上りきって外に出ると真っ青な空。どこまでも続く海。そして物々しく何本も突き出た大砲。そこは軍艦の甲板である。ゆらり、ゆらりと足下が揺れる。真っ白な姿のままで必死に足を踏ん張って立つ。風に吹かれて飛ばされそうになる。踏ん張って立つ。深呼吸する。
 海の上にいるはずなのに風の中に潮の香りを感じないことに抜久森は気づく。潮の香りの代わりに抜久森の鼻腔をくすぐるのはカレーの香りである。どうしてだろう。調理場か食堂の空気が甲板まで流れてきているのだろうか、あるいは排気の関係か、はたまた服にカレーが跳ねてしまっていただろうか。抜久森は自分の着ている服を見る。一生懸命、いろんな角度で確認するがカレーの跳ねたところはどこにも見あたらない。一点の曇りもない白を身にまとっている。
 カレーの香りに誘われるように一歩、一歩慎重に歩いて甲板の端っこまでたどり着き、海を覗き込んで抜久森の疑問は氷解する。海は抜久森の知っている海ではなく、カレーの海である。どろどろに煮込まれて、適切な油脂分の中に具材の旨味が溶け出し調和して、絶妙な配合のスパイスがそれらをすべてまとめ上げた、最高のやつ。これまでに出会った中で最高のやつ。抜久森の腹が盛大に鳴り響く。抜久森は躊躇なくすべての服を脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てた服を畳む。生まれたままの姿でカレーの海に飛び込む。

〈了〉

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