木曜4限⑤/IPC & WOWOW パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」の番組批評を書く

5月6日の「メディア社会学方法論ゼミ」(木曜4限、2年生ゼミ)は、IPC & WOWOW パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」を視聴して、意見交換しました。見ていない人に紹介するような「番組批評」を書く視点で、それぞれが自由にコラムを書きました。
(掲載は執筆順にアップします。誤字なども直さず、そのまま転載)

タイトル「王者のマインド」
 「俺は最強だ。」
  この言葉は車いすテニスプレーヤー国枝慎吾がコート上で自分に言い聞かせている言葉である。試合中の弱気になりそうな場面で、この言葉を言い聞かせることで自身のマインドをコントロールしている。また、このような自己暗示をかけることで、どんなに緊迫した場面でも平常心を保てることが出来るのだと思う。
  国枝選手と言えば、抜群のチェアワークと正確無比なストロークが世界から評価されているが、本人の中での最大の武器はメンタルの強さだと言う。世界で一番を獲るようなアスリートに共通する特徴は、心技体のバランスが取れていることだと私は思っている。世界一を目指すのであれば、技術やフィジカル面はもちろんのこと、これらと同じくらいメンタル面が重要だということである。2006年当時、国枝選手は世界ランク10位前後を彷徨っており、王者とは言えない存在だった。ところが、同年1月にメンタルコーチのアン・クイン氏からメンタルトレーニングを受け始めると、数々の大会で好成績を収め、10ヶ月後には世界ランク1位になったという。このエピソードは、いかにメンタル面が重要かということを物語っている。
  こうしたメンタル面の強さが長年王者として君臨し続けた所以であると言えるが、実は前回大会のリオオリンピックでは右肘の怪我の影響もあり、まさかの準々決勝敗退を喫してしまった。つまり、今回の東京オリンピックでは挑戦者の立場となるわけだが、怪我も癒えてメンタルの強さが武器である国枝選手ならば必ず王者に返り咲いてくれると確信している。「俺は最強だ。」という言葉が数ヶ月後には現実となっていることを切に願っている。 
  最後に今回動画を視聴した国枝選手を含め、アスリートの皆さんは東京オリンピックの為に並々ならぬ努力を重ねてきたと思います。だから、どんな形であれ大会自体は開催してほしいと思っているため、東京オリンピックの開催には賛成の立場です。

障害と社会 『WHO I AM』〈ベアトリーチェ・ヴィオ選手〉を見て
 11歳で髄膜炎を発症し、両手足を切断した、イタリアのフェンシング、ベアトリーチェ・ヴィオ選手。両手足のないフェンシング選手は、世界で彼女だけである。そのような状況でも、2016年リオパラリンピックにて、彼女は金メダルを獲得した。彼女の強さの理由とはいったい何なのか。世界一となり、一躍有名となった彼女が思うこととは何なのだろうか。彼女の人としての強さを知れ、“障害”について改めて考えるきっかけをくれる番組である。
 フェンシングは、最低でも、手首と三本の指がなければできないといわれていた。しかし、「やってみたい」という一言で、両手足を失った後も、彼女はフェンシングを諦めずに続けてきた。他の選手と比べてもハンデが大きく、恐怖も大きいと思われるなか、その恐怖を困難を乗り越える力に変え、努力を続けてきたのである。その前向きな彼女の性格は、周りの人々にも影響を与え、チームメイトを引っ張る存在となった。リオパラリンピックの様子から、彼女のチームに対する思いが見える。メダルを取れなかった男子選手を見て涙を流し、その思いも胸に、彼女は個人戦で金メダルを獲得した。そして、団体戦では、チームのために戦い、メダル獲得に大きく貢献した。彼女は、スポーツも人生もチームが全てだという。誰も一人では勝てず、絶対に誰かが必要なのである。これは、彼女が周りの人々に支えられ、その大切さを身をもって感じてきたからこそ、持てる考えだろう。しかし、彼女を一番近くで支えてきた両親にとって、それは容易なことではなかった。両手足を無くした後も、彼女がフェンシングを続けられるよう、支援してくれる機関を探したが、そのようなものは一つもなく、障害をもってでもスポーツをするにはどうしたらよいのかという情報すら手に入らなかったのだ。そこで両親は、障害を持つ子供がスポーツを楽しめるようサポートをする団体を立ち上げた。このように、自分のために、そして同じように困っている子供たちのために行動をおこせる両親からのサポートは、彼女にとって、大きな支えとなっただろう。彼女の強さとは、彼女自身の前向きな努力と、それを支える周りの環境にあるのではないだろうか。
 彼女は将来について、このような具体的な目標を掲げている。それは、2024年にパラリンピック委員会に入り、2028年にはオリンピック委員会の会長に就任するということである。その目的は、これら2つの委員会を統合し1つにすること。そして、障がい者への偏見とパラリンピックの先入観を壊すことだという。彼女を見ていると、障害をも思わせない、強いパワーを感じる。「障害を恥じないで」「欠けていることは悪くない」「みんな同じなのはつまらない 違うことは美しい」「それぞれ違って当たり前」と、同じく障害を持つ子供たちに伝える彼女にとって、障害をもっていることは、そう大きなことではないのかもしれない。パラリンピックとオリンピックを分けて考えたり、メディアでパラリンピックがあまり話題に取り上げられなかったりと、障がい者に、“障害”のイメージを与えているのは、我々、社会なのではないだろうか。多様性へと方向が向かっている中、そして、東京パラリンピックの開催が近づいている中、社会の障がい者に対する意識を変えていく必要があるのではないだろうか。(1358文字)

「パラアスリートから学ぶ、今の生き方」
 今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス。先行きの見えないこの状況に不安を感じる人も多いのではないか。これは東京オリンピック・パラリンピック大会に関しても同じことが言えるだろう。予定されている開催日が目前に迫っているが、一部で中止を求める声もあがっている。このように混乱する世の中で私達はどうするべきなのか。そのヒントはパラアスリートが教えてくれるかもしれない。
 「WHO I AM」は、IPC(国際パラリンピック委員会)とWOWOWによるパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズである。東京パラリンピック大会に向けて、パラアスリート達の素顔に迫る。密着取材やインタビュー、サポートする周囲の人達の証言から彼らの個性を感じることができる。
 本シリーズの中からイギリスのカディーナ・コックス選手について取り上げる。この選手からは「気持ちを切り替えること」の重要性について学んだ。陸上競技でオリンピック出場を目指し、日々練習を続けてきたコックス選手。しかしある日突然多発性硬化症(MS)を発症する。手足のしびれなどの症状が現れ、精神的にもショックを受けた。しかしコックス選手は「パラリンピック出場」という新しい目標に向けて立ち上がったのだ。再発と緩和を繰り返す症状に負けまいと練習を始めた。また陸上競技は発症前よりも記録が落ちてしまい気持ちが落ち込んでしまうため、他の選択肢を探った。そこで新たに始めた競技がサイクリングだった。未経験にもかかわらず、持ち前の身体能力と精神力でトレーニングをこなした。このような「できないからあきらめる」のではなく、「できることをやる」という考えはコロナ禍において参考になるのではないか。様々なことが制限されても、前に進まなければ状況は変わらない。広い視野で挑戦をするということが大切であると思わせてくれた。
 この「WHO I AM」は今までパラスポーツと関わりがなかった人でも、自身とパラアスリートを重ね合わせることができる作品だ。パラリンピック・パラスポーツ・パラアスリートについて知ることは、今後の社会を考えることにつながるはずだ。

「四肢のない世界唯一の選手 ~金メダリスト“べべ”の強さの秘訣とは~」
  両手足のない車いすフェンシングの選手“ベアトリーチェ・ヴィオ”、通称ベベ。べべは、病気で両手足を失った。しかし、ベベは圧倒的な強さで、リオパラリンピックで金メダルを獲得した。彼女の強さの秘訣とは何だろうか。
 ベベは新しい義手を使い始めたが、うまく自分の思い通りに動かせない。靴ひもを結んだり、メイクをしたり。しかし、ベベはうまくいかなくても決して諦めない。どれだけ時間がかかったとしても努力を惜しまず挑戦し続ける。その姿は、まさしく強さの秘訣であり、見ている私達に、勇気と力を与えてくれ、諦めず挑戦することの大切さを強く感じさせてくれる。そして、娘の為に何度も立ち上がりどんな困難にも立ち向かっていく両親の姿。彼女の強さは、“挑戦し諦めない姿勢”だけではない。“家族の支え”や“家族との絆”があってこその強さなのである。
 「それぞれ違って当たり前。障害を恥じないで!」。ベベはこう語り、障害者への偏見を壊したいと強調している。まっすぐで素直なベベの強さに迫ったWOWOW「WHO I AM」のドキュメンタリー。“挑戦し諦めない姿勢”や“家族との絆”の大切さを気づかせてくれる。将来、社会に羽ばたいていく多くの若者に見てもらいたい作品である。

やりたいことに目を向けて生きる
 イタリアに、重い髄膜炎を患い四肢を失ったアスリートがいる。彼女の名は、ベアトリーチェ・ヴィオ。車いすフェンシングの選手である。この番組では、彼女のリオパラリンピックでの活躍に留まらず、日頃の練習風景や日常生活を追っている。番組内で語られるベベの言葉や姿勢は、まるで私たちの生き方を問うようだ。できないことや嫌いなことははっきりと相手に伝え、真正面から相手とぶつかる姿は、謙虚であることを良しとする日本人から見るとどこか羨ましくもある。彼女は、アスリートとしてのみならず、25歳以下のクリエイティブな若者が集まるファブリカで活動したり、誰もが活躍できるスポーツイベントに参加したりもしている。「パラリンピックの認識を変えたい」「障がい者への偏見を壊す」という意志のもと、ビジョンを持って行動し続けることで、彼女は多くの人から応援されるだけでなく、障がいによる差別や家庭環境に苦しみを抱えている人々を支えている。立ち止まらず、自分にできることをし続ける。彼女の人生は地道な努力の連続である。コロナ禍でできないことに目を向けがちな今日。自分のやりたいことを諦めていないか。人と違ったって良い。できることを探して、歩みを止めないことが自分の糧になるだろう。やりたいことがあるのにさまざまな理由で一歩を踏み出せない、そんな人に見てほしい番組である。

・(見出しはまだ)
 韓国の柔道パラリンピック界に多大な影響を与えたチェ・グァングンさんが、パラリンピック選手になるまでの経緯は想像を絶するものであった。
 彼は母の勧めで小学5年生で柔道を始める。当時は健常者として柔道に励んでいた。彼の成績はこの頃から素晴らしく、全国で入賞するまでの実力となっていた。しかし、彼が絶好調真っ只中であった高校生の頃、悲劇は起こった。練習中に相手選手の指が目に刺さってしまい、失明してしまったのだ。彼の母は柔道を勧めたことをひどく後悔したと言う。しかし、彼はそこで一切折れることはなかった。母に「柔道をやってよかった」ということを証明したい、そして「失明していてでも試合に勝ちたい」彼はその一心で健常者に混ざりながら練習を続けた。そんな彼の存在を知った、韓国柔道パラリンピック連盟のコーチの誘いを受け、パラリンピックの選手として練習をするようになる。そして、彼にとって初めてのパラリンピックである、2012年ロンドンパラリンピックで見事に優勝したのである。
 彼は、柔道で失明したにも関わらず、柔道を恨んだり恐れることなく、続けるという選択をした。人生の絶望に立ったとき、このような前向きな選択をできるだろうか。そして彼のこの前向きな性格は、他の選手に大きな影響を与えたのだ。
 目の不自由な柔道選手が、目が不自由であることを隠し、健常者と混ざって練習を行なっているという事例が韓国で多くあった。しかし、グァングンさんがパラリンピックで優勝したことにより、多くの選手に希望を与え、韓国の柔道パラリンピック選手はどんどん増えていったのだ。
 前向きな姿は、自分のみならず他人をも変え得る。どんな絶望にも立ち向かっていき、強い心を持って進んでいくということは、何よりも難しいことでありそして、誰よりも彼が強い証拠である。彼の一生懸命さらに向こうを目指す姿は我々視聴者をも元気付けてくれる。コロナ渦でやりたいことが思うようにできないというだけで終わらしてしまうのではなく、今できること、今だからこそできることは何かを探し、アクションを起こすということが大事であるということを彼は教えてくれた。コロナ渦で活気を失っている世界中の多くの人々に是非見てもらいたい番組である。

「強くなりたい」のその先に
 IPC(国際パラリンピック委員会)とWOWWOWが共同で進めているのが「WHO I AM」プロジェクトである。これは東京オリンピックまでの5年間にわたり、世界で活躍するパラアスリートに焦点を当てたドキュメンタリーシリーズだ。ここで紹介されているすべての選手が東京オリンピックでのメダルをひとつの目標としている。車いすテニス上地結衣選手もその1人だ。14歳で全国優勝、わずか20歳で世界ランク1位になるという輝かしい成績を持つ彼女の強さの秘訣とは何なのか。
日本滞在中は朝と午後2回の練習をこなしている。そこでみられるのは地味な練習。小さな乱れも見逃さず、細かく地味な練習をひとつひとつ重ねていく。「1回くらい少なくてもいいかな」と思ったことは一度もないというほど愚直なまでのストイックさである。なぜそこまで練習を続けられるのか。彼女をそこまで突き動かすものは何なのか。身長がほかの選手たちよりも低く、とどく範囲が狭い。下半身麻痺により、動かせる筋肉が少ない。相手の方が圧倒的にパワーが強い。それがどうした。そんなことは関係ない。ただ彼女は「誰にも負けたくない」だけなのだ。10歳で車いすに乗り、走ってボールを取ることができることに楽しさを見出したその時から負けないために練習を重ねてきた。そんな彼女は今、東京オリンピックで誰にも負けない存在になるために、新たな挑戦をしている。すべてはオリンピックという最高の舞台で金メダルを取るために。今まで私たちに感動をあたえてきてくれた彼女の決して一言では語れない努力とそのすべてが詰まっている。ぜひ多くのひとに見てもらいたい作品だ。

「初代王者の願い」
 「WHO I AM」は「世界中のパラアスリートたちの物語は、今こそ伝えられるべきである。」と称しWOWOWがIPC(国際パラリンピック委員会)とともに新たに発信するスポーツドキュメンタリーシリーズである。パラリンピックスノーボード初代金メダリストのエヴァン・ストロング。彼の強さとはいかなるものか。「WHO I AM」を通してその根底にあるものを知り、そして感じることができる。
 エヴァンは少年期、ハワイのマウイ島で育ちプロスケートボーダーを目指していた。しかし17歳のとき、バイクの運転中に車にはねられてしまい左足膝下を切断することを余儀なくされた。彼にとってスケートボードは全てであり、スポンサーもつき始めプロへの道が見えていた彼には致命的な事故であった。
 しかし彼は少年期に培った足腰を使った加速やターンを活かすことができるスノーボードと20歳で出会った。彼は「雪はコンクリートよりも柔らかくてこれだ!と思った」と話す。そして努力は実り、2014年パラリンピックソチ大会でスノーボードクロスの金メダルを獲得した。
 彼の強さは環境に対する感謝と常に先を見る前向きな姿勢にあるのだろう。番組内で彼は「マウイ島の環境に育てられた」と話し、また親族や医者、家族に対する感謝を惜しまない姿勢を何度も見せた。
 また彼は「ただの犠牲者にはなりたくなかった」と、薬物使用者であった事故の加害者女性に対して「加害者を刑務所に入れないこと」そして「代わりにリハビリ施設に入れ職業訓練をしてあげること」を裁判官にお願いした。事故の残像に囚われまいとする彼の前向きな姿勢は人並みではないと感じた。
 「世界中の人々に勇気を与えたい」と話す彼に間違いなく多くの人が救われたであろう。
 「WHO I AM」ではこのような選手を他にも多く知ることができる。この番組と出会えたことでオリンピックとパラリンピックがより楽しみとなった。新型コロナウイルスの影響で開催は難しいかもしれないが、さまざまなドラマを生み出し人々に勇気を与える大会をぜひ開催して欲しいと私は願う。

タイトル「精神力」
 イランのザーラ・ネマティさんは、18歳の時に交通事故に遭い、下半身の自由を失った。背骨がずれ、足を動かす神経が切れて、二度と歩けないと医師から言われた。彼女はこの出来事が人生の転機だったと語る。その理由はアーチェリーという競技にめぐりあえたからである。「心の格闘技」とも評されるアーチェリーは、精神的な安定性と高い集中力が最も重要だと言われているが、私は彼女には天職であろうと感じた。彼女は、事故に遭った後も痛みやつらさを口にすることなく、どんな時も笑おうとする底知れない精神力があるのだ。彼女が、健常者チームの一員としてもプレーできている要因であるとも感じた。また、ネマティは事故のおかげで自分の人生にチャンスが巡ってきたと話している。私は、物事をプラスに捉える天才だと思った。言葉にできないほどつらいことがもちろんあっただろうが、自分の人生に悲観することなく目標に向かっている姿勢は、学ぶものが多く、「人生に目標を見出さなくてはいけない」という彼女の言葉が、とても説得力のある言葉だと感じた。自分の人生に対して目標を見出すことの大切さを彼女から学んだ。
  今の彼女の目標は、「オリンピックで金メダルを獲ること」だけではない。「障害者の思考を目覚めさせること」である。自分と同じように障害を抱えている人に対して、自分たちはやればできるんだよ、ということを伝え、勇気づけたいそうだ。そのためにボランティア団体やリハビリ施設の運営に関わっている。私は、ネマティの行動は世界中の人を勇気づけると思う。どこまでも気持ちが真っ直ぐで、心が強い方だと感じた。

(続きは届き次第、転載していきます) 13日現在、9人。


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