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湖面が揺れる

12月、給湯器が壊れて、お湯が出なくなった。故障原因は「寒さのあまり給湯器が冷えて起動しなくなったから」とのことだった。寒い季節にこそ機能する役職としてあるまじき矛盾は無視して、銭湯を利用することにした。

住宅街を抜けて駅前通りを歩くこと15分、最寄りの銭湯はそこにある。最近リニューアルしたというその銭湯は、玄関が手動から自動ドアに変わっていた。入浴料470円を支払い、きちんと脱衣所で脱衣し、薄いタオルを首にかけて浴室へ向かった。

その日、銭湯には様々な人がいた。夢を語り合う学生3人組や、長いため息をつく中年サラリーマン。そして、背中に大きな龍の刺青が入った強面のお兄さん方。

おそらく普段の生活の中では顔を合わせることのない多種多様な人々が、皆同じように体を洗い、熱い風呂に身を寄せ合い、そして生まれたままの姿で適度に気を遣いながら行き交っていた。誰が入っても電気風呂は痛くて、水風呂は冷たかった。

誰にでも同じように降りかかる現実の象徴としての銭湯は、どのような人間も等しく受け入れ、決して何も押し付けない。その寛大さは母のようであった。銭湯に行くと必ず「人は皆、生まれる前は羊水に浮かんでいた」という事実にを想いを馳せてしまうのは、銭湯が母を想起させるからに違いない。

先述した強面のお兄さん方は、2人組だった。おそらく40代と思われるスキンヘッドの大柄な男性と、体は細いが付くべき箇所に筋肉がしっかりと付いた20代らしき男性の2人組だ。

僕が体を洗っていると、僕の左側に1人分のスペースを空けて、彼ら2人は陣取った。僕は勝手に、40代の方を親分、20代の方を子分とみなして、髪を洗うふりをしながら彼らの動きを目で追っていた。

先に体を洗い終えたのは親分だった。親分はシャワーヘッドを右手でしっかりと握り、飛沫が飛び散らないように左手をそっと添えていた。職人が包丁を研ぐような手つきで、肌についた泡を流していた。肩から腰へ水が流れると、泡に隠れていた背中の龍が露わになった。龍は、深い緑色の鱗に包まれていた。鱗がない腹部は赤く、その補色のコントラストはクリスマスツリーを思わせた。

龍の口角は、体を洗う前よりも少し上がって見えた。きれいに洗ってもらえて嬉しかったのかもしれない。龍は口元に牙をのぞかせながらも、銭湯にいる僕たちに分け隔てなく「メリークリスマス」と、12月の訪れを知らせてくれていた。僕たちは声なき声で「メリークリスマス」と返した。笑った龍を、しっかりと見ながら。

泡を流し終えた親分は大股でゆっくりと浴槽へ向かった。親分は、そのまま浴槽に「ザブン」と入るだろうという大方の予想を裏切り、浴槽に足を踏み入れる一歩手前で、何かを思い出したように踵を返した。

「おい!!」

銭湯に、親分の怒号が響いた。僕を含めてそこにいる全員が振り返り、親分を見た。僕たちは親分を見ているのだが、親分は決して僕を、僕たちを見ていませんようにと、全員が願っていた。

その願いが叶ったのか、果たして親分は僕たちのことを見てはいなかった。親分の視線は、間違いなく子分に向けられていた。子分はひるんだように立ち上がり、新雪を踏むようにゆっくりと戻ってくる親分を、ただじっと待っていた。

僕たちは、固唾を飲んで見守った。僕らはきっと同時に「ゴクリ」と音をたてた。風呂の湖面が揺れていた。ジャグジーではなく、僕たちの固唾がそうさせたのだろう。

親分は子分の目の前に立つと、大きく息を吸ってこう言った。

「洗顔フォーム、貸してくれ」

僕たちはまた、示し合わせたように固唾を飲んだ。『洗顔フォーム』とは何かの隠語であって、本当の平和は子分の返答の先にあると知っているかのようだった。子分は親分の目を見ながら、落ち着いて答えた。

「もちろんです。よく泡立てて使ってください」

そして親分は洗顔フォームを譲り受け(洗顔フォームは、隠語ではなく本当にただの洗顔フォームだった)子分の忠告通りよく泡立てて、乳母が赤子を抱くような丁寧な手つきで顔を洗っていた。

緊張感が抜けきらない僕たちは、任侠映画のエキストラのように、誰かが「カット」と言ってくれるのを待っていた。もちろん誰も言ってはくれないので、繁忙期に定時上がりする窓際社員のように、そろりそろりと各自の持ち場に戻っていった。

その日のお湯はことさらに熱く、水風呂はことさらに冷たかった。緊張から解き放たれた体は、刺激に対して敏感になっていたのかもしれない。華金のビールがことさらに美味しいように。僕は下戸なのでわからないが、そういうことなのだろうと思う。

告知

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『裏笑いが起きた瞬間爆破ライブ』
日時:12月11日(水) 20:00~
会場:中野Vスタジオ
料金:1000円

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『どっきん!』年末恒例!紅白歌うま合戦!
日時:12月21日(土) 17:30~
会場:新宿バティオス
料金:前売1000円

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『E-3セレクションバトル』
日時:12月22日(日) 12:30~
会場:下北沢シアターミネルヴァ
料金:前売1000円

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クライマックスを乗り越えた僕たちは、親分子分が浴室を出るまで、しかと見届けた。このとき僕たちには、共に苦楽を乗り越えた兄弟のような絆が生まれていた。さすがの学生たちも、再び夢を語り始めたのは、親分子分を見届けた後のことだった。

12月の寒い夜、母なる銭湯は、見ず知らずの僕たちを一瞬の家族に仕立て上げたのであった。

「ハァ〜〜」

気がつくと、中年サラリーマンの長いため息に皆が呼応していた。そしてまた、風呂の湖面が揺れていた。

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村上春樹『1Q84』文庫版、あと2冊でコンプリート。1冊およそ700円。やれやれ。

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プロダクション人力舎。コンビ「コガラシガーナ」。コントユニット 「シカゴ・ブルーズ」。オリジナルソングユニット「くぼ倉庫」。短歌。栃木県さくら市出身。YouTube、Instagram、Twitterはこちら【https://linktr.ee/suzukigeno
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