「沈黙の檻」(堂場瞬一著、中公文庫刊)

 17年前の事件で犯人と目されながらも逮捕されることの無かった運送会社社長の周辺で事件が起き、彼を守る立場で主人公が捜査を開始する。当時の捜査員たちが今も彼を有罪と確信する中、主人公は一連の事件の核心に迫る。


 登場する人物の心理や警察の捜査活動を、詳細かつ緻密に描いていく著者の力量はいつもながら圧巻だが、どうにも腑に落ちない点をいくつも見つけてしまうのは、その緻密さと同じくらいこの著者に関してはいつもながらのことである。

 ここからはネタバレ注意で読んでいただくとして、17年前の事件の犯人として後半明らかになる人物。誰もが予想していた通りの人物であることにまず違和感。「まんま犯人なのに、なんで当時検挙できなかったの?」というごく当たり前の感想。

 なぜ真相がわからずじまいに終わったかということが次第に描かれていくのだが、それもまた「え?なんで?」の連続である。常識で考えてみるとわかるが、性格も個人差たっぷりの社員が何人もいたのに、そのいずれもがうまく立ち回って捜査員たちの目をごまかしていたというのは、あまりに無理がある。

 無理があるからこそ、事件から17年後の現在、主人公が発したたった一言のキーワードによってある人物が動揺してしまい、それをきっかけに17年間隠していた真相がばれてしまったくらいなのである。その程度のことでばれてしまうのに、17年前はその職場にいた社員全員がうまく口裏を合わせて捜査員全員から真相を隠した、などという非現実的なことを、小説のキモにするのはそもそも間違いであろう。しかもその真相というのは、それが原因で会社を辞めた人物に聞けばすぐに分かってしまうようなことなのである。会社を辞めた人物というのも一人や二人ではなくたくさんいて、そのうち誰か一人が喋ってしまえばすぐに事情が分かる話である。社員の間だけで口裏を合わせたところで、真相を隠せるわけがない。全体としてかなりご都合主義的な展開のような印象を受ける。

 当たり前のことを言うようだが、仮に誰かが殺されたら、カネがらみと女がらみを先ず真っ先に疑うのはごく普通のことではないだろうか。

 物語の最後、真実を知った主人公は、杓子定規に法律を適用することに疑問を感じ、葛藤して、最終的にはある決断をする。

 しかしこれは、何か違う気がする。ある法務大臣が、「私は死刑反対の立場だから、死刑執行のサインはしない」と言ったことがある。死刑反対の立場を優先するなら、死刑執行のサインが職務に含まれている法務大臣という役職にそもそも就くべきでない、と考えるのが筋というものだ。本書はあくまでフィクションとはいえ、描かれる事件は、杓子定規な法律の適用を曲げるほどの特殊事情があるようにも見えないし、ごく普通に処理すればいい事件ではないのか。

 最後に、落ち着いた大人の雰囲気で主人公の癒し(?)となっていたある女性の真実が明らかとなる。主人公に過去のことを示唆されると態度が一変。「全部知ってるんでしょう?」と吐き捨てる。と、ここで思う。落ち着いた大人の女性と見えていたのは虚栄であり、この吐き捨てるような態度こそが真実の姿である、と。一時の怒りでつい取ってしまった態度、には見えない。とはいえ、こういうヒステリーが描かれると、「あ、これは真実だ。よく書けてるなぁ」と感心するのだから、堂場瞬一の実力は確かである(皮肉か)。

 本文中、「捜査は発酵。手に入れた材料を詰めてひたすら待つといつのまにか発酵が始まり、最初は見えてなかったものが見えてくる」というようなくだりがある。これは実に的を射た言葉だと思い、この点については同意する。

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