天職に気づくために必要なこと
結局、自分は何をしたいのだろう?
あなたも自分に問いかけたことはありませんか?キャリアデザインを考える会社員だけではなく、起業していてもこの問いはどことなく沸き上がってくる瞬間があります。
ましてや、「思考の整理」の世界では、史上最多登場の命題です。
でね、僕自身、この問いの回答を見つけるにはやっぱりこれが必要だなって思うことがあります。それは、究極的には2つです。
(1) 自分自身の才能に気づくこと
(2) 目の前の衝動をひたすら続けること
1.才能に気づくこと
才能という言葉を聞くと、天性のもの、生まれ持ったものと思われがちですよね。実際は、努力によって獲得する力なので後天的についてくる「スキル×センス」みたいなものと解釈しています。
仮にはじめは嫌なことであっても、それが好きなことであっても、一定の努力を継続すると、これは自信が持てる!と気づく瞬間があります。
これが才能に気づく瞬間だと思うんですよね。
詳しくは、こちらのお勧めの書籍もご参照ください。
かなりのオススメです。
問題は、自分が自信を持てるスキルとセンスの融合体である「才能」にどう気づくかっていう話ですね。
誤解を恐れずに極論言うと、はじめの第一歩目は何も考えない方が、自分の才能への道が開けるものだと考えます。
「あれ?意識していなかったけど、〇〇の分野では色々とできるスキルが身についているなぁ、物事を判断するセンスが身についているかも。だって、これで人が喜んでくれるしな。」
はじめの第一歩目が、このツブヤキに変わった時、天職の扉が一気に開ける気がします。
つまり、やりたいことの正解を自分の中で出てから動くのではなく、何も考えずに動いてから正解の道筋が見えてくるという意味です。
× 正解を考える(頭)→行動する(手足)
〇 行動する(手足)→正解を考える(頭)
2.衝動どおりに動き続けること
才能に気づけば、今度は衝動に従って一定期間「やり続ける」ことです。
たとえば、3か月間、1年と期限を設定してもよいでしょう。ここで自分は3日坊主で続かないからなどと決めつける必要はありません。実際に3日でやめてしまうならそれでもOKだと思うのです。
才能に気づいても、衝動がついて来ないのであれば、それは天職と捉えないだけで、真の天職にありつくための糧になることでしょう。また才能を軸に方向性を変えてピボットすることもできるでしょう。
分野を変えれば、ハマるテーマも世の中にはありますから。
他人の視線や世間の風潮など無視して、自分の衝動を確かめる意味でも、いったん継続すると見えてくるものがありますよというお話です。
ストイックに続けることが目的ではありませんので、どうか苦しみながらの継続で自己嫌悪に陥らないようにご注意くださいね。
3.僕が天職に出会うまで
正直言って、僕は”天職”という言葉を日々意識しているわけではありません。ただ、やっていることが変わっても、不変的な部分が天職だとすれば、すでに出会っているのでしょう。
思考を整理することを通じて人の可能性を最大化すること。
その手段は、話す・書く・教えるの3点セットにて。
形式は、会社としてビジネス展開することで極大化を目指すこと。
表現するならこうなりましょうか。
25歳で起業してからもうすぐ満20年。
20歳の時に単なるサラリーマンではなく自分の道を自分で描きたい。生意気にもそう決意し、22の時に大学卒業し、3年間だけ会社員をしました。
新卒3年後には起業して当初はパソコン教室やインストラクターの派遣事業を、その後、コンサルのような仕事をはじめいつしか本職に。その後、研修事業を行い、本を書き、講演するように。
コトの経緯は過去の投稿をご覧ください。
紆余曲折しながら試行錯誤し、迷走も多かったこの20年ですが、衝動通りに動き続けていると、一貫していることがあるなと気づく瞬間が出てきました。「話す・書く・教える」という目の前のことがやっぱり好きで、評価をいただき続けたこと。
最終的には、顧客から「あなたと話していると、どんどん頭がスッキリしてくるわ。たとえれば、”思考の整理家”やね」と声をかけてもらうことが増えました。
「お前最高!学べた!」
こう声をかけてもらえれば、そりゃぁ、やっぱり才能だー!と気づきますよね。
10年以上も目の前の光景を繰り返していると、さすがに自分でもスキルとセンスが身につき、「これ、才能かも?」という大きな気づきを得てくるものです。
後は才能を極大化していこう。それが社会にとって価値があるのなら。こうして、天職の扉が開いていったのです。
若気の至りで、将来は上場企業をつくる!年収1億円だ!と20歳の時に描いた思いは、形を変えてまったく方向性が異なる思わぬ天職につながっていったのです。
正解を考え出す前に、行動してから答え合わせをする。
才能に気づき、天職の扉を開く本質はコレだと体験的に知りましたね。
4.これは天職の扉かも
ここで、最近、注目している方の軌跡を通じて一つケーススタディをしてみましょうか。
オンライン講義を放送するプラットフォームの「スクー」というサービスがあります。このサービスでは毎日生放送で、各種学びコンテンツを配信されています。
で、受講生の中に講義内容を毎日のようにグラフィックレコーディング(グラレコ)してSNSで公開(1年以上継続)している「ネコっちさん」という方がいらっしゃいます。僕の講義動画もグラレコいただいているので、そこで初めて存在に気づきました。
たとえばこんな感じのグラレコ。
このネコっちさんが実に興味深いのです。
なぜ、これほどの秀逸なグラレコを毎日アップできるのか?、いや毎日アップしているのか?労力大変でしょう?毎日の継続はしんどくない?などと内心思っていたのですが、少し事情が違うようです。
講義で出てくる講師の一番輝く瞬間を記録しておきたいという衝動が、単なる記録のためでも、誰かのための奉仕でもなく、自然にグラレコの表現に向かわせているようなのです。
それを毎日続けていくと、今度は何が起きたのか。
僕を含め、グラレコを観た講師たちが喜びその才能を評価し、称賛と感謝の声が連日返ってきているのです。そして講師たち(ある種のインフルエンサー)は、自然と口コミして巷で広がりを見せ始めている状況。
さらに、グラレコという形式で表現することで、単なる記録ではなく講師の伝える行為をサポートする、共創する役割があるんだ!という大きな気づきを得られたようです。
とどめとして、自分自身の中に芽生えた気づきは、ついに言語化がなされていきました。
人々の一番輝いてる瞬間をとらえるのが好き
これを才能と言わずしてなんというのでしょうか?
これを天職への扉と言わずしてなんというのでしょうか?
※詳しくは以下を
5.天職の解像度は気にしないこと
天職を見つけたいと思ったとき、そのゴールは具体的でなければ納得できない!と感じる人がいます。一方で既に天職のイメージがクリアになっている人もいます。
たとえば、
「戦地へ行って学校をたくさんつくること。これにより恵まれない国の将来に力を添えたい。それが私の生きる道。」
「非効率な業務をAIで効率化することで、面倒な作業から人を開放したい。僕はこう考えてAIのシステムを開発している時が天職を感じる。」
天職の解像度が高ければ高いほど、人に説明しやすいことでしょう。理解もされやすいでしょう。しかし、解像度が低ければ天職とは言えない!というのは少し極論な捉え方です。
何も考えず正解を求めず動いてみること、できれば衝動のとおりに。
一定期間継続すると、スキルとセンスが身につき自分の才能に気づく瞬間があるでしょう。その時こそ、まずは天職への扉の前まではたどり着いたと言えるのではないでしょうか?
才能を今度は他人のために、社会のために極大化していくと、結果として自分自身のためとなり、気持ちいい衝動に変化していく。ここまでくると扉が開き、真の天職になるかもしれませんね。
だから、はじめは解像度が低くてもいいのです。
才能に気づけば、天職につながる方向性(扉)だけは見えてきます。また、他人が見つけてくれるかもしれません。まだ、この段階では抽象度が高く解像度が低いのは自然なことなのです。
<まとめ>
1.衝動どおりにとにかく動き回る
2.ご縁を大切にすることで選択肢を増出
3.一定期間やり続ける
4.スキルとセンスが身につく
5.才能に気づいて天職の扉と出会う
6.他人と社会への価値を極大化
7.真の自分の天職を知る
※注意点※
はじめは、天職の解像度にこだわらないこと。
今回は、あなたの人生やキャリアの一隅を照らすキッカケになればと思い、投稿しました。お役に立てば幸いです。
著者・思考の整理家 鈴木 進介
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