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製粉所のちっちゃな夢の物語

さっきまで降っていた小雨が、いつの間にか白く変わり、製粉所の中はキーンと静まり返る。
今年も我々蕎麦業界のクライマックス「年越しそば」の季節がやって来た。連夜の製粉作業で人間は疲労困憊しているが、石臼はすこぶる調子がイイ。

ゴリゴリ
ゴリゴリ

安山岩や花崗岩の石臼たちがこすれ合い、重低音でこだまする。

「うん、いい粉だ。」

焙煎されたナッツのような甘い香りを放ち、粉雪のように挽き上がるさまに、身も心も癒される。
一定のリズムで流れる石臼の音色を無意識に受け取りながら、机の隅に置いてあったダージリンの缶を無意識に開ける。

無意識に窓の外に目を向けると、
早足で散歩するラブラドール・レトリーバーの真っ白い息が、飼い主のそれと同化して鈍色の空に消えていった。

・・・・・

カランカラ~ン

営業時間もとっくに終わった頃、締め忘れた玄関の扉に取り付けていた鈴の音が、製粉所内に響き渡る。
反射的にその音に視線を向けると、人影がポツリ。
業務用中心の製粉所だが、たまに個人のお客さまも訪れる。

「いらっしゃいませ。」

特にこの時期になると、思い出したようにそば打ちをする、素人のお客さまがそば粉を買いに来るのだ。

「そば粉ください。」

聞きなれた客層の声とは明らかに異なる、若くて艶のある女性の声。

「はい・・・えっ!?」

意表をつかれて入り口に視線を移すと、ピンクのマフラーを鼻の上くらいまで巻いた、20代のOL風の女性が一人。
芸能人で言うと、髪の長い新垣結衣。

「えっ!?」

うちには、とてもとても珍しいお客さまだ。
冴えない水墨画の世界だったモノトーンの製粉所が、たった一瞬で、ヒロ・ヤマガタ的パステルカラーに大変身する。

「はいはい。え、えっと・・・よく蕎麦打たれるんですか?」

「いえ、私は打ったことないんですが・・・おじいちゃんがよく打ってくれるんです。」

「そ、そうですか。いいおじいちゃんですね。どんな蕎麦を打たれるんですか?」

「田舎に住んでるくせに、綺麗な蕎麦打つんですよ。細くって。おじいちゃん蕎麦打ち名人なんです。」

とすると、こんな感じの粉かな・・・と、お薦めのそば粉を選んでると、

「でも今年は、私が蕎麦打ちしておじいちゃんをびっくりさせようと思ってるんです。」

「なるほど。何度かお蕎麦打たれたことあるんですか?」

「それが・・・。おじいちゃんが打ってるのを何度か見ただけなんで、動画でも見ながら打ってみようかと・・・。」

「そうですか、じゃあ、小麦粉のつなぎをいっぱい入れた方がいいかもしれませんね。」

「あのー。蕎麦の事詳しく知りたいんですが、お忙しいですよね?」

「え?はい?いえ、何でもお答えしますよ。」

「本当ですかぁ?じゃあ・・・えっとぉ・・・ここでそば打ちを教えてもらうなんて・・・そんなの無理ですよねぇ??」

ゴリゴリ
ゴリゴリ

屈託のない笑顔が放つ甘いレモンの匂いと、挽砕されたてのそば粉が放つ甘いナッツの匂いがマリアージュして、私の冷静な思考を強烈に揺さぶる。

「え?あ、ああ、いいですよ。下の階にそば打ち場があるんで打ってみますか?」

「本当ですか!?やったぁ!ぜひぜひよろしくお願いします!」

夢のような神展開に自分でも戸惑いながらも、コンデンスミルク入りのホットミルクを一気に飲み込んだような、甘~くてぽっかぽかの気分に。

「厚かましくてごめんなさい。本当はお忙しいんでしょう?」

「いえいえ、全然。ちょうど暇してたんですよ。ほんとほんと。あははは、あははは・・・。」

製粉所って・・・た、楽しい!

・・・・・

そんな、全くありえないシチュエーションを妄想しながら、今日もひとり蕎麦を挽く。
窓の外では国道を走る車のヘッドライトが、雪の白い粒を大きく照らす。

ゴリゴリ
ゴリゴリ

「今年もあんまりいいこと無かったなぁ。」

ゴリゴリ
ゴリゴリ

ほんの3分前に淹れたダージリンの中から放つ苦いレモンの匂いと、製粉所に漂う甘いナッツの匂いが、混じることもなく私の鼻腔に届く。

気がつけば、製粉所の三角屋根は、真っ黒の夕闇と真っ白の雪に包まれていた。

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