日本の美の価値基準って狭くない?
石原さとみに近づく為に、皆がメイクで工夫を凝らしている。
人中は短くしましょう。唇は美味しそうに見えるように、ぷっくりさせましょう。
その為に、日本中の美容感度の高い女子は「人中 狭め方」と検索をかけ、鼻の辺りにもダークグレーのシェーディングを施した。美味しそうに見られたいから、オーバーラインに唇を縁取った。
顔の形は卵型が望ましいですね。丸顔の人、面長の人、エラが張っている人、大丈夫ですよ。顔の輪郭はシェーディングで補正出来ます。このガイドラインに従って、補正してみましょうね。面長なら涙袋必須。顔の長さを緩和出来るから。
彼女は、昨日よりも可愛くなりたいから、鏡に向かって涙袋を作ろうとする。
口では「多様化する美しさ」を謳いながらも、美しさの基準は何と狭いことか。
流行りの女優には、女性の美的基準を自分に寄せる、そんな吸引力があるように思えてならない。
そんな状況に慣れていたから、久しぶりにフランス映画を見てびっくりした。
映画「イヴォンヌの香り」より
……え?面長だ。人中長くない?唇薄いね。
これでいいの?これも「美しさ」としていいの?
もしかすると、今人気の女優さんとは美しさのベクトルは違っていたかもしれない。
でも、その女優には確固たる自信があるのが窺えた。
「外野は関係ない。私こそが一番美しい」
そんな声が聞こえてくるようで。
私は、ふと考え込んでみた。
雑誌の特集で、「丸顔の童顔がコンプレックスで。大人っぽく見られたいんです。」と語る彼女のbefore afterが載っているのを見たことがある。
え?beforeの方が可愛くない?
そう思ったことありませんか?
名も知らない彼女は、顔に濃いシェーディングを施され、髪の毛をふわっとお姉さんっぽく巻かれ、濃いベリー色のリップを付けられていた。
確かに大人っぽく見えるかもしれない。
でも、いくら誌面で大人っぽく見せたとしても、喋った時に滲み出る雰囲気や瞳の動かし方一つで、可愛いに転ぶのだ。
メイクは仮面にはなるが、無敵の仮面ではない。
それよりも、新聞を読んだり、語彙を増やしたり、ゆっくり低い声で話す方が、遥かに大人っぽくなる。
内面から滲み出る教養が大人にさせるのだと思う。
「面長だから、間延びした顔立ちを緩和するために、ぷっくりした涙袋とオーバーラインのリップラインは欠かせません。」
でも、あなたのクールな雰囲気にそのメイクは不釣り合いだよ。もっとありのままでいいのにな。
「橋本環奈みたいな目になりたくて。自分の目は好きじゃない。」
でも、カラコンにすると、その人の本当の気持ちは、顔を覗き込んでも分からない。
不自然な膜が私とあなたの間に壁を作る。
つらつら訳知った風に語ってみたが、私だってTwitterでバズったテクニックは勿論試す。メイクだけでも悪女になりたいし、海外コスメを用いた、別人になれるメイクだって大好きだ。
でも、自分の美しさをプロデュース出来るのは、やはり自分しかいない。
ふと顔を上げると、今日は良い天気だ。
思い切って前髪を上げてみるのもいいかもしれない。
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