「ウィズコロナ」時代のこれから。何のためにやるのかを見直そう。

行動するきっかけになるココロの背景というものを知ったのは、恥ずかしながらコーチングや心理学を学びこの仕事についてから。

何のためにやるのか?

セッションで何度となく伺っていくフレーズだ。
企業案件になると役割としての答えが返ってくることもしばしば。
(そうしなくてはいけないと思っているから)
(私の意見ではありませんが)という前置きがつきそう。

わたし自身も「何のためにやるのか?」を深く考えずに反応と反射的な行動が多かったと思う。
「何となくよさそう」という安易な憧れからスタートしたことは、結果行動量が圧倒的に足りなくって達成しなかったとか
やると決めたのに、フラフラと誘惑に負けて結果あかんかったなんていうのは、特に多い。
「ダイエットするぞー」と旗揚げしたにもかかわらず、美味しそうなお誘いがあるとホイホイとついていく。
元の木阿弥。チーン。
なんてことは、数百回?いや数千回もあるだろう。

メンタルのダメージが大きかったのは、自分では、「かなりいけてる!」とおもって慢心していたときに上司から痛恨のダメ出しをくらったとき。
「あーこんなにやってるのになんだよ」という反発心なんかが出てきたりした。(振り返ると自分の厚かましさに、びっくりするね。穴でもほって埋まっていたい)

母が死んだあとや、
息子が大学に受かって県外に行ったあとや、
娘も社会人になったあと
正直、人生のやるべきことがすべてお終い
かなり終わったモードになった。

いわゆる燃え尽き症候群(バーンアウト)っていわれるやつね。

反応と反射で、周囲に標準をあわせて過ごしてきた時代の失敗エピソードをあげていったらキリがない。人生という実地でたくさん検証してきたからこそ、学びがココロに「じんわ~り」染みわたってくるよね。
(馬鹿でアホなほど、学べてる。ありがたい)

行動のきっかけを検証する4つの軸

動機と行動

(これは、私がクライアントに説明している行動の動機と傾向の表です)

外的基準というのは、所属している領域で大切にしている価値基準や当たり前とされていること。所属の領域が変わると、変化するものでもある。幼少期なんかは、親の持つ価値基準や学校が領域になっているし、大人になったら所属先の例えば会社やコミュニティ。でさらにいうと、自分が解釈したというところがもう1点注意が必要なところ。本当かもしれないし、自分がそう解釈してセットしてしまっているなんてのもある。

内的基準というのは、自分の感覚や感情に起因する。どちらかというと嬉しいとか、楽しい感覚。(人のために頑張っている人ほど、この内的な感覚を忘れてしまっていることが多い)

内発的動機は、学者さんそれぞれが、いろんな表現をされているけど。私の解釈としては、没頭したり、夢中になってしまうようなこと。いつのまにかやっているとか勝手に動いちゃったとか。やるなと言われてもついつい。好奇心や探求心、向上心がもとになっているきっかけと捉えてる。

外発的動機は、自分以外のものから、もたらされるものがきっかけになる。例えば、報酬とか褒められるとか。評価、点数表記。外からの刺激なんかが、あてはまる。

この4つの視点は、自分の行動をみなおすときや相手に関わるときには、とても重要。燃え尽き症候群(バーンアウト)なんかは、外的な属性の基準を軸に、外発的動機によって自分を動かしていく典型的なパターン。何か問題や課題の障壁に、ぶつかると折れてしまう。私みたいに対象の存在が遠のいたとき、焦燥感がでてきたなんてのが当てはまる。

責任や義務感、必要性で動いているとか期待されている役割を演じているなんて人もここのパターンに当てはまる。

無意識に、あるいは意識的にひとは、選択して自分で決めて動いている。だけど、実際には、決めている心の裏側の基準やきっかけを知らずに行動していることが多い。

いま、このコロナ禍で、気持ちの浮き沈みがあるとか自分を責めたり、他人や環境を責めたくなっているなんて人は、一度、これからの行動の原点をしっかりとみきわめて動いてほしい。

自分で理解して行動していないとまた、つまづいた時の反動が大きくでてしまう。頑張りすぎている人ほど、立て直すのが大変になると思うから。



みなさんからサポートしていただけると「書いてよかった!」とはげみになります!ありがとうございます!