スージー鈴木11/23発売の新刊『大人のブルーハーツ』~「まえがき」無料公開
■PROLOGUE~もう一度、ブルーハーツを
タイトル『大人のブルーハーツ』とは、「大人になった私たちが、今あらためて読むブルーハーツ」という意味です。当時の私たちが、震えながら聴いていた彼らの音楽。
あれから、そろそろ40年もが経とうとしていて、恋愛や仕事、成功や失敗、出会いや別れ、時には死別――様々な経験を重ねてきた私たちが、今あらためて聴いたら、あの頃とは異なる震え方をするのではないか。そう思って、書き進めました。
私がどのように震えたか、どれほどに喚起されたかは、本編に譲るとして、でも、いちばん大切なことを先出しすれば、何というか、しっかり生き抜こうと思ったのです。
57歳にしては、ちょっとまぬけな言い草ですが、本当なのだからしょうがない。だから、まずは同世代の「大人」に捧げたい一冊です。
次に、私よりちょっと下の世代の「大人」の方々が抱きがちな「暑苦しい懐メロ」「カラオケで大暴れしながら歌う音楽」、さらには「落ち込んだときに聴いて元気とハッピーをくれる曲」などという、いつのまにか冷凍保存された、薄っぺらなイメージを解凍したいという目論見もあるのです。
そしてもうひとつ、もうひとりの想定読者がいるとすれば、それはおそらく「大人」になりたての「令和のブルーハーツ」予備軍。今、マイクを握って、ギターを抱えて、音楽を志している若者に、還暦間近のオヤジが、未だに、これだけの連想、空想、たまに妄想を繰り広げられるブルーハーツの言葉の重みを感じてほしい。そして、ズンと体重が乗った言葉を書いてやる、歌ってやるぞと思ってほしい。
本家のように、みずみずしく純度の高い言葉を放つロックンローラーが、なぜ出てこないのか。いたとしてもなぜ聴こえてこないのか。いつか、本書を読んで触発された「令和のブルーハーツ」がぽつぽつと湧き出てくる日を夢見て――。
話は再度、私と同世代の「大人」に戻ります。経験と知識を重ねたはずの私たちが、音楽、文化、政治、社会、さらには個人史─と、様々な視点を投入して、ブルーハーツの言葉を、自由に自分なりにあらためて噛み砕く。これが楽しい。大人になってブルーハーツを語ることは悦楽なのです。
なお、現時点(24年10月)で、彼らの音楽はサブスクにいっさい入っていません。なので、今やちょっと懐かしいCDを引っ張り出して、読んでください。
そのとき、CDプレーヤーは少しだけいばって、こう言うことでしょう─「終わらない歌を歌おう。人生の最期まで終わらない歌を」。
もう一度、ブルーハーツを。さぁ、ご一緒に。