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【完全仮想ドキュメント小説】M-1東西頂上決戦~東京漫才は大阪に勝てるか!?(2008年6月作)

(注)2008年夏に某誌の「東京特集」に掲載されたものです。言うまでもありませんが、この小説の内容はすべてフィクションです。

2008年大晦日、日本の漫才界の「頂上」をなす10組のコンビが東西に分かれて激突する「M-1東西頂上決戦」が開催された。ここ数年、大阪勢に押されてきた東京漫才はここで一矢を報いることができるのか?

■オープニング~さばサーモン

「はーいどーもー、さばサーモンですー」

「頂上決戦」と銘打った割には比較的無名のコンビから始まった。それもそのはず。このさばサーモンは一週間前に行われた「M-1グランプリ2008」の優勝コンビであり「M-1優勝枠」としてこの大会に出場したのだ。

08年の大晦日。史上初のM-1東西頂上決戦の火ぶたが、今まさに切られようとしている。

01年に始まり、日本の漫才界、ひいてはお笑い界を席巻したM-1グランプリ。何千ものコンビが出場をかけて予選に挑み、この大会で優勝したコンビは必ずブレイクすると言われる。

ただし、すべてのコンビが出場できるわけではない。「結成十年以内のコンビに限る」……これがM-1の唯一にして最大のルール。また、大阪の漫才師の優勝が続いており、東京の漫才師が優勝したのは過去たったの2回。

そんな中、東京のお笑いファンの間である「妄想」が広がった。「結成十年という枠を外して東西の最高の漫才師が激突すれば、東京が勝つ!」

そんな妄想がネットへの書きこみで広がり、「東西頂上決戦」を求める声が最高に盛り上がった08年夏、ついにM-1発起人、島田紳ノ助が動いた。

M-1東西頂上決戦。「頂上」にふさわしい漫才師が東西それぞれ五組、計十組集結し、総合得点を競う。審査するのは、島田紳ノ助、立川談五、ヤモリ、明石家いわし、高田文吉、桂四枝、志村コンという、実に「頂上」なメンバー。

当初、会場はM-1グランプリ同様テレビ朝日のスタジオを予定していたのだが、西軍から東京開催はフェアじゃないとの指摘があり、結果、中間地点の名古屋大須演芸場が選ばれた。

さばサーモンは、M-1優勝の勢いもあり割とウケながらネタを終了。後から判明したことだが、番組の視聴率はこのときすでに東京25%、大阪35%を叩き出していたのであった。

■ツナサンドマン~まえだおのだ~東京ダイナミック

次は東軍。昨年のM-1優勝コンビ、ツナサンドマン。しかし笑いはまばらであった。百戦錬磨の彼らもこの場では新人と同様ということか。

続いて西軍からM-1第2回優勝、まえだおのだ。「パァ!出たっ!」おのだのいつものギャグに始まり、ボケのまえだが続ける。「東京漫才師育成ゲーム、やろか」。

02年のM-1最終決戦における『漫才師育成ゲーム』のネタを下敷きにしながら、その内容は「東京の漫才師は漫才の練習をせんとフリップを書く練習ばかりしてる」など、バラエティ番組が本業となっている東京漫才を徹底的にコキおろすもの。

しかしこれが実にウケまくった。対する東京ダイナミックは着物に刀持参で登場するも、まえだの毒気にあてられ不発。西軍、ノリノリである。

■激笑問題

ここで攻守交替、東京ダイナミックに続いて激笑問題と、東軍が続いて登場。いうまでもなくその知性と発想力を武器に、東京漫才界で今もっとも輝いているコンビだ。

目には目を、毒には毒を。まえだ以上の毒気だ。

太多「やですねー大阪。節分の夜に太巻きを口にくわえるんでしたっけ? イヤらしい!」

田仲「イヤらしくねぇよ。恵方巻きっていう風習だよ」

まえだの挑発に乗った大阪批判ネタ、全開。

太多「まえだおのだ? あいつら俺たちのパクリじゃねーか?」

田仲「パクってねぇよ」

太多「こいつの睾丸パクったのもあいつらですから」

田仲「バカやろう、んなことねぇよ。手術で取ったんだよ」

毒気にあふれた激笑問題の漫才が番組に活気を与えた。まえだおのだを超える得点。特に立川談五は99点をつけ、褒めちぎった。

■ダウンダウン

ダウンダウンが漫才をする!

80年代に颯爽とデビュー。大阪を制圧、続いて全国を制圧。現在のお笑い界の価値観を作り上げたと過言ではない彼らが久々にマイクを囲む。

CM明け、司会の今田耕三が平静を装って語る。「ついにこのときが来ました」。松友と春田が照れ笑いをしながら舞台中央へ。さぁ、彼らは激笑問題に対してどう応える?

春田「ダウンダウンですー」

松友「いやぁ、我々もがんばっていかなあかんなぁちゅうてるんですけどねー」

松友のこのフレーズは大阪漫才の超定番のものだ。この言葉から始めるということは……今夜、彼らはデビュー当時のネタをかけるのか!

予想通り、誘拐のネタと並んで彼らの代表作である「『あ』評論家」のネタをやりはじめた。

いろんなシチュエーションにおける「あ」という言葉の言い方を松友が「『あ』評論家」として説明するという、実にシュールなネタ。大阪の漫才ファンはテレビの前で興奮した。しかし、よりコアなファンは、マニアックな関心が脳裏をよぎった……「『あ』評論家」の名前をどう設定する?

このネタに出てくる評論家の名前を、大阪時代の彼らは「西中島南方(にしなかじまみなみがた)先生」としていた。これは、関西人しか分からない大阪の地下鉄の駅名なのだが、東京進出後はこれを「赤坂見附先生」に変えていたのだ。さて、今夜の彼らはどちらを選ぶ?

春田「さて、こちらにいらっしゃるは『あ』評論家の……」

一瞬の空白。そして。

「……西中島南方先生です!」

来た! 彼らは激笑問題太多の挑発には一切乗らず、淡々とデビュー当時のネタをすることで、間接的に大阪漫才への愛を表現したのだ。

その淡々さがゆえに、会場はそれほど爆発しなかった。が、テレビで見ていた大阪の漫才ファンは最高に興奮した5分間であった。このとき、視聴率は東京32%、大阪は45%に達し、両地区で紅白を超えていた!

■雷門キッド

格闘技番組への出演や、見事な文章力による執筆活動などで話題は絶えないものの、その漫才を見た人は数少ないという珍しいコンビが、飯田橋博士と玉田茎太郎、雷門キッドだ。「放送コードに縛られるのが嫌だから」それがテレビで漫才をしない理由だと公言していた。

今回、この大会出場の打診があったときも、放送コードの件を理由に彼らは一度断った。しかし、師匠であり、今回トリを務めるツインビートのビートたかしに「プロなら放送コードの枠内で爆笑させるネタを作ってみろ」と諭され、出場を決めたという経緯があった。

とはいえ、実際には放送コードに引っかかる過激ネタしか持たない彼らが、この頂上決戦の場でどんなネタをかけたのか?

飯田橋「はい。こんばんは。ツインビートです」

なぜか、師匠ツインビートの名前を名乗ってネタをはじめた。

飯田橋「ところでこの前、街を歩いてたら大きなウ●コがありまして、触ってみたらやっぱりウ●コ。つまんでみたらやっぱりウ●コ。かじってみたらやっぱりウ●コ……あぁ良かった、踏まなくて」

これは、古今亭志ん生に匹敵すると言われた、漫才ブーム当時のツインビートの傑作ネタ。そう、雷門キッドが強烈に愛し憧れつづけた師匠ツインビートのネタを、そっくりそのまま物まねしはじめたのである。

ダウンダウンがデビュー当時のネタをやることによって大阪漫才への愛を示せば、雷門キッドは憧れの師匠のネタを完全コピーで世に問うことで、師匠ツインビート、ひいては東京漫才への深い愛を表現したのである。

一瞬の花火のようだった漫才ブーム。しかしその意志は若い世代に確実に受け継がれている。

さすがに物まねネタなので得点は伸び悩んだのだが、彼らは確信犯だった。そして紅白を超える数千万人の視聴者に対し、東京漫才の素晴らしさを突きつけたのであった。

■オール関西・読売

この大会で、もっとも普段着のネタをやったのがオール関西・読売である。デビュー時からベテランのような安定感を持ち、漫才ブームとも一定の距離を持つことで、一発屋になることを回避した彼ら。ここまでの大騒ぎを客観視するような感じで、安定的にネタをやりとげた。

彼らのネタが中間部にさしかかったころ、舞台袖から熱戦を凝視していたビートたかしが楽屋に戻ってきた。「殿!」周囲が一斉に挨拶をするが、たかしは明らかに不機嫌でイライラしている。

椅子に座り、貧乏ゆすりをし、タバコを吸っては消し、吸っては消し。しかしその様子を見ていた飯田橋は知っていた。たかしがイライラしはじめたときは、何か新しいアイデアが脳裏を駆けめぐっているときだと。

よく考えれば、今回の東軍のメンバーは「ビートたかしフォロワー」で固められていた。そもそも東京ダイナミックと雷門キッドはたかしと同じ事務所。激笑問題もたかしが過去に所属した事務所の出身であり、芸風は酷似している。そして、雷門キッドからの物まねによるリスペクト!

イライラするたかし。自身が未だに東京漫才の中心的存在であるという事実を突きつけられた彼が、その事実に対してどう応えるかを考えはじめているのだろう。飯田橋はそう憶測していた。

イライラするたかしを遠巻きに眺めていたのは飯田橋だけではなかった。前座としてこの大会に参加していたタコアンドトコ。「欧米か!」のギャグで人気を博した彼らが前座を務めるのも贅沢な話だが、前座を終えてからも、せっかくの機会ということで楽屋をウロウロしていたのだ。

その瞬間、たかしがチラっとタコアンドトコを見た。緊張する二人に対して、一言。

「欧米か、か……面白ぇな」

■西山きよし・泰平サブロー

最後の攻守交替。西軍が続いていよいよトリに。しかし西山きよし・泰平サブローがトリを務めたのは正解だったのかどうか。今は亡き横川やすしの完璧なものまねを見せるサブローときよしの息はピッタリなのだが、所詮は物まね。それも雷門キッドの物まねとは違う意味での。

つまり、オール関西・読売ときよし・サブローの流れが、この緊迫した頂上決戦の会場の中に一瞬の凪(なぎ)状態を作ってしまったのだ。緊張と緊迫の糸が、切れた。

凪は、たかしをも落ち着かせ、ある決断を促した。たかしが立ち上がり、近くで談笑していたビートきよたを捕まえ、ネタ合わせを始める。

凪に続いて、とてつもなく大きな波が来る。それは海と漫才界の、常識だ。

■そして、ツインビート

たかし「はい。ども。ツインビートです」

きよた「ども。久しぶりです。メモれー」


たかし「しかしですね。こんな企画、ほんとバカですね。なんで俺たちが東軍のトリなんだよ。この『世界のたかし』様はよぅ、もう漫才なんて興味ねぇんだよ。バカヤロ」

いきなり毒づく。波が来る。

「そもそも東京漫才なんて、実体がないんですよ。ツナサンドなんとかは宮城出身、東京ダイナミックは岐阜と岡山、太多は埼玉、飯田橋も岡山。純粋に東京出身の東京漫才なんて、今日の東軍にほとんどいねぇじゃねーか。バカヤロ」

漫才ではない、独白、いや激白である。会場は完全に静まりかえっている。そんな中でたかしは続ける。波が来る。

「でもよぅ、それでいいんだと思うんだよ。結局東京のお笑いってのは、いろんな田舎モンのエキスを吸収して生きながらえていくんであって、それが田舎モンの集合体である日本という国を笑わせるんだよ。結局、今も昔もそれが東京漫才、東京のお笑いなんだよ。そんでそれがこの大会の結論だよ。そもそもよぅ、俺なんて東京と大阪なんて小せぇ図式を超えて、もっとグローバルな視点で漫才やってたんだよ。だって、ビートたかしと言えばよぅ……」

波が、来た。

「コマネチ!」
 
ドカーン!

貯めに貯められた笑いが大きな波になり、防波堤に激突し、爆発した! 大須演芸場が冗談じゃなく本当に、揺れた! 

そして。ずっと黙っていたきよたが次いだ言葉が、さらに大きな波を生んだ!

「欧米か!」

■結果発表~エンディング

【西軍】
さばサーモン:628点
まえだおのだ:642点
ダウンダウン:614点
オール関西・読売:618点
西山きよし・泰平サブロー:629点
計3131点

【東軍】
ツナサンドマン:573点
東京ダイナミック:596点
激笑問題:648点
雷門キッド:621点
ツインビート:693点
計3131点

同点。23時45分。NHKではすでに『ゆく年くる年』が始まった。しかしその視聴率は10%をきっていた。なぜなら「コマネチ!」の瞬間、この番組の視聴率が東京、大阪ともに50%を超えていたのだから。

放送時間あと5分。予想もしない同点という展開に、ディレクターも司会もオタオタするばかり。

「お前ら、行け!」

楽屋に続く舞台袖で、タコアンドトコの背中をビートたかしが強く押した。

顔面蒼白になりながらセンターマイクに押し出されたタコアンドトコ。会場、いや全日本国民の目が彼らに集中した。

ツッコミのトコは左右に掲げられた「東軍」「西軍」という看板を見た。そのとき、東京と大阪の激しいつばぜりあいの中で、北海道出身の自分たちがここにいることの誇りを強烈に感じた。

「東軍、西軍……本州か!」

その瞬間、テレビ中継が終了。本州、そして日本全国に、除夜の鐘が鳴り響いた。(完)

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