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見返りを期待するからイライラ精神が乱されちゃうのよ。

「見返りを求めず与える」

これがなかなかに難しいものです。

そもそも相手に腹を立てたり思うようにいかない怒りを感じるのは「見返り」を求めているからではないでしょうか。

「○○してあげたのに」

「私は○○しているのに」

どこかで相手の心や行動に勝手に見返りを想像してしまいます。

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そう思わないようにしても
やっぱり期待してしまうものです。

それは現代が
「~したから~が得られる」という成果主義の関係や環境に慣れすぎて
それ以外の選択肢がなかなか思いつかないからではないでしょうか。


現代は、時間という対価を払ってお給料を得て
そのお金で自らの望む
物品やサービスという対価を手にしています。

それが資本主義の本質であるかのような方程式の中で
育ってきた人にとってはその影響を受けないようにするのは難しい。

だから
「見返りを求めず与える」
という行為に違和感や抵抗を感じやすいのだと思います。


見返りを気にせずに生きていけたら?
想像してみてください。

奥さんや旦那さんにしてもそう。
会社や学校の同僚、仲間にしてもそう。

どこかで自分のしたことの見返りを求めてしまっています。
そして見返りがないことに腹を立てイライラして
精神を乱されてしまうことがほとんどです。

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だから見返りを求めないように訓練することは
自分の精神を安定させ物事を上手く運ぶコツとも言えます。


その訓練法として有効な方法が


「寄付」。


寄付は「見返りを求めない」練習として最適です。

いろいろ考えてみても
寄付以外のものって
ほとんどが見返りを願ってしまうものです。

ですが寄付で見返りを求める人はほぼいません。


近年の心理学研究では、経済学の予測に反し,
自分のためにお金を使うよりも、
他者のためにお金を使うが幸せになれる
ことを
研究結果は示していると発表しています。

小難しいことは省きますが
寄付をすることで得られる精神効果は
想像以上に大きいものであると学問が結論づけています。

「与えよ、さすれば与えられん」

と新約聖書はよく言ったもので
昔の人は医学も科学も現代より明らかに劣っているはずなのに
その真相を感覚的に理解していたのかもしれません。


見返りを期待するのではなく
見返りを求めない方が、結果として大きな見返りが来るという考えは決して新しいものではなく古来より語り継がれてきていることです。


しかし現代では資本主義の行き過ぎた弊害なのか
勝つか負けるかの世界に居ると
誰かを勝たせてしまうと自分が負ける錯覚に陥りやすくなるのか
人の助けになることに消極的になるようです。

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職場でも学校でも
人を助けると「あの人の評価が上げる」とか「自分の評価が下がる」とか
「他人のために自分を犠牲」にする場合
見返りや失うものを強く意識してしまう傾向が強いようです。

そもそも
助けるということは
自身の利益と対立する構造ではないはずです。


相手も幸せになれるし自分も幸せになれる。
相手が勝ったなら自分も勝ったです。
負けたわけではありません。

むしろ
「助ける(協力)する心理的効用」
経済学のコスパでいくと抜群の成果を挙げているので
双方にとってメリットのある行動と言えます。

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人は昔から見えないものを大切にしてきました。

善意を数値化して、
自分の取り分が見えないと行動できないとするなら残念なことです。
目に見えるものしか信じられないなんて寂しいことです。

やはりそういう思考も
見返りを求めているからではないでしょうか。

もしくは見返りがないから
都合よく「見えないようにしているだけ」なのかもしれません。


何かを手に入れることで、満たされようという時代は終わりです。

時代は確実に前払いの時代へと移行しています。



ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。