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自分のモノサシをつくるには読書しかない。

何もしていないのに「良いか」「悪いか」を論じる人がいますが
その人にとって「良いか」「悪いか」を判断している基準ってなんなんでしょ。

おそらく非常にあいまいな線引きでしかないはずです。

何も始まっていないのに論じることができるのは
それを経験したことのある人だけです。

経験者のアドバイスには経験に裏打ちされた「モノサシ」を持っているので信憑性はあります。

だけどなぜか大半の人は正確な「モノサシ」を持っていないのに
一生懸命何かを測っている。
「こうだと思う」「これに違いない」
という曖昧な感情という「モノサシ」を使って答え合わせをしている。
一応補足しておきますが感性を否定しているわけではありません。
感性はとても重要ですし
時に論理をも超える電算能力を持っているので
感性はめちゃくちゃ大事にしなければいけないものです。
(むしろ感性に訴えかけてくるものは大好き)

ですがその感性の土台となるものが
あいまいならその感性も軒並み信用を失います。

だからこそ自分にとって良いか悪いかを見極めるには「モノサシ」を磨いていくしかありません。そしてその研鑽は経験か読書以外にありません。
他人の「モノサシ」を見渡しても、やはりその多くは圧倒的な経験や読書に裏打ちされていると感じさせられます。

ちなみに「モノサシ」に良い悪いはありません。
絶対的な「モノサシ」なんてものは存在しません。

人によって尺度が違うのは当たり前で
読書で例えるなら、ある人にとっては良書であっても、ある人には悪書になりえるように、人それぞれの「モノサシ」が異なるのは当然です。


しかし貧弱な「モノサシ」とは別物です。
経験値の量が一定量を超えないうちの「モノサシ」は
「モノサシ」として機能していません。
これは小学生が「人生を悟った」と騒いでいても誰も耳を傾けてはくれないように最低限の経験値を有していない「モノサシ」は何を測っているのか不明です。壊れた体重計でダイエットしているようなものです。

だからこそ「モノサシ」は鍛え続けなければいけないのですが人間が一生のうちに経験できることには限界があります。

そこで読書が非常に有益な手段となってきます。

書籍とはいわゆる先人の知恵。
著者の経験が詰まったものです。
他人の人生を疑似体験する上でこれほど優れた手段はないと思います。
どこでも手軽にしかも安価で経験できる。
コスパが騒がれる時代にこれほどコスパの良い自己投資があるのに多くの人がその魅力に気づいていないのはとても残念です。


「量ではなく質でしょ!」という声もありますけど
質の高い読書をしている人は圧倒的な読書量をしているのも事実…。

言い変えれば質の高い読書するには
圧倒的な読書量に比例するということ

読書量に比例して読む技術も指数関数的に高まっていき同様に質の高さも高まっていくのでやはり一定数の読書量は必要です。
あれこれ考える前にまず読書してみましょう。
本に触れてみましょう。
きっとその先に見える景色はこれまでとは違うはずです。

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