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「空気」と「心臓」どっちが大事?

「お金」と「命」どっちが大事…?


出ました。
女性の「仕事」と「私」どっちが大事なのよと言う
問いと同類のイジワルな選択。

そんなもんに正解なんてなくて
そもそも選択肢がこの2つな時点で成立していません…。


いや「例えだから」「どっちかって言えばどっち?」
のように食い掛ってくる人もいるけど


結論から言えば「どっちも大事」


どちらかを選べと言われたら迷わず両方取る。

お金が一番大事とは言わないけど
お金は大事、死ぬほど大事
ないと守れないものが沢山あります。

そもそもの問いがおかしい。

「空気」「心臓」どっちが大事って言ってるのと同じ。
どっちも大事だし共存するものだから。

空気を吸いますか?
心臓を動かしますか?という次元の違う問い

歪んだ価値感でなければ間違いなくどっちも大事。



まぁ答え方によっては
「命」の方が大事だし「私」の方が大事ですよ。

でもね。
そんな事が言いたいわけではなく。

まずは問いがおかしくないかい?ってこと。
なんか最近問いがおかしいことが
増えてきていると切に感じます。

なんでそんな選択肢なん?ってやつ。


そしてもう一つがその選択肢に執着していること。

なんか決めたから絶対従わないとダメ!という使命感というか
意味不明な精神状態になって悩んじゃうやつ。

そんなのバカ真面目に考えていたら
仕事も、友達も、何もかもが必至に考えた結果の成果になってしまう。

それって現実をよけいに難しくさせていることだと思いますが…。

多くの人は、

「よりよい選択」探しに夢中になってるのでは?

だからって何も考えず適当に選択した方がいいって
言いたいわけでもありません。

むしろ
選択したことより「選択した後の方が重要」ではないでしょうか。

選択を間違ったら終わりではなく、選択した後が大事。
これは答え合わせ教育の弊害なのかもです。

全部が全部正しい答えを選択できるなんてあり得ない。

極論行ってしまえば
すでに答えがあるもの以外
サイコロでもふって決めたってそう大して結果は変わらないと思う。


残そうとするから残らない
残らないと思うと残るもの

なんか誰かが言ってたなぁ…。

そんな感じ。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。