見出し画像

中学受験「憎しみ」がわからない。その3 まとめ

みなさん、こんにちは。
中学受験「憎しみ」がわからないシリーズを書き進めてましたが、すべて無料にして、今回で一旦まとめてみようと思いました。

 どうぞ、参考にしてください。

  そもそも、このシリーズを書こうと思ったきっかけは、国語指導の中で問題文のなかに、「憎しみ」ということばが出てきて、生徒から「意味が分からない」と質問され、かなり驚いたことでした。

 今時分は、ハラスメント旺盛時代とでもいったらよいでしょうか。
ちょっとした諍いを避けて、なかったこと、知らんぷりするということで物事を済ませようとしているのだと思います。
 そのため、たかだか小学生(と敢えていいますが)が、人の顔色を伺う事ばかり、あるいは、人から嫌われたくないばかりに外ではおりこうさんを演じているわけです。

 また、IT機器の発達で、ソトよりウチで自分一人で楽しむことができるようになっていることも助長しているのだと思います。
さらに、学校や塾も子どもに対して相当甘いというか、叱る、怒るということをしていないことが考えられます。

叱る、怒る

 よく、小学校の内部には「あいさつをしよう」とか「ろうかは走らない」等の子どもの手作りポスターが貼られています。
 しかし、それは、単に貼られているだけであって、特に、ろうかを走る子どもは学年が上がるほど増えていくのが実情でしょう。
 あまりに、ひどい場合、例えば、高学年がまだ授業中で、3,4年生が下校の際に走ったりした場合に、5,6年の担任の先生がろうかに出て注意することもあるかもしれません。

ところが、それに対して、巧妙な言い訳はできるのが今の子どもたちです。
例えば、「〇〇に間に合わない」とかのような場面です。
そうなると、注意した先生は、ご家庭からの不満の電話が一本でも鳴ろうものなら、校長先生、教員室が火消しに大慌てになるわけです。
ただでさえ忙しい小学校の先生が、子どもにまともなことを注意して、親御様からクレームが来るのは割に合わないわけですね。

 そのような事情を考えると、今の時代、本当にどうなっているの?といぶかしんでしまいます。
 
 「憎しみ」「憎しむ」という気持ちがわからないこどもが大人になったら、どんな世の中になってしまうのだろうかと老婆心ながら心配になるわけです。
また、一方で、「憎しむ」ということを知らないで、育つということの環境は「大変幸せである」ということを子どもは実感して欲しいとも思うわけです。

 その、両方を知らない大人が増えた世の中というのは、殺伐とした、感情のない、機械的な世の中になってしまうことでしょう。

人の喜怒哀楽をどこで学ぶのだろうか、知らずに人生終わるのだろうか。
人の人生だから、関係ないといえば関係ないのだが、私は、酸いも甘いもしっかり受け止めた人生を送りたいなぁと常々考えております。

 みなさんは、どう思いますか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?