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「やればできる」は根性論か。。

こんばんは。今夜も昭和どっぷりの私の所感です。
昔はよく「やればできる」という言葉をよく聞いたものだとふと思い出したのです。
勉強の場面でも、テスト前とか、授業中とかです。スポーツの場面でも、「やればできる」と優勝目指すとか、ライバルとの一戦前とかに、先生・師匠・監督等々目上の人から部下や、部員、生徒などによく声掛けされたような記憶があります。

そして、子どもなどは「だって・・・」という子どもなりの言い訳、屁理屈を返す。それを上回る勢いで
「やればできる!」と発破をかけられたものだったなぁ。。とふと思い出したのでした。

やればできる!

今の時代に、「やればできる」は消えてしまったのでしょうか。
いや、別の言葉に置き換えられているだけかもしれません。

一時、「頑張る」という言葉を使わないようにとも言われた事もありましたなぁ。。。
「頑張らないでどうするんだ?」と心の中で思ったりもしたことがあります。

私は、「やればできる」という言葉は好きです。
どんな人にも平等に与えられた可能性を引き出す言葉だと思うからです。

よりそう

どこか無理強いを与えるのでしょうか。
あるいは、「圧」を与えているのでしょうか。
または、「やればできる」ことはわかっているけど、面倒くさいという言い訳に使われていることもありますよね。

「圧」を感じています。

小学校に上がったばかりの年頃の子どもには、少し難しいかもしれないですね。最近は、個性尊重とかいってますが、多動性、協調性がない、アスペルガー症候群の子どもにとっては、「ねこに小判」「馬に念仏」「暖簾に腕押し」ではあります。

ちょっと、特性的な子ども、人にとっては、「やればできる」は根性論かもしれませんね。「根性を鍛えなおす」なんていう大人も多くいたように思えます。
そんなこともずいぶん昔の話だったのかもしれません。

そんなことないぞぉー!

「やればできる」の前に、「やってみようか?」という誘いの言い方にするといいのかもしれません。
あるいは、「きっと、〇〇ちゃんならできるよ、やってみな」とかになるのでしょう。

「やればできる」は根性論ではなく、応援歌なのではないかと思うのです。

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