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まどマギ感想(2019年だよ!?)

Netflixでまどマギを観た。お話が重いのを知っていたので、気軽に観られず今日までズレ込んだ。日常アニメのありがたさが身にしみる今日この頃。
まどマギは初見だが、スロや総集編に触れていたので大筋は分かる状態で観たので、実質二周目の感想。

・テーマ

タイムリープモノは珍しくない。しかし多くの人にとっては初めて触れる経験である。このマスにおける意外性にはチャンスがある。それを上手く掴んだのがまどマギかと。虚淵氏の脚本が上手くパッケージングされて伝わった結果なのかな。
もっとも、それだけで売れるとは言わない。この作品を改めて観て、非凡な点が数多くあるように感じた。以下列挙する

・構成
最初はまどかの物語。二週目に観ると最初からほむらちゃんの物語。
各キャラの魅力を伝える、魔法少女の秘密が明らかになる、ほむらちゃんの目的も明らかになる、まどかが神になる、これを12話でやり切る。
明らかに展開は早すぎるため、ところどころ「もうそんなに仲良くなってたの!?」みたいな点が見え隠れするが、全く問題にならないほど視聴者を巻きこんでいく展開。視聴者を冷静にさせない工夫が随所に。
毎話必ずヒキがある。EDが物語と連動したり、10話ほむらの過去編が終わったEDがmagiaでなくOPのコネクトになったり。
数多の印象的なセリフ(ex.私ってほんとバカ、死ぬしかないじゃない、僕と契約して魔法少女にtパァン!!!)
物語全体のテンションを左右する音楽。全体的にオーケストレーションを用い、徐々にダークさを増していく梶浦イズム。
ダークファンタジーとは思いもしない蒼樹うめテンテーの可愛らしいキャラデザが生むギャップ。
そんなキャラたちを次々と襲う不条理。視聴者の感情は負の方向へ極振り。
何周もしているほむらちゃんのリアクションとしても決して不自然じゃない行動原理やセリフ、動作。
放送前から日常魔法少女モノとしての雰囲気を醸成した広告戦略。

とにかく製作に携わった全員がいいものを作ろうという気概を持って作ったことがわかる。

・内容
エネルギー法則を根源としたストーリーの組立て。曰く、エネルギーを変換するとロスが生じる以上宇宙は縮小していくしかなく、その命題に打ち勝てる唯一の存在が人間の"感情エネルギー"だとか。
確かに“感情”というモノが人間特有のモノだとすれば、それは特異点であり、他の生物との差別化要因でもある。この思想は進化論を認めないキリスト教的であるものの、時に人間という種の卓越した特異な進化を思う時、感覚としては正しく思えるようでもある。
そのような肌感覚を上手く仕組み化した点は正しく虚淵氏の脚本力だと思う。
一方で、その仕組みを打破しなければハッピーエンドには辿り着けそうにない物語の出口はどうだったかというと、かなーり頑張っていたし演出も最高であったとは思うが、この手の物語上理屈っぽさが足りなく受け止められる現象が起きていたように思う(感想反応ブログを見た感じ)。
個人的にはまどかが神になりほむらちゃんを救うという物語には充分な伏線が張られていたと思う(何者でもないまどかには最強の魔法少女になれる素質があることが最序盤で示されている。それはほむらちゃんがタイムリープを繰り返し続けたために因果律が絡まりまくったせいであるという答えも用意されている。この点で10話制作時点の場当たり的設定では無いことは保証されている。もっとも、それが説得的理由かというのは別問題である。この手の設定は、現代科学や物理法則に則ってでもいない限り、ファンタジー設定にありがちな作者の人形遊びから逃れることはできないからである。しかし、それは文章力、演出力でいかに感じさせないかという程度問題でしかない)。
そして、セカイ系の命題かと思われる、セカイを救う物語の文脈で、まどかはセカイを救う選択に出た。それは当時の物語の主流であったと思うし、それを描くのは当然だったとも思う。
まさに放送当時、東日本大震災が起こった。
震災経験後の日本がそういう創作に至るかと思うと、個人的には別の終着点に至ったのではないかと思う。
つまり、震災のような理不尽には人間は抗えないことの気づき、無力感。世界を救うことへの諦めから、個人的な幸福の追求へと少なくない人々の気持ちはシフトしたのではないか。
したがって、現在まどマギが作られるならば、それはほむらちゃんとまどかの幸せが中心となった物語になるように思う。世界は救えなかったが、まどかは魔法少女にならず、ほむらちゃんも生存するようなルートが(もっともそのような個人的な幸せをまどかが許容するかは別だが……)。

・最後に
魔法少女になると魂がソウルジェムに移り、肉体は空になることが判明し、ショックを受けるまどかに対してキュウべえが述べたセリフ
訳が分からないよ。どうして人間はそんなに、魂の在処にこだわるんだい?
人間の特異性がここにあるからこそ感情にエネルギーが生まれるのだろうか。
そして(最近しょっちゅう牽強付会して申し訳ないが)Vtuberにおける魂問題にも同じことが当てはまるのではないだろうか。
キャラクターとは異なり、声優とも異なるそんざいとして、今まさに我々Vtuberファンは、他人の魂と日々相対しているように思えるのである。

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