第1子 出産記録

2020年12月28日に第1子となる男児を出産したので、その記録。

概要

・分娩方法:自然分娩予定→緊急帝王切開
・分娩時間:約47時間
・出生時身長・体重:52.0cm/3524g

出産経過

▶12/24(38w6d)
排尿後に薄ピンクのおしるしを確認。

▶12/26(39w1d)
・08:00
起床。
生理痛のようなどんよりとした下腹部の痛みを感じる。

・10:00
妊婦検診13回目。
NST後に助産師さんから張りを指摘されるも、まだ弱いとのこと。
自覚症状も薄め。
その後の診察で、NST中に3回張りがあり、前駆陣痛であるとの指摘。
内診は子宮頚管長2.6cm、子宮口はまだ硬め。
前駆→本陣痛に繋がれば年内出産になりそう、概ね予定日かなという見解。

・14:30
相変わらず気になるくらいの生理痛的鈍痛(下痢気味ver.)が続く。
少量の茶褐色の内診orおしるしの出血が見られる。

・16:00
仮眠を取ろうとベッドに転がるも、何となく覚醒した感じで寝つけず。
鈍痛は継続。
特に尾骨~仙骨辺りがズンズン重く、腰痛も気になり始める。
夫が気にかけてくれるも、他人にさすられたり触れられたりして痛みが和らぐ感じもせず、かえって気が散るということに気づき、別室で好きに過ごしてもらう。
ここまでいわゆる痛みの波は一切感じておらず、生理中のように絶えず腰回りが重だるい感覚。

・18:00
痛みに波が出てきた(気がする)ので、陣痛アプリを開始。
計測開始から3回連続で6分強~7分未満の間隔が続くが、痛みが強いわけではないので様子を見る。

・19:00
平均6~7分の間隔(短いと4~5分を切ることも)がずっと続くも、痛んでいる最中も動けるし喋れる。
産院にtelしたところ、「できるだけ早めに来て」とのことで、夕食を家で食べてから慌てて入院準備をして出発。

・20:00
産院着。
母子手帳を忘れ、夫に取りに帰ってもらう/(^o^)\。
入院説明を受けたのちLDRに移動、NST。
仮に前駆陣痛だった場合は1日入院したのち朝に帰宅(室料2万円也)という話を聞き、何としてでも出産して帰らねばの気持ちになる。
内診の結果、子宮口は1.5cm~2cm程度。
張りは頻繁に見られるとのことだが、耐えられる程度にしか痛みがない……。
LDRのテレビでフィギュアスケートを見ながらNST継続。
股を開いたら即脱肛し、痔については諦める。

・20:45
張りの頻度から、このまま分娩に繋がる可能性が高いと言われる。
点滴ラインの準備。
この辺りで陣痛の痛みも増すが、相変わらずそんなに痛くない。

・23:30
今夜中には分娩になりそうにもないとのことで、LDRから入院個室へと移動する。
1時間半に一度LDRに向かいNSTを行うも、進展見られず。

▶12/27(39w2d)
・05:30

入院個室で目を瞑って横になるも、眠れず。
腰が痛いのと、部屋が暑く感じて不快。
血の塊と薄ピンクのおりものが出始める。
再びLDRで内診とNSTを行うと、子宮口の開きも陣痛の強さ・間隔もイマイチとのことで、一度帰宅しても良いし、入院しても良いと告げられる。
間隔に関しては来院時よりも長めになっており、微弱陣痛に該当するレベルのため、このままだと朝の医師の診察の結果によっては促進剤を打つ可能性もあるとのこと。
帰宅or入院継続は医師の判断を仰ぎたかったため、医師の到着を待つ。
この段階でも痛いことには痛いが、なりふり構っていられないほど痛いというレベルは遥か彼方な程度だったため、覚悟はできていたが、悲しい気持ちになる。

・09:00
医師による内診。子宮口3cm。
子がNSTでの動きが弱い&微弱陣痛でこのままだと何も進まないかも……ということで、促進剤投与決定。

・15:00
促進剤の量を徐々に増やすも、子宮口は4cm程度。
陣痛は2分間隔になったが、強度が足りないらしい。
今日中に何とかなると思えなくなり、段々精神的に嫌になってくる。
陣痛の波は感じられないものの、一生陣痛レベルに痛む(入院から尿がほぼ一度も排泄できていなかったので、溜まっていたのが原因?)。
小さなレジ袋2杯分嘔吐し、全てが嫌になって陣痛中に気合でふて寝する。

・17:30
医師の内診により、お産が進んでいない、これ以上促進剤の投与量を増やすことができないと告げられ、本日の誘発分娩は中止になる。
明日の朝から再度促進剤を使用するとのことだが、自発の陣痛がかなり微弱なのだから、一度仕切り直しで帰宅したい……と思ったところで、分娩台で破水。
点滴を切ると徐々に陣痛間隔も痛みも引いていき、メンタルがどんどん不調になる。
この辺りはずっと不貞腐れていた。

・深夜
Twitterで同日分娩だったマタ垢さんたちが次々と出産している様子を眺め、自分だけ何故上手くいかないのか……という暗い気持ちになる。
出産はどんなに痛く辛くても、陣痛が始まればいつか終わるものだし、と楽観視していたが、いつになったら終わるのか?という疑問で頭がいっぱいになる。
明日のうちに決着がつかなければ無痛分娩に切り替えたいという旨を夫に話し、了承してもらう。

▶12/28(39w3d)
・06:30

促進剤投与スタート。
自発の陣痛が夜~朝の間にガバガバに広がっており、当人は半ば諦め。
子宮口4cmからのスタート、破水もしているため、今日中に絶対分娩になると言われ、多少気分を持ち直す。

・10:00
子宮口5cm。
陣痛の間隔も短くなり、ゆっくりながらもお産に向かえていると言われ、頑張る。
陣痛が強くなったのに合わせて嘔吐も増える。
相変わらず尿意を感じても排泄できない状況が続いており、導尿を行ってもらう(尿が溜まっていると陣痛を強く感じやすくなるという記事を読み、お願いした)。

・14:00
子宮口5cmから変わらず。
陣痛の間隔が広がりつつあるとのことで、促進剤を増量。
この辺りから「何だかんだと言われたが、やはり今日も無理なのでは?」と気づき始め、メンタルが崩壊する。
嘔吐し、「進んでる証拠だよ」と励まされる。

・15:00
子宮口5cmのまま陣痛だけが加速し、心が折れてくる。
このままではメンタルが持ちそうにないと思い、無痛分娩を依頼し、硬膜外麻酔の投与開始。
痛いという前評判にビビりまくって2回逃げ、計3回背骨(?)に針を刺され、悶絶。
促進剤を限界値ギリギリに引き上げて投与開始。
無痛を開始したにも関わらず、陣痛の痛みに悶絶。
→腹部より上部に上手く麻酔が入っていなかったようで、打ち直しになった(よくある調整らしいが辛すぎた)。

・17:30
子宮口6cm。
促進剤の副作用(だったと思う)で自身に炎症反応が起こり始めていること、子が子宮口が開き切らないまま下りてこようとして頭が吸われて伸びてきていること、これ以上の自然分娩は母子共に危険を伴うため、医師から緊急帝王切開を打診される。
これまでの努力、何……という気持ちになるも、もはや打つ手無しという諦めの気持ちもあり、承諾。
微弱陣痛から一向にお産が進まなかった理由は、骨盤と子の頭が上手くはまらなかったことだと説明を受ける。
帝王切開の手術の同意書のようなものを記載後、準備が始まり、硬膜外麻酔を局所麻酔に切り替える。

・18:00
緊急帝王切開開始。
手術室に移動させてもらってすぐに「BGM選んで」と言われ、選ばれたのはサカナクションでした。流してくれたのはアレクサだった。
1曲目は「忘れられないの」、子が取り上げられた瞬間に流れていたのは「アイデンティティ」だった。新宝島とかも流れていた気がする。
医師2人が「○○先生、サカナクションって知ってる?」「名前は聞いたことあるけど、曲は知らないね」という会話をしていたことだけはなぜか鮮明に覚えている。
立ち会い分娩不可と言われた時期に書いたバースプランに「ビデオ通話がしたい」と記載していたからか、助産師さんが個室にいる夫とビデオ通話をさせてくれる(自然分娩の場合は最後まで立ち会えたが、帝王切開の場合は手術室での立ち会いはNGだった)。

・18:12
子が取り上げられ、無事出産。
腹が切られている感覚も、取り上げられる感覚も皆無だった。
局所麻酔とはいえ多少の朦朧感と睡眠不足により、この辺りの記憶は曖昧。
長い長い陣痛により頭がとんがってしまったが、取り上げられた瞬間に元気に泣いてくれた。
子を見た瞬間の私の発言は「紫だ」「人間だ」「どっちにも似てないね……」だった気がする。母性。
自分の子どもが生まれた実感は正直無かった。

出産後の経過

・18:30~19:00頃
取り上げられた子の処置を助産師さんが行いつつ、医師2人で開かれた私の腹の処置をしている……らしいが、腹に布がかけられて視野が狭められており、何も見えていない。
自分が素っ裸であることと、手足が縛られていることにこの辺りで気がつく。
途中、掃除機のような音が響いていたので、おそらく子宮の中の残留物を吸い取っていたのだと思われる。
子の体重を助産師さんから告げられ、思っていた以上に大きかったことが判明。
ストレッチャーに乗せられ、入院個室へ移動。

・19:30~21:30頃
入院個室で夫と対面。
この辺りももはや記憶が無い(夫が動画を撮っていてくれたので記憶を補填することができた)。
出生にまつわる内容の読み上げ、説明を受ける。
この時、左手には心拍数計測の装置と水分補給の点滴、上半身には心電図のあれそれ、背中には痛み止めの麻酔、右手には血圧測定器、下半身には導尿のカテーテル、左足にはもはや何の点滴かも分からない点滴が入っており、機械まみれにされていた(深夜に酸素レベルが低下して鼻に酸素チューブも追加された)。
夫は写真を撮ったり子に触ったりしていた。
自分は見るからに憔悴していた。
分娩後2時間までが立ち会いのリミットだったため、21:30頃に夫は帰宅。
子も帝王切開の場合は当日母子別室のため、ナースステーションへ。
ここから入院生活の始まり。

思ったことなど

帝王切開決定後はあれよあれよと進んでしまったが、壮絶だった…………。
医師も助産師さんも「長時間頑張って偉い」「できることは全てやったのだから、悔いはないと思うし、仕方なかった」と言ってくれたが、自分的には全然納得できなかった。
土日入院、促進剤投与×2回、無痛分娩……とお金をフルにかけてでも自然分娩ができるなら、と頑張っていたのに、最終的には帝王切開になって、子にも夫にも大変な思いをさせてしまい、ただただ悲しいというのが本音だった。
最終的にどの程度の陣痛だったのかは誰も教えてくれなかったが、自分の体験した陣痛が、一般的に言う「死ぬほど痛い陣痛」であった気もしないし、いわゆる「経腟分娩を経験した母」になれなかったのが一番のショックだった。
(自身以外の帝王切開経験者に対してそうは思わないけれど)自分がなりそこないのような、そんな気分になってしまい、ずっと気にしている。

この2日間でたくさんの助産師さんと医師に入院経過を管理してもらったからか、分娩後、次の出勤の際にわざわざ病室に来て声をかけてくれた助産師さんもたくさんいて、そういう人の温かさのようなものには救われる機会が多かった。
1年前の流産手術から今回の妊娠陽性を見届けてくれた医師が帝王切開に立ち会ってくれたのも、個人的に嬉しかった(心配してくれたのか、1日目の終わりもLDRに顔を出してくれていた)。

振り返って自分が一番頑張ったなと思うのは、1日目も2日目も夕方頃には嫌気がさして散々分娩台の上で騒いでいたし機嫌も悪くなっていったが、辛い辛いと思いながらも、人前で泣かなかったことと、精神的にわりと限界だったにも関わらず、助産師さんに当たらなかったこと。
1日目~2日目の夜だけ夫の前で泣いた。

既に第2子以降は予定帝王切開になると告げられているため、今後も経腟分娩を経験することはない、と思うと寂しさや悔しさもあるが、ひとまず第1子を無事に出産することができてよかった。
いわゆる難産に分類される出産経過にはなってしまったものの、その後の子の経過は順調。このまま健やかに育つことを祈るのみ。

母体である自分に関しては、術後に貧血と尿蛋白を指摘され、細々とした不調はあったものの、無事退院できました。
体を動かすのは早くて助産師さんたちに驚かれたものの、内部はわりとボロボロだったらしいので、養生したい。

痔は経腟分娩せずとも悪化し、産後10日の本日まで元気に脱肛しっぱなしになっている。
入院中に助産師さんに無理矢理突っ込んでもらった際に痔核が傷ついてしまったようで、自分で収納しようとすると出血したり激痛が走るようになった……。

そんな感じ。
壮絶とは書いたものの、時間は過ぎゆくものだし、起こってしまったことは受け入れるしか道がないので、「そんなこともあったな~」くらいの気持ちで、今振り返っている。

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