小説「僕の城」【#2000字のホラー】

「うっ」

自分のものとは思えないほどの低くくぐもったうめき声が聞こえてきた。

荒れ狂う嵐の中、懸命に一歩を踏み出そうとする。だが、横殴りの雨と強風によって視界は塞がれていた。背中に背負った80Lのリュックと手に持ったボストンバッグが鉛のように重たく、僕の心はもう限界を迎えていた。頭の中を支配しているのは、「もういいや」という言葉。僕はやがて早く楽になりたい一心で倒れ込み、そっと瞼を閉じた。



夢を見た。記憶の奥底にしまわれていた遠い昔の記憶だ。砂場で遊んでいるのは、幼少期の僕と親友のカズヤだった。僕たちは砂場で各々の城を作っていた。それぞれバケツに水を汲んできて、砂を固めていった。

僕たちは黙々と自分の城を作り上げていく。途中までは順調だったが、カズヤの城がふとした瞬間に崩れ落ちてしまった。僕は自分の城から離れ、すぐさま親友のもとへ駆け寄った。涙目になって落ち込んでいるカズヤを慰めてあげる。

カズヤが元気を取り戻してきたタイミングで僕の母親とカズヤの母親がそれぞれやってきた。二人は砂場に建てられた僕の城を見て、笑顔を浮かべながら言った。

「上手な城ね」

僕の隣でカズヤがニコリと笑い「でしょ。僕が作ったんだよ」と言う。その姿を見ながら、僕はいつもと同じ笑みを浮かべていた。



まどろみの中で聴いたことのないクラシック音楽が鳴り響いている。その曲に誘われるように、僕は身体を起こし、瞼を開けた。

「うっ」

次の瞬間、視界に映ったのは、荒れ狂う嵐の山中などではなく、見に覚えのない部屋だった。右隅にある木製棚の上にある読書灯が微かな光を放ち、六畳ほどの室内を照らしていた。

木製棚以外は特に物が置かれている様子はなく、目に映るのは、木製棚の上に置かれた読書灯とその隣に置かれたレコードプレーヤーくらいだった。

「おや、起きたみたいだね」

襖が開かれると、目の前に穏やかな笑みを浮かべた男性が現れた。

「ここは?」

「私の家だ。山で倒れている君を見つけてね。ここまで連れて帰ってきたんだよ」

低く落ち着いた声で目の前の男性は事の経緯を話し始める。ササキと名乗った彼は山の中にあるこの木造一軒家に暮らしているという。僕は命の恩人であるササキさんに何度も礼を言い、頭を下げた。

「そんなに頭を下げないでくれ。倒れている人を救うのは、人として当然のことだよ」

顔を上げると、外から凄まじい轟音が聞こえてきた。どうやら雷が近くに落ちたらしい。カーテンの隙間から稲光が漏れ出てきている。雨が地面を叩く音と風の音も聞こえてきた。当分嵐は止みそうになかった。

「それにしてもひどい嵐だ。今日は泊まっていきなさい」

僕はササキさんに礼を言った。だが、内心僕は一刻も早く妻が待つ家に帰りたかった。登山中の遭難という緊迫した状況下で僕の心は随分とナイーブになっているらしい。

ササキさんはそれから温かいスープを振る舞ってくれた。銀色のコップに魔法瓶からスープを注いでくれる。一口啜ると温かく優しい風味が身体中に染み渡った。

「美味しいです」

「それはよかった。実は私も学生の頃、山で遭難したことがあってね。その時に一人のおじいさんに助けてもらったんだ。だから君を見て他人事に思えなくてね」

ササキさんは昔を懐かしむように語った。僕は相槌を打ちながら、彼の優しい声音を聞いていた。だが、ササキさんの口調が段々と無機質なものになっていき、僕は少し違和感を覚え始めた。

「そのおじいさんはチェスが趣味だということで私と勝負しようと言ってきた。勝った方が一つ相手の頼みをきくという賭けをすることになったんだ。結局、勝負に勝ったのは私だったよ。昔からチェスは得意だったからね」

「ササキさんはどんな頼みをしたんですか?」

僕の質問にササキさんは答えなかった。カーテンから漏れ出る稲光が彼の虚ろな瞳を照らした。そして、気になっていたのだが、ササキさんは先ほどから何かを抱えていた。僕がその物体に視線をやると、彼はそれを畳の上に置いた。

「さあ、賭けをしようか」

ササキさんはニヤリと笑い僕を見据えた。目の前には年季の入った重厚なチェス盤が置かれている。所々にある赤黒い汚れはサビだろうか。僕はふと視界の隅に置かれた自分のボストンバッグが目に入った。

「うっ」

どこからか聞き慣れたうめき声が聞こえてきた。しかし、ボストンバッグのチャックは開け放たれていて、中身は空だった。僕はそこで疑問に思った。

カズヤはどこに行ったのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?