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三菱の一ダースの鉛筆と楊枝のやうな鉛筆。

『三菱の鉛筆一ダース後ろ手に渡せずにゐるバオバブの木の下』

ミスユニバース世界大会2位に輝いた知花くららさんの短歌である。

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思わず躊躇ってしまう状況を現実として引き寄せられる自分であることに

何が正しいのかに思いを巡らせることに

この歌に感情移入できる自分であることに

あの時の自分は間違いなく、その時の自分の想像の範囲を超えた場所に居たのだと、今でも証明してくれる。

「ナイチは変わってるね」そう言われることに、ちょっとした優越感を抱くようになったのはいつからだろう。
窮屈な「良い子」の皮を脱ぎ捨てて、人とは違う自分になりたがった当時のわたしにとっての、最大の褒め言葉だった。


人とは違う何かに夢中になりたいと願うわたしが大学で出会ったのはスペイン語。

そのスペイン語熱を後押ししたのは、情熱の国スペインでも、サッカーでもフラメンコでもなくコスタリカだった。

自衛隊を保持しながら第9条を掲げる日本と
軍隊を持たずにエコツーリズムや教育に力を注ぐ中米のスイスと謳われるコスタリカ。

そのコスタリカの公用語がスペイン語だからという理由で学び始めた。

何が違うんだろうという興味を抱きながら。

楽園のような場所を勝手に想像していたけど、実際は淡々と暮らす日常がそこにはあった。

中米一の治安の良いコスタリカでも事件はある。絶対に行ってはダメよとホストマザーに念押しされたエリアがあった。

黒く汚れた爪と一緒にポストカードを差し出し、まっすぐな視線を投げかけてくる子のすぐ後ろには

ピカピカのオモチャの車に乗ってはしゃぐ同い年くらいの男の子がいた。

その子のポストカードを買えなかった自分がいた。


お金を渡していいのだろうか。
ほんの数コロンでこの子が食いつなげるなら…
でもそれは児童労働に加担することになるのでは…
でも…でも…


何が正解なのかなんて、誰にもわからない。
今もあの時どうしたらよかったのかはわからない。

だけど子供を持った今なら、学生時代の自分とは違った行動はできるかもしれない。お金ではない何かを渡せるかもしれない。


久しぶりのえんぴつの感触を確かめながら、書き写す。

『「たからものみせてあげる」と小さき手にのせた楊枝のやうな鉛筆』

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他にも、俵万智さん、三浦しをんさん、酒井順子さんなど目を惹く方々との対談が満載。

短歌って、奥深いなぁ…



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