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とりあえずやってみたこと

続きのお話。


今月半ばに中学校で二者面談があったので行ってきました。
事前に用意した資料を持参して。

その数日前に用意していた手紙を再度読み返したみたところ、自分の"お気持ち"を伝えようとしている感じが重く感じて手紙を渡すのはやめて処分した。

気持ちを抜いて、それぞれの立ち位置をわかりやすく表せる方法はないものか…と考えて、ネットで拾った情報を一覧表にしてまとめることにした。



手紙をやめて表にしたことで共有しやすい形にすることができたような気がした。

二者面談では先生が「最後に伝えておきたいことはありますか?」と質問されたので、「5分だけいいですか?」と切り出して不器用ながらも伝えることができた。

そもそも、それができたのはその先生が話を聴こうとしてくれていたからだと強く感じた。
こちらまで資料を覗きにきてくれて、先生自身のエピソードを交えながら「そういう考えは分かります」と共有できる部分に関しては理解を示してくれた。

帰り際に「ここ最近でいちばん緊張しました。変な汗かきました〜笑」と言うと、「そんな緊張しなくて大丈夫ですよ。こういうふうに話してもらえるとわかるのでありがたいです。」と逆にフォローまでいただいてしまった。


話の流れで官足法の主な考えを話したのだけれど、先生(音楽の先生でバイオンリン引き)も緊張をすると指先が冷たくなって動かなくなることや、笑顔になると血流が良くなってあたたかくなると話されていた。

今回学校側に伝えたいと思ったのは、また同じような出来事が起きたときに同じようなすれ違いやズレを起こしたくなかったからなのだけれど、相手側の立場や伝わらない可能性も踏まえながらもそれでも伝えようとすることは無駄ではないとわかった。

勇気はいったけれど、ふだんの先生と保護者の会話ではなく、お互いにひとりの人としての会話になったように感じた。


"根本原因を考え対策し行動する"

こんなふうに学校側とやり取りをすること自体、東洋医学的な思考方法に属しているのだと表を見ながら思ったりした。

過ぎ去ったことをむしかえすのは性に合わないのだけれど、今回学校側の立ち位置、先生個人の立ち位置、親であるわたしの立ち位置、それらを整理して話し合えたことで次につながった気がした。

また何か選択する必要性のある出来事が起きたときに今度は大きなズレを感じずに、小さなすり合わせでいける可能性が出てきたことは自分にとっては安心という名の希望でもあるのかもしれない。


"生徒が何を考えてなにを感じたのか"

"気持ちが揺れている"


外から気持ちが揺さぶられてしまうときには、すでに内側で揺れ動いているということで

揺さぶられたのではなく、自分の中にあった小さな揺れが大きな揺れとなったことで気づいた…ただそれだけのことなんだろうな。

内にあるものが外に映し出され現れた。




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