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2020年10月の記事一覧
過去の自分に勇気づけられること
6月に自分で書いたnoteをふと思い出して読んでみた。
自分で書いたのにあまり覚えてないせいか、読み終わったあと、自分のnoteになぜかほっこりした気持ちになっていた。
過去の自分に勇気をもらった気がする。
文章を書いていくということは、その時の気持ちを記録しておくことなのだと初めて理解した。
過去は過去だからと、これまではいらないもの扱いしてきたけれど、こうやって助けてもらうこともあるのだ
いつからだろう?好き/嫌いで分けなくなったのは
たぶんわたしには嫌いな人はいない。
会話のリズムが合わない人や、話がかみ合わない人や、近くにはいたくないなと思う人はいるけれど、嫌いな人はいない。
それはおそらく、強い違和感を感じた時点で一定の距離をとるからだと思う。
嫌いになるまで留まることはしないのだろう。
人とのちがいを知ることが好きだからか、相入れない特徴を持った人でも、それは拒絶するものではなくてその人の特性なのだと理解できるよう
近くにありすぎて見えないもの
ハンモックヨガに行って、自分の手の温かさに気がついた。
人に寄り添そいつづけるのが苦手だから、「自分は冷たい人間なのでは?」と思ってしまう節がある。
家族といえども一定の距離は保ちたいと思っているし、それは相手のためではなく間違いなく自分のためだ。
温もりは求めるが集団が苦手な自分には、適度な距離が必要なのだ。
そんな自分も、手は温かいのだと気がついた。
ヨガの先生に「心の温かさを感じてみましょ
何歳になっても、ついやってしまうこと
おもしろそうなことがあると
足が止まってしまう。
興味があるものを見つけると
手をのばして触れてみたくなること。
強い興味を惹かれる何かがあると
ワクワクに飲み込まれて
何も見えなくなってしまうこと。
楽しすぎた後には
疲れ果ててしまうこと。
そして、そんな自分自身にうんざりしてしまうことがある。
それは物や天気や景色、
道端に生えている雑草だったり、
動物や人に対して湧きおこる。
触れてみ
どんなことに恐怖を感じてるの?
ひょんなことから、自分がどんなことに恐怖を感じているか知るきっかけがあった。
嫌悪感を持つことについては考えたことはあったけれど、恐怖については今まで考えたことがなかった。
暗闇と憎悪どうやらわたしはこの2つに恐怖を感じているようだ。
暗闇は10代後半から20代まではむしろ大好きで、面白いことがつまってるワクワクするものだったけれど、今は怖いと感じる。
子どもを産んで守るものができたからだろ
力を抜くとは?力みとは?
合気道を始めたときから辞めた今もずっと「力を抜くこと」「力みが出てないか」が頭の片隅にある気がする。
整骨院に行くと施術に入るときに「力を抜いてゆったりしてくださいね」と言われるけれど、「力を抜く」って簡単そうで実は難しいことではないだろうか。
「力を抜くことができますか?」合気道のおかげで少しは「力を抜く」がどんなものか分かってきた気がするけれど、そういうことを知らなければ力を抜いてと言われ
どうやらコラージュが好きなようだ
下の記事を読んでいて、
「あれ?無意識にコラージュやっている?」と思った。
もしかしたらわたしはコラージュが好きなのかも。
高校生の頃、雑誌を切り抜いてコラージュし、カラーコピーするということをやっていた。
じぶんのイメージに合わせて作っていくのが楽しかったし、カラーコピーをして出来上がった質感が好きだった。
雑貨とカフェ専門学校のとき「じぶんのお店(架空)をプランニングしよう」という授業が
別々にあるものどうしが繋がって新たな「何か」になっていく
何かを学びたいと思うとき、同じ方向からだけでなく、いろいろな方向から学んでいくことが「楽しみの基」になることが多い。
別々のものだと思っていたことにつながりが出てきたりすると、小さな子供のようにワクワクする。
呼吸ここ1ヶ月ほど呼吸に意識が向いている。
ハンモックヨガでの実践と朗読している「身体のデザインに合わせた自然な呼吸法」という本によって、じぶんの身体に対する認知は以前より深まってきたよう