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自己紹介・はじめに VOL.0 【フリーランスが適応障害と診断されました日記】


『フリーランスが適応障害と診断されました日記』とは

私の仕事はフリーランスです。複数社と業務委託契約を交わして生活しています。今回のトラブルは、収入メインの仕事に関するものです。元々その上司とは馬が合わず、2年間耐えた結果、『適応障害』と診断されました。

もしかしたら死んでしまうかもしれませんが、次の仕事探しのきっかけや生きる目標を見つけられたらと思い、ここに生き様を残したいと思います。



テンションが上がらないというか、生きる気力がない。

帽子のないさかなクン。回らない風車。アロハシャツを着たサンタクロース。シワのついたTシャツ。泡のないビール。にんにく抜きの餃子。田んぼで輝く鳥よけのCD。終わらない人生ゲーム。もう何を糧に息を吸っていいのか、まったく分からなくなっていた。

「鬱」や「適応障害」という言葉は世間に広まったが、その深さや恐怖を理解できない人はまだまだ多い。経営陣は事例の多さゆえにそのかわし方を知っているし、病名が身近になったことで、「自分は大丈夫」と考える人も多いだろう。

病名はひとつでも、あなたはあなた。「大丈夫」と思っているうちに病院に行かないと、思考が停止して取り返しのつかないことになる。

軽度と考える状態で治療をすることの重要性。

世の中を見渡すとわかるように、だからこそ多くの患者がいる。シャッター商店街が復活を目指すのが難しいように、問題を溜め込まずに解決していくことの必要性に、多くの人は気づいていないように思う。この世界を生きる理由があるとすれば、「世間に溶け込むこと」や「稼ぐこと」ではなく、「自分らしく生きること」だと思う。個性を持てということではなく、「何もつっかえずに息を吸える社会」であり、「今日も楽しかった」、「明日も頑張ろう」と眠りにつける幸せのようなことだ。

「鬱」や「適応障害」は、腐った世界をオセロのようにひっくり返す救世主なのかもしれない。

これらは、見ないようにしている、見ても何も感じなくなった人々に、本当の生きる価値を伝えようとしているのではないだろうか。何が正解で何が間違っているか、当たり前に思っていることを一旦捨てて、また世の中と向き合うことをはじめてみる時期なのではないだろうか。

最初に言っておくが、これを記す理由は告発ではない。

同じことで悩んでいる人への糧や、鬱は弱さだと決めつけ「社会人のルール」を振りかざす人に対して、これからの世の中を知ってほしいという意図からだ。

また、私は社会的保障のないフリーランスの身でありながら、生きると決断し病院にお世話になった以上、「休みながら稼ぐ」ことと向き合う必要がある。

こうした事例を世間に知ってほしいこと。心を隠さずに恥を承知で言うと、あわよくば生きるための仕事やお金につながらないかという思いで書いている。

簡単に言うと、助けてほしいんです。



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