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止まらない列車


この世に生を受けてから起こった、歴史的な事件で忘れようにも忘れられないものは4つほどある。1つ目はベルリンの壁崩壊。あれはベルリン芸大に入学して1ヶ月目の事だった。誰がどこ出身であるか、などによって起こる雇用をはじめとする様々な差別、社会問題が山積していたが、驚異的なスピードで世界は変遷を遂げ、それを外国人留学生という立場で体感する事が出来たのは人生の財産だと思っている。

2つ目は帰国してから起こった9.11。あの時はニュースで「現在は報道されなくなった、かの映像」を見ながら、手に持っていた本を思わず落としてしまったのを覚えている(ちなみにオウム真理教の一連の事件発生時は留学中で、家族や友達から詳細を聞いて驚愕したが、リアルタイムで体験したというよりは帰国してからネットで詳細や事件の全容を知った)。

3つ目は3.11。大学の公務でタクシーに乗っていたのだが、余りに揺れて走行出来なくなったのは初めて。4時間ほどかけて徒歩で帰宅し、その後は数ヶ月間は節電、物流ストップ、自粛ムードの為世の中全体が暗かったのが記憶に新しい。
余震に揺れながら、それでも本番はこなしていた。上野の文化会館地下の楽屋で待機しながら、
演奏するまで7回揺れた日があったのを覚えている。

そしてコロナショック。私がこれほど長く日本を離れず、自宅からも極力離れず、コンサートが次々にキャンセルとなり、山積みになっていた「練習するべき楽譜」を毎日のように楽譜棚に戻す日々が続いたのは初めての経験だ。
多くの音楽家がそうであるように、私も「レッスン、試験、コンクール、コンサート」に追いかけられている状態が日常だった。学生から社会人になっても同じペースで駆り立てられるかのように休憩なくひた走り続けて来たので、時折、自分は本番を控えてるから練習するのか、純粋に音楽を深めるために練習を続けているのか、分からなくなっていた部分もあったかもしれない。その「止まらない列車」に生まれて初めて、強制的に急ブレーキがかけられて、手を休めざるを得なくなったのだ。

以前よりテレビや新聞を見る事が増えて、各国の対応を注視しつつ様々な感慨を覚えた。最も既成概念をかき乱された気がしたのは、「今、一体どの国が先進国なのかよく分からない」という事と、「どうやら我が国はそのトップグループに属しているとはとても思えない」という事だった(これは3.11の時もうっすらとは感じてはいたが)。新型コロナウィルスは、人と、国の脆弱な部分を今や変異を遂げながら容赦無く襲って来る。執政のスピード感の無さ、行動力、適正な判断力の欠如、強いリーダーシップの不在、気の緩み、国によっては楽観性、個人主義。弱点が見つかるとウイルスはあっという間にそこにつけ込んで、広がって行く。国が人の流れをいったん止めても、少しの亀裂からやがて水道管が破裂するな勢いでウイルスは再拡散していき、世を翻弄させる。

音楽家としての私がコロナ騒動によって突きつけられた個人的な問題点は、
「止まらない電車に乗ってどこに行きたかったのか?」
「目の前の目標を取り上げられても同じ密度で音楽に打ち込む事ができるのか?」
という事だった。しかし、なんとか炎を絶やしくない、なぜなら邁進したい気持ちが無くなる事は音楽人生の終わりを意味するから。弾かせてもらえない期間が長くなるほど、逆に弾きたい気持ちが強くなっていった。

2020年6月の初めに、予約が全てキャンセルになっている素晴らしいホールをオーナー様の御厚意で貸していただき、久しぶりに録音をした(それまでは日常に追いかけられ、新録を企画する気力さえ無かったのに)。ディレクターさん、エンジニアさんと入念にプレイバックを聴き返しながら最良の音を残そうと心底燃える事ができて、1回目の緊急事態発令以来、3ヶ月ぶりに能動的な気持ちが舞い戻って来た。不思議なもので、人は大切なモノを取り上げられると渇望からか色んなアイディアが湧き上がってくるらしい。久しぶりにアーティスト写真を撮り直し、優秀な元クラス生とデュオをして映像を残す、という初の試み、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを全曲勉強してみてようというアイディア。
何より、やっぱり好きだから続けて来られていたんだ、という事を実感出来たのは大きな収穫だった。

世の中にはどれだけでも素晴らしい音楽家がいる。次の停車駅が霞み、先行きが見えづらくても、何とか私なりの音楽列車を走らせ続けたい。
現在、私が捧げている、ささやかながらも強い祈りだ。

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