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中島岳志「保守と大東亜戦争」(集英社新書20180718)

人間にとっての普遍的なのは理性の無謬ではなくて理性の誤謬。

いきなり序章で思い切りびんたを張られたような気持ち、というのは少し大げさですが、ひとつの本書の方針が明示されます。

人間の営みなど完成されることはなく、常に不完全なまま昨日を今日に継ぎ、そして明日を迎える。それこそが社会であるとします。これって、似たような言葉を宮沢賢治も残していました。

永遠の未完成、すなわち完成である。

人間は神ではないのだから不完全で絶えずゆらゆらゆらめく。動的平衡的な存在。どんなに優秀な人も必ず間違う。いかに合理的に、リーズナブルに行動しようとしても過ちを繰り返すものです。でも、それすら忘れてしまうようです。それが驕り。

保守主義が、みずからのうちにうたがいをもっていることを、つよく希望したいのです。こう言ったのは鶴見俊輔だそうです。自らに疑いを持つことは、自分をいかに客観視できるかにかかっています。そして、人というものはなかなか客観的にはなれない。客観視できる能力がそのまま知性と定義してもいいくらいです。

あなたはどれほど客観的になれますか。自分を疑うことができますか。

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