見出し画像

もしも僕が死んだら。

人間は、いつかは必ず死ぬ。
それが明日かもしれないし、何十年も先かも知れない。

ここ何年かの間に、僕は何度も「死」を身近に感じて来た。
母親、愛犬、そして、自分の病気。

自分を含め、生きていることは当たり前では無いんだと知った。
もしも、僕が死んだら……?

僕は僕として、何かを残していいのか。


恋人の為になにか残したいと、たくさんの文章と僕の弾くピアノを録音しておくのは僕のわがままだろうか。

僕が死んだ後も、僕に縛られるなんて嫌かもしれない。

僕は、君が幸せである事を願ってる。

それなら、忘れられるように、何も残さない方が良いのかもしれない。
でも、僕は我儘だから、僕が君との約束を破って君より先に死んでしまっても、君が時々思い出してくれたらいいな、なんて思ってしまう。
だから、色々、残したくなる。

たくさんの物を残すけど、受け取るかどうかは君に任せるよ。

身近な人の「死」を感じて、僕は自分がいつ死んでも家族が困らない準備をし始めた。
まるでおじいちゃんみたいだと自分でも思う。
でも、いつ来るかわからないから。
実際、今回、倒れた時にこれは役立った。

日記も、誰に見られても大丈夫。
恥ずかしいことも書いてはいるけど、小説みたいに読んでくれても良い、くらいの気持ちで書いている。
なんなら、書籍化してくれ。(誰が読むんだ)
入院してからは、日記サボりがちだけど。
代わりにこのnoteがある。

こんな風に、色々と残したいと思ってるのは、死んでしまう事が怖いからなのか、誰かに自分が生きていた事を覚えててもらいたいからなのか、僕が生きていた証を残したいというエゴからなのか。

僕は案外と寂しがり屋なので、僕が生きてた事、この世界に居た事を誰かに覚えておいてもらいたいのかもしれない。

でも、僕を覚えている事が辛い人がいたなら、忘れて欲しい。


生きものは皆、平等に死を迎える。
それが早いか遅いかは、誰にもわからない。

出来ることなら、僕は、長生きがしたい。
と言っても、恋人より後に死ねたらいつでもいい。

でも、不慮の事故や病気で死んでしまうとも限らないから。

こうやって、死んでしまった時の事を時々、考えている。



因みに、メンタルが雑魚な僕だけど、不思議な事に「死にたい」と思った事は無い。
病んで、死にたくなる人って多いと思うんだけど、僕は、病んだけど人生終えたいわけじゃ無い。
むしろ、生きたい。
やりたい事が山ほどある。
死んでる場合じゃない。

だけど「死」については考える。

死んだらさ、何も出来ないんだ。
話せないし、書けない。
好きな人に好きな事も伝えられない。

だから、死ぬ瞬間まで、残したい。


これは、わがままなのかな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?