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ずっと心の中にいた創造的な子供

小さい頃の夢なんて、いい歳して語りだしたら笑われますね・・・

もしかして自分にしかない才能があって、それが開花するかもしれない。
自分はやればできるかもしれない。

期待に胸を膨らませ、小さな一歩を踏み出したことがある人もいるかも知れません。

出来るかも、いつか、やってやろう!と胸に秘めながら日常に追い立てられる毎日、そんな人もいるかも知れません。

心の中にそんな子供のような、創造的な自分はいますか・・・?

います。

いません。

いたけど、いなくなりました。

色んな人がいると思います。

僕もどうだろう・・・?

いますとはっきり言える自信も無いし、いたけどいなくなった気もします。

どうして、この創造的な子供を僕たちは手放したり、毛嫌いしてしまうのでしょうか?

大人とはそういう生き物なのでしょうか・・・?

それを持っていてはいけないのでしょうか・・・?

「そんな夢みたいなことを言ってないで現実を見なさい」
⇒夢は初めから現実との対比で否定される。

「好きなことをするなら、お金や時間に余裕が出来たらすればいい。」
⇒お金を稼いでいる間にどんどん歳をとる。そのうち、やる気が無くなってくる。

そんな風に歳を重ねて、創造的な子供の心は無くなっていきます。
隅に追いやられていきます。

その子供の心はあってはならないものだったのでしょうか?

僕はずっと、その心を抱えて右往左往してきた気がします。

ずっと心の中にいた創造的な子供。


実はこの心はずっと出番を待っていただけじゃないかと最近思い始めました。

時代がその心を求めるときまで、土の中に根を張って。
だから、見えなかったんです。

誰かから見えるものではなく、自分の中でその心を付き合ってきた、育ててきた、長い歴史と付き合い。それは自分にしかわかりません。


だから、誰かに認めてもらう必要もないのです。

許可をもらう必要があるとすれば・・・自分です。


その心との付き合いが長ければ、自分自身が分かるはず。


ずっとこの時を待っていたその心。


その心に蓋をしていたのは自分自身。


周りは関係なかったんだと思います。


周りのせいにしていたけど、本当は自分が自分に蓋をしていた。


ずっと心の中にいた創造的な子供。


これからこの子が活躍する。
この子の時代がきていると思います。


それもこれも自分次第。


周りは関係なくて、自分次第です。


これからこの子をどのように開放していくか、これまでどのように付き合ってきたか、そんなことがここに書いて行けたらいいなと思っています。