言語の外、法の外に出てみなければ世界を感じることは出来ない
社会学者の宮台真司さん。僕が好きな学者のひとりです。
彼は確信犯的に「クズ」という言葉を使います。
感情劣化したコスパ人間のことを「クズ人間」と呼んで、揶揄します。
その言いっぷりが爽快で好きなのです。
よくよく考えれば、周りにはクズ人間が溢れています。というか、それが普通なんです。
なんでもコスパです。
コスパで行動を起こしていれば、不思議がられません。
社会全体がコスパ社会で、それ以外の世界があるなんて考えたこともないという感覚だと思います。
いつからでしょうか・・・?
やっぱりこれは情報化社会が進み、いろいろなことがデータ化され、数値化されたことが大きな要因だと思います。
法外の反対、法内とは法律を犯すか犯さないかという意味だけではなく、このデータ内か外か?という意味もあります。
その内側のことには興味をもって、考えるけど、その外側のことは考えもしない。無い事にする。
そういう社会が出来上がってしまったとうことだと思います。
こういったことは、解剖学者の養老孟子さんもいつも言っています。
バカの壁という著書で書かれている内容もそういうことです。
自分が分かる範囲のことだけで世界を限定しようとする。
そして、その範囲内のことを知っているだけで、自分は知っていると思い込む。
知っている、情報として。
もう、情報の中にしか住んでいません。
やはり、今の社会が抱えている大きな問題はここで、その裏側にテクノロジーの進化があると思います。
コンピューターの登場、ネットワークの進化、そしてAIの誕生。
情報と置き換え可能な事象こそが価値と見る。
数字の動きがコスパとして算出され、それが良ければ、成功となる。
それ以外の価値は、はなから無いものとされる。
だから、彼らは敢えて厳しい言葉を使って、目覚めて欲しいと願っているんだと思います。
法の外へ出てみよう!
養老孟司さんはバカの壁の外には浪漫があると言います。
そこに何があるか、わからない・・・
だから、それが価値なんだと思います。
分からないに飛び込むこと自体が価値なんだと思います。
だから必要なのはちょっとの超越性、未知なるものへの好奇心、憧れです。
分からないけど、進んでいける力。
失敗も成功に含まれているという感覚。
そういう気持ちを取り戻さなくては、本当に機械人間。
AIに取って代わられる存在になります。
法の外の世界。言語化出来ない世界。
それは体験、経験、クオリアでしか感じることは出来ません。
説明が出来ないこと、その人でしか感じられないことの価値をもう一度見つめ直す必要があります。
ああすれば、こうなる、でしか思考しない人間は本当に機械人間になる。AIに使われる側になってしまいます。(もうなっている)
今は、やっぱりおかしな時代。
今までの社会の枠組みが崩れてきました。
みんな不安だから、そのことを直視したくない。
だから、既存路線の枠を、その幻想を維持しようとする。
もうそれは幻想。
今この時期は、その幻想に気が付くとき。
ある意味、ひとりひとりの目覚めの時期。
コロナが収束したら、前のようにあれをしよう、これをしよう、だけでは足りない。
何が幻想だったのか、見極めることが重要です。
本当はそこにこそ世界があります。
そこにこそ、わたしたちが住むフィールドの本体があります。
そこに飛び込んでいくための、準備期間。
今、人類全体がそこへ、向かっているんだと思います。
そこに気が付いた人は、新しい世界がおぼろげながら見えています。
そこに希望を感じ、その世界を創造することが、これからの時代に求められることだと思います。