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生まれ立つ雲のように

すっかり早起き生活。最近は自然に5時に目覚めて、活動をし始める。
季節も秋に変わり、日の出時間も遅くなってきた。
5時はまだ暗い。徐々に空が明るくなっていく。
今朝も同じ時間に起きた。
少しずつ明るくなる外を見ていたら、天候が良いようだ。
よし、散歩しよう!
外を15分ほど、歩いたり、走ったりした。
遠くの山の尾根には霧が立ち込め、雲が生まれ立つ姿を見ているようだった。

朝の散歩時間、一人時間、この時に頭の中を巡る内容、それがすごく大切だと思っていて、自分が何を感じているんだろうと、自分の声に耳を澄ます。

今朝は近所の街並みを歩きながら、田舎の生活について思いを巡らせていた。田舎暮らしというと、何だかのんびりしていて、穏やかな気がする。

ここで、じっくり考えてみたいのは「田舎に住む」ことと、「田舎で住む」ことの違い。
微妙なニュアンスだが、「に、で」の違い。
「で」の方が、少し意図的に、敢えてという感じがする。
田舎で住んでみよう!田舎の中で生活しよう。
一方「に」は田舎に住んでいる。住んでいる地域が田舎だったという感じもする。
僕は元々田舎に生まれた。そして都会へ出て、田舎に戻ってきた。
たまたま故郷が田舎だったから、今、Uターンして田舎に住んでいる。

住んでいる場所で、生き方、暮らし、仕事は変わるもの。
Uターン後は随分生活が変わったなと実感している。
田舎に目的をもって暮らしを移した訳ではなくて、帰ってきたという感じだった。

田舎に住んで、働いて思うことは、オフィスワークであれば、田舎かどうかは関係なくなる。当たり前だけど、会社に入れば、会社の中で仕事が完結して、基本PCを見ていることが多いので、ロケーションはあまり関係なくなる。
自宅と会社を往復する限り、田舎らしさ(自然の中にいる感じ)は感じられない。田舎に住んでいるということも忘れてしまいそう。

折角なら、田舎に住んで、田舎で働こうという自発的な意図があった方が面白い。田舎で暮らす中でそう思い始めた。

都会らしさが人に囲まれていることとすれば、田舎らしさは自然に囲まれているということ。
自然だけは何の苦労も無く、触れることが出来るし、空気のようにそこにある。
当たり前にある、この自然の恵みを、どう生かしていくのか、自分の生活に取り入れていくのか、それが田舎のクリエイティブ。

人に囲まれれば、人が集まれば、人とどうコミュニケーションをとるか、人と人が作る場やグループでどう振舞うか、これがとても重要になる。
自然と市場が生まれ、取引が成立する。その中で自分がどんな価値を人に提供できるのか、それが大切。基本、取引ベース。そうして市場が回り始め、それが経済圏になる。

そこで、田舎。田舎には大きな市場は生まれにくい。ある程度の人数がいないと、取引をベースにできない。人口が少ないエリアでは生活するのに必要な機能がどうしても不足する。必要なだけの職種を賄う人的リソースが足りないのだ。そうなればそこは、基本、行政が賄うことになる。経済が地域を回しているという感覚は少ない。

これは社会構造としては当たり前のことで、頭で理解するのは簡単だが、実際に田舎で暮らしてみた肌感覚として、慣れるのには時間がかかった。
都会で暮らしていた頃は無意識に取引を繰り返していた。何かでお金を稼いでいれば、安心出来た。そしてコスパという感覚が前提にあった。

田舎で暮らす中で、今度は都会の構造もよく見えるようになった。
その土地にいると当たり前過ぎて、無意識化してしまうことが多いものだ。

田舎で暮らす中で僕は「取引」の必要性より、「自立」の必要性を強く感じた。自分の専門分野だけに特化して、あとは取引で賄うという考え方は通用しないのだ。
スペシャリストよりジェネラリスト志向の方が田舎では生きやすい。
もしスペシャリストで行くなら、自然相手のスペシャリスト。仕事で言えば、農業や林業などは田舎では必須となる分野。こういったところなら専門性を極めてもいい。
一方、ジェネラリストとして、様々な分野のスキルや知識があれば、そう多くの取引をしなくても生きていける。浅く広くで構わない。自分の生活の為のスキルなのだから。
つまり、自分のことは基本、自分でする。

その為に、健康な身体、体力が欠かせない。

だからこそ、自然と共に起きて、一日をスタートさせることはとても大切なことだと思っている。

生まれ立つ雲のように、毎朝、いろんな姿に形を変え、空へ向かって行きたい。
朝、散歩しながら、そんな風に思った。

やっと、田舎で生活する醍醐味が分かり始めて来た。