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登山旅行記 屋久島の鯨①

避難小屋の高塚小屋を日が昇るまえに出発し、縄文杉の根差す斜面を過ぎて、よく整備された木道をひたすら下っていく。
人は他に誰もいない。あたりがゆっくりと明るくなってくる。
森林の湿った濃密な大気を感じながらいくつもの屋久杉の下をくぐると、やがて目立った二本の大木が見えてくる。寄り添いあうような姿が特徴的な夫婦杉だ。
そこからもう数分進んだ先に、静かに佇むようにそれはいる。
どう表現すればいいか迷う。
ただ、あえて喩えるなら、鯨だと思う。
森が海と似ているとすると、その中にあってあれは鯨によく似ている。
だから、野生の鯨に出会う、という場面を想像してほしいと思う。
碧一色の海の中をひとりで泳いでいて、ふと気付くと真上を鯨が漂っている。
屋久島の森には鯨がいる。


2月25日(火)

子どもの頃からずっと屋久島に来たいと思っていた。
たぶん最初に知ったのは小学校の社会科資料集か何か。
それで来ることが「夢」みたいになっているうちに、自分の中で「行きたいけどそう簡単には行けない場所」に変わっていて、頭の隅に追いやられてしまっていた。
昨年山登りを始めて、国内の登山スポットについて様々調べるうちに、もう一度屋久島に辿り着いた。
それから、登山のひとつの大きな目標として、常に屋久島が頭の中にあった。

自宅を出たのは午前五時ごろだったように思う。
首都圏から屋久島へ直行する交通手段というのはなくて、基本的には鹿児島を経由して、そこから空か海かを通ってアクセスすることになる。
今回は行きは空の便の乗り継ぎでアクセスした。
羽田空港から鹿児島空港まで二時間ほど。
そこで乗り換える屋久島行きの機は普段見る旅客機の半分ほどの大きさで、ちょっと映画のような気分になる。
鹿児島空港から屋久島空港までは四十分で到着する。

登山目的の渡航の場合に気を付けたいのが、当然とも言えるのだけど、アウトドアコンロ用のガス缶は飛行機には持ち込めない。現地調達の必要がある。
ただ、屋久島は登山の島だ。
多くの人は登山のためにやって来る。
それだけあって、ガス缶も空港内ですら購入できる。
島内には登山用品のレンタル屋が多数あり、民宿ですら貸し出しを行っているところも多い。
現地調達には困らない。

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屋久島はほぼ正円状の島で、直径三十キロほど。外周は約百キロ。
この正円を逆方向に回るようにして、ふたつの路線バスが毎時一本程度走っている。
直系三十キロの島の中に二千メートル近い峰を含む四十以上の山が入っているだけあって、内陸部はほとんど山岳になっている。「屋久島山地」という呼ばれ方すらある。
居住区は沿岸部のいくつかの町に集中している。
だから、移動はきわめてシンプルだ。
地図を持ったら、どちら回りが目的地に近いのか見て、そちらに向かう車線の側のバス停に立てばいい。

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空港からバスに四十分ほど揺られて、鯛ノ川というバス停に辿り着いた。
鯛ノ川は写真の通りの巨大な河川で、ここから海に直接流れ落ちるトローキの滝はなかなかのインパクトがある。
屋久島では、これに限らずどこをとっても自然のスケールの大きさに圧倒される。

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この滝から歩いて十分ほどの「ゲストハウス屋久島」さんに宿をとったので、そちらに荷物を置かせてもらう。
素泊まり一泊五千円ほどの簡易なゲストハウスで、とても清潔で設備もよく整っている。
散歩がてら一時間ほど歩いて尾之間という町に向かう。
翌日は早速登山の予定だから、スーパーで行動食のほか必要なものを買っておく。
温泉で移動の疲れを癒す。
確か入湯料は二百円だったように思う。

2月26日(火)

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この日は午前五時に宿を出る。
登山客が多い土地柄、客が早朝に発つのは普通のことだから、前日にその旨伝えておけばどこの宿であれ問題はない。

鯛ノ川沿いから上流の千尋の滝の展望台まで、舗装路を上がる。
展望台そばから登山道に入ると、すぐさま急登が始まる。

屋久島沿岸部を代表する山岳で、海から直接聳えるような威圧的な山容を見せるモッチョム岳は、標高940メートル。
この数字からは、低山、というイメージになるが、その実屋久島の山岳の中でも最高レベルの難度を誇る。「モッチョム岳を登れれば、屋久島の山は大抵登ることができる」と言われるほど。
短い距離の中に大きな標高差が凝縮されており、斜度はきわめて大きい。
ほぼ全編急登で、手足をフルに使って登ることになる。
岩と根の張り巡らされた路面はストックを使うことを許さない。
またアップダウンも多く、標高からは測れないものを多く秘めている。

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そんな過酷に過ぎるモッチョム岳登山なのだが、中腹までのモチベーションになるのが、屋久島を代表する神木のひとつである、万代杉。

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根元に自分の姿があるので大きさのほどが分かるだろうか。
この杉は樹齢二千年ほどらしい。

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ヘバりながらもなんとか稜線に取りつくと、薄ら雲の向こうに海岸が見下ろせる。
そのまま右を向けばこれから目指す山頂。

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深くえぐれた厳しい登り返しの稜線を辿っていくと、海と逆の内陸側に、驚きの光景が広がる。

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巨大なスラブ(一枚岩)の斜面。
百メートル以上切れ落ちているだろうか。
この日、この山側の眺望は終始開けていたけど、海側には徐々に雲が広がり、海岸の眺望は得られなかった。
途中の展望台で荷物をデポ(仮置き)して山頂にアタックし、なんとか登頂したものの、体力気力共にギリギリのところまで持っていかれる。


行きは早朝で真っ暗だった千尋の滝の展望台からの景色は改めて見ることができた。

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這々の体で昼下がりの時間に下山し、ゲストハウス屋久島さんに荷物だけ取りに戻る。
バスで今度は逆回り、安房の町へ向かう。
安房の町は安房港を中心にした港町といった風情で、どこからも海が望める。
そこら中にネコがいるけど、見ていると屋久島のネコはどうも普段関東で見るネコと顔つきが違うように思える…。
などと考えながら、登山用品のレンタル店「レンタルの山下」さんに向かう。
先に書いた通りで、レンタル店は島内に多くある。
その中で、この「山下」の特徴は、安房と宮之浦のふたつの町に店舗があること。片方の店で借りたものをもう片方の店で返却する、ということができるわけだ。
今回、これがとても重要になってくる。
安房と宮之浦は、屋久島を時計に見立てたとき、それぞれ九時と十二時のあたりに位置する町だ。
で、この翌日からの登山ではまさに、その間を移動することになる。
屋久島の中心部には、九州最高峰となる標高1936メートルの宮之浦岳が鎮座している。
その宮之浦岳を超えて縄文杉を経由し白谷雲水峡へと至る全長25キロほどのコースは、屋久島でもっとも贅沢で過酷な縦走路、通称「屋久島縦走」と呼ばれている。

レンタルの山下さんでシュラフ(寝袋)とシュラフ用のマットをレンタルする。
他のものは自前で用意したものの、このふたつだけコストがかさむのでレンタルにした。
屋久島縦走では避難小屋(スタッフのいない、「小屋だけが建っている」状態の山小屋のこと)を利用した山中泊が必須になるので、シュラフも必要になる。
店の主人いわく「普段ならこの時期は雪が深いけど、今年は暖冬だから登るのには最高だろうね」とのこと。
宿は「ゲストハウスまんまる」さんで、翌朝は登山弁当の二食付きにしてもらった。
夕食はホテルかと思う程豪勢な屋久島海産コースで、どれも素晴らしく美味だったのだけど、インパクトが強かったのはトビウオの唐揚げ。
これがいわゆる姿揚げというやつで、トビウオをまるまる一匹揚げてある。かなりのサイズ。頭と背骨だけ抜けば、あとは大きなヒレまで余さず食えるらしい。
ビビりながら齧ってみると、これまた絶品で、さすが名物と言われるだけある。
夜は宿の飼い猫や野良猫と戯れて過ごし、デジカメの星空撮影機能を試して遊んでから就寝。

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②に続く


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