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私のちょっとした社会貢献の話

テーマにピンときた内容が浮かんだので、記事にしてみます。

私が、未来のためにできること。
してること。
「6年くらい前から、ヘアドネーションをしています」

写真の通り、私の髪の毛は、黒くて、太くて、まあ立派。
20代の時は、脱色とヘアカラーとパーマを繰り返し、過去にもタイトルにした
「髪の毛を乾かす行為が嫌い」
でした。
そんな私ですが、髪の毛の健康には恵まれていて、白髪もなければ、痛みもなく。
特段綺麗な髪の毛ではないんですが、とにかく立派。

様々な髪型遍歴を担当してくれている、高校生からお世話になってる美容師さんも、
「本当に、売りたいくらい立派な髪の毛だね」と。

ただのゴミになって、二酸化炭素を出すくらいならば、何かできないかと思っていたときに知った
「ヘアドネーション」
31cm以上の髪の毛を束にして、送りつけるだけの簡単なこと。
ウィッグに使用されたり、美容学生さんのマネキンの髪の毛にしてもらえるそうです。
パーマをしていたり、カラーをしていても良い、私自信は何も気にすることなく、できるので取り組みやすかっったです。

二度のヘアドネーションをして、3回目に向けて伸ばしています。
特に何かすごく貢献している気持ちはなく、「自分がお菓子を食べているから、隣の人にもお裾分けした」位、ポップな気持ちで参加しています。

そんなこんなで、誰かのために何かできることはないかと考えていることがあります。
・実家に眠っている不用品の寄付(ぬいぐるみや、文具など。洋服は母にお下がりしてる)
・不要になったメガネの寄付(小学3年から眼鏡っ子なので、過去のメガネがたくさん眠っています。ただ、寄付先のハードルが高くて(リサーチ不足かもしれません)行動に移せてない)

私が生きてきた道は、誰かにとっては、とても恵まれたもので、それがどこかで役立つのなら、私は率先して、それを差し出したい。
お金の寄付とかは、やっぱりどうやって使われてるか気になったりするから、後腐れのない、今の自分にはもう必要ないものを、誰かが有効活用してくれたら、送料くらいは払うから、それで豊かな生活を送ってほしい。

ちょっと、上から目線のような、言い方になってしまっている気もするんですが、どんなマインドでも、その行動と結果に意味があると思っていて。
私は、私の自己満足のためとかではないです。
きっと、寄付したこともいつか、忘れてしまうくらい日常に溶け込むくらい、思い入れも湧かないと思います。

社会貢献や、ボランティアに関する考え方は賛否両論あると思います。
けど私は、そんな考えや意義みたいなのを説明できないくらい、自然にできることが私にとって大事なことだなと思ってます。

昔、社会人になりたての頃、「奢ってもらったら、どんな人にもお返し(奢り返すなど)をしなければならない」と、考えていました。
そんな時に、私が出会ってきた偉大な先輩方は、
「先輩だと思う人に奢られた経験は、自分が先輩になった時に、自分がしてあげたいと思う後輩に奢ってあげることが一番の孝行だよ」
と、教えてくれました。

何かをしてあげたことを「してあげた」と恩を売るのはなく、自分の中での当たり前の日常として、取り入れること、私の中でずっと忘れずにいたいマインドです。

大きなことをしようとするのではなく、自分ができる範囲で、その時にできることを相手にしてあげる。
それはいつか、大きな何かになって帰ってくるかもしれない。
けど、それを期待してしまえば、帰ってくることはない。
限りなく無償の愛で、生きること。
未来の自分が「損をした」と思わず、豊かな心で生きて行けるはず。

#未来のためにできること

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