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お疲れ様です、ビースティズ

公共施設もだんだんと開きはじめている。いつもいく図書館は予約資料の受け取りが可能になった。さっそく行くと、入館時、検温を受けた。はじめての経験だ。館の人がもつ検温機は、未来のピストルようだった。それをおでこにあてられ、なんだか緊張した。これも、これからありふれた風景になるのだろうか。

今日、ビースティボーイズのドキュメンタリー『ビースティボーイズ・ストーリー』をApple TV+で観た。

ビースティボーイズは、みなニューヨーク出身の、マイク・D、MCA、アドロックからなる人組ヒップホップグループ。1986年のアルバムデビューから2012年にMCAが死去するまで8枚のアルバムを発表した。そのどのアルバムも、音楽はもちろんのこと、ファッション、映像、言葉などの面で新しい価値を打ち出した。

ビースティボーイズは、わたしにとっても大切なグループで、まだ高校生だった2003年、チベタン・フリーダム・コンサートで来日した彼らのライブを観ている。それは初めて自分でチケットを買った洋楽アーティストのライブだった。当時、翻訳書など読まなかったが、彼らがどんなことを考えているのか知りたくて、『A HISTORY OF THE BEASTIE BOYS』も手に取った。本当か嘘かわからないホラ話的なエピソードが多く、「??」となって読んだが、それもそれで、すべてを煙に巻くような、斜に構えた感じがかっこよかった。

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2012年にメンバーが欠けてからはネジが切れた時計のようにグループの活動はピタッと止まってしまっていた。その後、とくに話題もなかったので、このドキュメンタリーの公開はひさびさのニュースだった。

ドキュメンタリーは、故郷のニューヨークの観客を前に過去の映像を流しながら、その前でマイク・Dとアドロックがそのあゆみを振り返るというものだった。久しぶりに動くビースティズの映像である。

最初は、このドキュメンタリーは彼らの革新的なアイデアについて、例のホラ話も交え、時代の移り変わりを語るものだと思っていた。が、実際は予想を裏切り、ストレートでパーソナルな彼らの友情の話が中心だった。3人でスタジオに籠り、ひたすら音楽を作っていたのが楽しかったと。

この内向き加減は、ストリートカルチャーの寵児というイメージからすると意外な印象だ。そうなんだけど、たしかに、セカンドアルバム以降の、凝りに凝ったサンプリングや何時間ものセッションを編集していく手法で制作されたトラックには、独特の「密室感」もある。


個々のアイデアを濃密に交わし、それを大きく反響させていく。彼らのクリエイティブの源泉は、3人の素朴な友情だったのだ。インタビューでは煙に巻くような発言を繰り返していたが、それは照れ隠しだったんじゃないか。

観る前は勝手に、今回のドキュメンタリーの公開は新しい2人でのビースティボーイズの活動の流布になるのかな、とどこかで考えていたが、でもそれはあり得ない、ということをはっきりさせる内容だった。観終わったあと、ああ、ほんとうに終わったんだな、とてもさびしくなった。それと、残された2人が過去の活動を語れるまでに気持ちの整理がつくまでに時間が必要だったんだなと想像した。ああ、お疲れ様です、ビースティズ。そして、改めて、MCAにR.I.P。

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