タイトル

アイデアリスト(理想主義者)

概要

昨年(2019年)12月、11月に行われた青識亜論と石川優実の対談を受けて、フェミと反フェミ(オタク)の間では対立派閥に対する潰し合いが激化していた。

お互い対立派閥を潰すためには手段を選ばない争いが続く。

そんな中、反フェミ(オタク)側の過激層の一人であるヒトシンカという人物が選んだのは「ネットでフェミを自称する女子高生と対談する事で、フェミを批判する」という手段だった。
その標的として選ばれた自称女子高生(本当に女子高生であるという証拠は、Twitterのアカウントが削除される直前まで一切提示される事は無かったがピッピちゃんという人物だった。

この対談は、そのリスク等からフェミ・反フェミの両方から批判が生じ中止となった。

その後、ピッピちゃんは様々な事情から2020年1月10日頃にTwitterアカウントを削除した。
そしてTwitterのアカウント削除についてnoteで記事を書いた。

この記事を読んで結論から言えば「ピッピちゃんをモノ化したのは、ピッピちゃん自身である」と言わざるを得ない。

ここから先を読む前に、まず読んでもらいたい記事がある。
それがこちら

ここから先を読む人は上記の記事を読んだものとして書きます。

①フェミニストは決して全体主義ではない

ピッピちゃんは記事の中で「自分をTwitterのアカウント削除に追い込んだ原因はフェミニスト界隈の全体主義」と書いている。
これは主語の巨大化案件と言わざるを得ない。
フェミニストは一人一派と過去のnote記事でピッピちゃん自身が述べている。
実際、フェミニストは全体主義なのかと言えば答えはNOだろう。
フェミニズムの中にだって互いへの批判や論争は存在している。
フェミニズムが全体主義や一枚岩ではない(一人一派とも言い切れないが)からこそピッピちゃんの行動は批判される物だった。
それを「フェミニストの全体主義によって批判された」とするのは「主語を大きくして被害者面している」であり、ピッピちゃん自身が嫌っている全体主義にピッピちゃんがなってしまっていると言わざるを得ない。
主語を大きくしないために、具体的にどのアカウントにどのツイートで批判されたのがアカウント削除を決意させたのかをスクショを撮って上げる等の方が主語の巨大化にならず無難だっただろう。

②何故、ピッピちゃんの行動が批判されたのか

フェミ側でも反フェミ側でも大多数の人間は「フェミと反フェミの間に架け橋は必要ない」と考えて、また、対立する側が何らかの隙を見せれば付け入って攻撃してやろうと言う気持ちでいるのは明白だ。

ピッピちゃんが現れたのは、そんな銃弾飛び交う戦場のど真ん中だ。
銃弾飛び交う戦場のど真ん中で「私はA軍の人間だけどB軍と話し合いがしたい」等と一人だけで白旗(降服旗)を掲げて叫んだ所で、A軍からは裏切り者と認識されるのは当たり前だし、B軍側はB軍側で話し合いに来たピッピちゃんを人質にA軍を脅す事が出来る。

つまり、ピッピちゃんがフェミ側だろうが反フェミ側だろうが架け橋になりたいと対話に挑もうとした行為は、自分が属している陣営の側に隙を作り、自分が属している陣営を壊滅に追い込もうとする行為だ。

そりゃあ、ピッピちゃんがフェミ側を自称していればフェミ側は止めるし、反フェミ側はピッピちゃんが対話に挑んでくる事を背中に刃物を隠しながら歓迎するだろう。
(※実際には、反フェミの中にもこの対談は手段としてゲス過ぎるという理由で批判していた人が少なからずいた。)

③ピッピちゃんの属性の問題

ピッピちゃんは「自分はフェミニストの女子高生だがフェミニズムに対して疑問を持っている」と立場を表明していたが。

先ず本当に女子高生なのか否かを証明する術が(生徒手帳等を上げるしか)ない。
即ち、フェミ側から見ても反フェミ側から見ても本当にピッピちゃんが女子高生だという証明は成し得ていない状態だった。
(※アカウント削除直前には本当に女子高生であった事が証明されたが。)

だが、付け入る側には証明が成し得ていない事は好都合だ。

本当であろうがなかろうが「フェミニズムに対して疑問を持っている女子高生のフェミニスト」という存在が反フェミとの対話に応じれば「子供(高校生)ですらフェミニズムに疑問を持っているのに大人のフェミニストはフェミニズムに疑問を持たないのか?」とフェミニストを攻撃する武器を得る事になる。

未成年・子供というのは未成年・子供であるだけで武器となる。
それは最近世界を騒がせているスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリ等を見ても明らかだろう。
だから政治活動家等の中には未成年・子供に主張させる例が少なくない。

反フェミ側にはピッピちゃんの主張は些細な物で、女子高生(子供)という属性を持つ者が対談に応じた"事実自体"が有利な武器となってしまう。
主張だけで戦いたかったのであれば、女子高生という肩書は決して出すべきではなかっただろう。

ピッピちゃんが反フェミから支持されたのは「子供がこんな凄い事を言うんだ」とピッピちゃんが子供であることを武器にしたかった大人が多いからというのが理由だ。

④フェミニズムの原則・原理

フェミニズムの原理原則は「女性の権利拡張・向上」だ。
言ってしまえば女性の権利拡張・権利向上が男性の権利縮小・下降に繋がったとしても、その部分はフェミニズムの管轄外だ。
極論すれば差別主義者の(男性差別をしている)フェミニストというものも存在していない訳では無く、また、存在している事がおかしい訳ではない。

ピッピちゃんが持ったフェミニズムに対する疑問点は、男性の権利縮小・下降に関する部分、つまり、フェミニズムの管轄外の部分が殆どだ。
故にピッピちゃんはフェミ側から見れば「フェミニストを自称しながら、フェミニズムの管轄外の部分についてフェミニズムに疑問を持つ」という「本当にフェミニストと言えるのだろうか?」「フェミニストかどうか以前に思想が幼いのでは?」と批判されていた形になる。

実際ピッピちゃんはフェミニストだったのかと言えば答えはNOで、フェミニストではなくアイデアリスト(理想主義者:Idealist)だったのだろうと考えられる。

⑤反フェミ側の理想主義者

では、反フェミの中にも理想主義者は存在していないのかと言えば。
そんな事は無い。
上で紹介した記事で書いたが「表現規制に賛成するオタク(反フェミ)」というのが少ないながら存在している。
だが「表現規制に賛成するオタク(反フェミ)」は表現規制に賛成する事で反フェミから「お前らはオタク(反フェミ)じゃない、フェミだ」等と言われている。
その点ではフェミから「貴方はフェミじゃない反フェミだ」と言われたピッピちゃんと立場的には同じである。

ピッピちゃんが本当に架け橋になりたかったのであれば、対話すべき・手を組むべきは「反フェミ」の強硬派ではなく反フェミの中でも穏健派と言える「表現規制に賛成するオタク(反フェミ)」達だろう。
穏健派(表現規制に賛成するオタク(反フェミ))との対話を経る事無く、いきなり反フェミの強硬派と対話しに行こうとすれば、それは反フェミ側から見れば「鴨がねぎ背負ってやってきた」様な状態でありフェミ側から見れば反フェミを有利にする餌を与えるだけでしかない。

このまとめの様な例もあるが、基本的に「人間は善意よりも悪意に流れ易い」

それはフェミ側・反フェミ側問わず両方ともだ。

架け橋になりたいという善意は立派だが「人間は善意よりも悪意に流れ易い」という事を理解出来ていない状態で善意を武器として振るえば悪意に食われ、善意を武器として振るった人間の評価が下がるだけだ。

結論-ピッピちゃんをモノ化したのは-

「フェミと反フェミの間に架け橋は必要ない」
これは、フェミ側と反フェミ側の大多数が出している答えだ。

ピッピちゃんをモノ化したのはフェミと反フェミのどちらからも望まれていない善意(架け橋になりたい)を武器として振るったピッピちゃん自身だ。
自分で自分をモノ化しておいて「私をモノ化したのはフェミニストの全体主義だ」「私をモノ化するな」と泣き言記事を書くのはフェミ・反フェミに関係なく、自分の責任と向き合えていないのではないだろうか。

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