1-やはり暴力

理解するための譲歩 ~オタクVSフェミ問題~

アーティさんの記事

先日、アーティさんがこういう記事(削除済み)を書いた。

記事の内容としてはフェミニズム・フェミニスト批判であるが、批判内容の大半は、「それ、オタク側にも当てはまってるんだよな」と言わざるを得ない。

面白いと思ったのは、この記事の根底に「オタクはフェミニストを理解する事が出来る」と考えている節がある様に見受けられた事だ。
「理解する事が出来る」という思想を持って書かれていなければ、この記事は意味を為さない。

アーティさんの記事に対する

以前にアーティさんに目を通してもらった事は有るが、アーティさんの記事に対する、私の答えはこちらだ。

「オタクはフェミを理解する事は出来ないし、フェミはオタクを理解する事は出来ない」、理解出来ない物同士の"対話"は「殴り合い」になる。
上記の記事で書いた通り、フェミ側もオタク側もお互いに自分達は弱者・被害者であると主張している。

こういう間柄の双方の間で理解・共存を成立させるには「"どちらか(理解する側)"が"対立している相手側(理解される側)"の言い分を(一時的にであっても)100%受け入れる」という譲歩が必要になる。

語弊のある言い方だが世の中には「理解するための譲歩」という物が存在する。
※この場合の「譲歩」とは「一時的にでも相手側の言い分を100%受け入れる」という意味。

理解するための譲歩とは何なのか?

「理解するための譲歩」とは何なのか?
その説明をするために、先ず、バカの壁という物を説明しなければならない。
「バカの壁」というのは、東京大学名誉教授・養老孟司の著書のタイトルであり、そこから生まれた言葉だが、この著書は「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である」という主意の事を説明している。

その一例という訳ではないが、人が「互いに理解し合える」と考える時、そこには必ず「自分の意見・主張は相手に理解してもらえる、だから、自分も相手の意見・主張を理解しなければならない」と言う心理が生まれる。

順を追って説明するが「互いに理解し合える」と考える時、人間の心理は。

①「先ず、自分の意見・主張を相手側は理解し受け入れてくれる」という、傲慢や相手を見下した考え方を持つ。
②そして、自分の意見・主張を先に話せば相手はそれ(自分の意見・主張)を踏まえて意見・主張を述べざるを得なくなると考える。
③人は「互いに理解し合える」と考える時実際には「互いに理解し合える」ではなく「お前を理解してやるから、俺に譲歩せよ」という思考・心理になっている。

なので「互いに理解し合える」と思っている人ほど、自分への譲歩は求めるが、相手側に譲歩する事が出来なくなる

本当の意味で理解に必要なのは自分の意見・主張を相手に受け入れさせる事ではなく、相手の意見・主張を自分が先に受け入れる覚悟だ。

それが持てないなら「互いに理解し合える」という言葉は幻想でしかない。

オタクとフェミは決して理解し合えない

ここまで書いてきた通り、「人間同士が理解し合うというのは根本的には不可能」だ。
人間同士が理解し合うのが不可能なのだから、オタクとフェミニズム・フェミニストだって当然「決して理解し合う事はできない」。
オタク側とフェミニズム・フェミニスト側では、どちらがこの事実を冷静に受け入れる事が出来ているかと言えば、ここ最近で言えばTwitter上ではフェミニズム・フェミニスト側だろう。

フェミニズム・フェミニスト側は、「(オタクがフェミニストの要求を自ら受け入れない限り)オタクとは決して理解し合えない」と解っているから、言葉遊びの範囲でしかTwitter上でオタクを相手にしない。
この戦略を最初に考え出したフェミは、大した物だと思う。

相手に理解させるのではなく、相手を力(この力とは報道機関を使って世論等を作る事等も含めて力と言える)で従わせる。

それが現代のフェミニズム・フェミニストの戦い方という事だ。

アーティさんは、記事の中で「「フェミニズム・フェミニストの目標」が分らない」と書いているが、簡単な事だ。
現代のフェミニズムでは、男女が平等であればフェミニズムなのではない。
男女が平等であればフェミニズムというのは現代フェミニズム・フェミニストにとっては、古代フェミニズム・フェミニストになっている。
現代フェミニズム・フェミニストは「これまでの歴史の中で女性が虐げられていた分と同じだけの期間、女性が男性を虐げ、男性を奴隷とする社会の構築」というのを目標にしている。I川Y実やK部G気等が目標としているのがこれだ。
社会の在り方を平等にするだけでは本当の意味で平等とは言えず、女性が虐げられてきた期間分の苦痛が女性側に残り続ける、だから、女性が虐げられてきた期間分の苦痛を同じだけの期間男性が女性の奴隷となる事で経験してこそ本当の意味での平等になる、という事だろう。

男性を奴隷にしたいという思想を持って、力(ペンと剣の両方の力)を振るってくる相手にペンだけの力で対抗したって意味は無い。相手がペンと剣の両方を持っている以上、「ペンは剣より強し」は通じない。

その事に気付くオタクが増えれば、オタクとフェミの争いは近い内に「武力(剣による)闘争」になっていく事だろう。

最後に

最後に、アーティさんの記事より引用するが

私は女性嫌いなどではない。
女性は男性より下にあると思ったこともない。
女性に生まれれば男性より楽な人生を歩めるなどとは考えたこともないが、男性の方が女性よりも楽だと思ったこともない。
「女性にこの苦労は分かるまい」と思ったことはあるが、ならば当然、「男性にこの苦労は分かるまい」という女性の思いもあるはずなのである。
どちらの人生が楽かという話は、結局、人生の要点を何に置くかで結論は変わるだろう。
そんな私はセクシスト(性差別主義者)?戦う相手を間違えていませんか?

自分(アーティさん)は相手(フェミニズム・フェミニスト)を理解出来ると思っている時点で、それは思想の根底にフェミニズム・フェミニストを見下す意識があると言える。もしかしたら本人にとって無意識な物かも知れないが。
重度とは言えないが、アーティさんは間違いなく性差別主義者ではあるだろう。
私の認識する重度の基準は、S識A論とI川Y実だが。

批判的な書き方の記事になっているが、決してアーティさんの記事や、アーティさんを批判する意図は無い。
アーティさんの記事はオタク側に寄って読めば実に納得出来る物だし、性差別主義思想を持っている事が悪い事とは私は思っていない。

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