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【取材の意義】自分の想いだからこそ、自分で言語化できないのです。

想っていることをなかなか言語化できない・・・

自分の想いがなかなか人に伝わらない・・・

と悩んだことはありませんか?

そしてそれは、自分が語彙力がないせいだと思っていたりしませんか?

本当にそうでしょうか?


私は、自分の想いを言語化できないことは当然だと思っています。

何故なら、それは自分が想っていることだから。

こいつは何を言っているんだ・・・と思われる方がほとんだと思うので、以下で詳しく説明いたします。


自分の想いは言語化できない。


私は、「言葉」というものは、あくまでも伝える手段でしかない、と思っています。

考えや想いという形の無いものを伝えるツールとして、「言葉」が一番便利なので、人間は「言葉」を使っているだけということです。

この話は、長くなるので、また後日noteにできればと思っているのですが・・・。

とにかく、「言葉」そのものに本質はありません。


最近、「考えるときは、言葉を使う。言語化できていないのは、考えていないのと同じだ。」というお話を聞きました。

確かに「考える」ことには、言葉が不可欠かもしれません。

でも、「想い」に関しては、言葉とはイコールではありません。

たとえば、あなたが今一番好きな人を思い浮かべてみてください。

あなたがその人に対して思う、「好き」という想いは、「好き」という言葉の意味と同等でしょうか?

きっと違いますよね。

では、「胸が焼けるほど恋しくて、狂わしいほど好き」と表してみたらどうでしょうか?
なんとなく好きで好きで好きすぎて苦しいんだなというニュアンスは分かるけど、その言葉であなたの想いは本当に伝わるでしょうか?

その人の想いはその人だけしか感じることはできません。

一人ひとりに合わせた言葉を発明するとなると、言葉がいくらあっても足りません。

自分の心が動いている想いを、感じているまま、想っているまま、伝えたいと思っても、想い=言葉 になることはあり得ないのです。

だから、言葉を探しても見つからない、色々な言葉を駆使して表現したけど伝わらないということが起こるのです。


想いを伝わる言葉に翻訳する仕事


じゃあ、それを伝えるにはどうしたらいいのでしょうか?

そのお手伝いをするために、「取材」というものが存在するのだと思います。

上記で、想いだけを言葉にすることは不可能だ、と言いました。

それは第三者が絡んでも、当然不可能です。

でも、「なぜその人がそんな想いを抱いているのか」、「どういった背景があってその想いを抱くようになったのか」を引き出すことはできます。

「なぜ」や「背景」の部分は、その人にとっては当たり前で、注目することもない部分です。

でもそれは、周りにとっての当たり前ではありません。

その人にとって当たり前で、周りにとっては特別なその要素があったからこそ、その人の大切な想いが生まれたはずです。

そこを知らない人に、漠然とした想いを、言葉というツールで伝えようとしても、伝わるものも伝わらないのです。

でもその人が、どういう背景で、どういう理由で、そんな想いになったのかを理解できるようになると、言葉で表せない想いが少し伝わるものに変わります。

それを上手に引き出しながら、誰かの心が動く言葉に変換して届けてあげる、あるいは、変換できる言葉に誘導してあげること。

それが、私の思う、取材の意義です。


そして、それは、“翻訳”という作業に似ています。

たとえば、英語の映画。

そのまま日本語に直訳しても、よく分からないものになりますよね。

それを翻訳者が、あらすじや、伝えたいメッセージに合わせて、ふさわしい日本語を探し、いわゆる意訳をしていきます。

それで完成したものは、もしかしたら、英語が本来もつニュアンスとは少し違うかもしれません。

それでも、映画自体は、日本人にしっかりと伝わり、心が動くものになる。

その“翻訳”の作業こそ、“取材”という活動の意義だと私は思います。

もちろん、この“翻訳”という概念が当てはまるのは、“取材”だけではありません。

広報、コピーライティング、あるいは普段のコミュニケーションなど、生きていく上で、私がとして大切にしていきたいことです。


自分の想いを言語化できない、言語化してもいまいち伝わらない、そんなことで悩んでいる方は、是非一度、誰かに翻訳してもらってはいかがでしょうか?

もちろん私もその翻訳作業、徹底的にお手伝いさせていただきます!笑



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