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父の老い。苦労を見せない父の隠された努力。

父が68歳の誕生日を迎えた。

今年の4月22日、父は心筋梗塞で救急病棟に搬送された。
いつも気丈な母が、震えた声で連絡をしてきた。

「パパもう助からないかもしれない。今すぐ戻ってこれる…?」

こんな弱気な母は見たことがない。よほど心細かったのだろう。

広島市内から新幹線で1時間。
早朝連絡があったこともあり、お昼前には地元姫路に着いていた。

姫路駅から10分ほどのところにある国立病院までタクシーを走らせる。

「あの国立病院には優秀な心臓外科医がたくさんいるから、恐らく大丈夫だと思いますよ。」

女性乗務員が励ましてくれる。
どうやら、乗務員も心筋梗塞を患ったことがあるらしい。

広い院内でまごまごしていると、白髪交じりの女性が近づいてくる。
母なのか...。
久しぶりに再会すると、元気ハツラツとしていた面影はなく、一気に年老いていた。

「荷物持つよ。一緒にお昼食べよう。」
母の荷物を持つと、院内のカフェテリアへと向かった。

「パパは助かったみたい。」

ふだんは邪魔だとか、鬱陶しいとか、邪険に扱っているけど、なんだかんだ大切に思ってるんだな...。と家族の愛を感じる。

「パパの着替えを持ってきたから、あとで一緒に会いに行こう。」


あれから5か月。
リハビリの甲斐もあり、容態はよくなったと思っていた。

9月21日。

「お誕生日おめでとう!」
LINEで誕生メッセージを送る。

いつも通り陽気な返事を期待していたのだが。
そうもいかないのが現実なのだろうか。

「そっちはみんな元気か?孫を頼む」
もう二度と会えないような返事と、遺書のような含み。
体力は回復しても、メンタルは衰えているのだろう。

院で面会したときは、青白い顔に白い唇。
筋肉質の体型も痩せてしまっていた。
長年の苦労がピークに達したのかもしれない。


父方の実家は、昔ながらの棟梁の家系。
祖父は亭主関白で、嫁いびりがひどかった。
その度に父が仲裁に入り、母を宥める生活が続いていた。

そんなある日、父が海外転勤に抜擢される。
大出世をしたのだ。
わたしたち家族も一緒についていくことになり、やっと、わたしたち家族だけで幸せな暮らしができると思っていた。

わたしには4歳違いの弟がいる。
ときに喧嘩をしたり、ときによき遊び相手になったり、ときにお互いの支えになったり。
ごくふつうの関係だ。

ただ、どういう訳か、学校へ行きたがらなかったのだ。
今でいう不登校だ。
最初は幼稚園、小学校に入学してからもほとんど学校へは通っていない。
わたしはそれに対して何の抵抗もなかったが、インテリの祖父母は容赦なかった。

「母親の教育が悪い。学校に通えないとは孫失格だ。」

祖父母の激が入る。
病む母を励ますために父が仲裁に入る。

傍から見れば何不自由のない裕福な家庭だが、中身は泥沼地獄。
父も母も、幼いわたしたちには隠しているようだったが、子どもの感受性は鋭いのだ。

つづく。。。

前回のプライベート日誌はこれ。


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