【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑨

 その後は男が話しかけてくることはなく、カズマサはレコード箱に集中した。箱の中は年代でも分けられていて、より探しやすかった。カズマサはもともと00年代のバンドを聴きはじめ、そこから90年代、80年代と遡り、自分の好みを見つけていくという聴き方をしてきていた。特に誰に教えられたわけではなく、ごく自然に進んでいくような感じだった。まわりにそれを分かち合うような仲間もいなかったが、それを不便だとか、悲しいとか思うようなこともなかった。むしろそれが自然なことだと考えていた。学校で自分から話題を振ったりすることはなかったし、もともとそんな性格でもなかった。もちろん尋ねられれば答えもしたけれど、そんな機会はほとんどなかった。例えば多田などとは、ゲームの話や女の子のことについて話もする、そんな他愛もない会話だってできた。自分が他人とは違っているとか、変わっているとか、そんな風に思うことも考えたこともなかった。けれど音楽を聴く時だけが自分の正しい姿、正しい場所のようにも感じていた。好きな音楽を聴いているときは誰にも邪魔されたくなかったし、聴いているときは心から安らいだ気持ちになれた。そしてそのためのレコードショップでの探索もカズマサは同じくらい好きだった。

 レコード棚を漁りながらどれくらい時間が経っただろうか。時間はとてもゆっくりと流れていたいやむしろこの空間だけ時間というものが停止してしまっているかのようだった。
 カズマサはあたりを見回し時計を探してみたが、見当たらなかった。仕方なくポケットからスマートフォンを取り出し確認すると、17時40分と表示されていた。何時にこの店に入ったのか確認しておけばよかったな、とカズマサは少し後悔した。時間の感覚がなくなってしまっているような気分になっていた。カズマサは90年代オルタナティブの箱を見ている。数枚上下させているうちに勘のようなものが働き出す。それは予感といっても良いもので、自分が欲しい、もしくは欲しくなるようなレコードに出会う時のものだ。鼻先が少しむず痒くなり、髪の毛が逆立ち、つむじの上から何かで引っ張られているような気分になる。次第にかすかな浮遊感に包まれ、レコードを手繰る手が自分の動きではないような不思議な感覚に捕らわれるのだ。それがまさに今、カズマサの中で起きていた。緊張し、研ぎ澄まされる。カズマサはこの感覚を味わった時に、ほぼ間違いなく素敵なレコードに出会ってきた。だがもちろんハズレの時もある。だからこそカズマサは集中し、何者をも逃すまいと、目の前の箱を見つめた。
「あ!」
心の中で叫んでいた。予感は正しかった。箱いっぱいに詰められたレコードの中から、その1枚を取り出した。カズマサの手の中に、目の前にレコードジャケットの全貌が現れた。

 美しい女性が一人、こちらを見て微笑んでいる。カズマサにとっては微笑みで有名な絵画以上の微笑みだった。率直にいって心惹かれるジャケットだった。寒空の下、温かそうなコートのフードを被り、すこしだけ顎を上げ、こちらを見つめている。中身は聴いたことはなかったが、このジャケットは見たことがあったし、知っていた。音を聴いてみたかった。レコードジャケットをこの手に取ってみたかった。買わない理由がなかった。中身が仮に駄目だったとしてもきっと許せてしまうだろう。それほどこのジャケットは魅力的に映った。盤質は良い、ジャケに汚れもない。オリジナル盤ではないのかもしれない、価格も手頃だ。良心的と言ってよく、高校生のカズマサにも買える価格だ。カズマサは購入することを決めた。いや、手に取った瞬間にわかっていた。レコード箱の続きも見て行きたかったが、先程の感覚は消えてしまったし、これ以上の盤に出会ったとしても金銭的に買えないのがわかっていたので、余計後悔することになる、カズマサはここまでで終えることにした。アルバムを手にレジへ向かう。店員は表情を変えることなくレコードを受け取り、タグを外しながら、抑揚のない声で「レコードを入れるビニールは付けますか?」とカズマサに向かって問いかけた。
「あ、はい、お願いします」
 初めてレコードを買うわけでもないのに、店員の言葉にドギマギしてしまった。知らない店だからだろうか、客が一人もいないからだろうか。焦っている最中に再び店員の声がした。
「千八百円です」
 まごつきながら財布から千円札を二枚取り出し、レジのトレイに置いた。その間も店員は慣れた手つきでレコードをショップのビニールバッグに入れ、口をテープで止めて、レコードをお買上げ商品に変貌させていく。カズマサがお金を出し終えたの見計らって、レジに金額を入力し、お釣りを取り出しカズマサに渡した。最後に品物をカズマサに渡し、すべてのやり取りを終えた。品物を受け取ったカズマサは、気恥ずかしさを隠すように足早に店を出ようとした。その時店員がおもむろに、独り言のように口を開いた。「良いアルバムですよね、それ」おそらく話しかけてきたのだろうと判断し咄嗟にカズマサが返す。
「あ、ありがとうございます」
店を出ようとした瞬間にカズマサは始めて気がつく。店にはニール・ヤングの『ハーベスト』が流れていた。(続く)

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