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【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)㊴

 いつもと同じ朝が訪れる。昨晩の母親との会話が夢であったかのように、普段と変わらない朝だ。母親の様子も全く変わらない。カズマサにとっては一大事かもしれないが、母親にとっては特にどうってことないことだったのだろう。しかし、会話の最後、含みを持たせるような言い方をしたことが気になる。再び聞いてみたい思いに駆られたが、母親のあの性格からして答えは同じだろう。カズマサは諦めて、朝食を平らげ、学校に向かう支度を始めた。携帯を手に取り確かめるが、母親以上に変化の兆しはなかった。心配になったカズマサはメール受信ボックスを開き、昨日のナナミとのやり取りがあるかを確認した。あった、良かった。着替えを済まし、身なりを整えると、カズマサは学校へ向かった。

 午前の授業も休み時間も、昼休みも午後の授業も滞りなく進んでいく。カーテンの隙間から差し込む、7月の陽光は、カズマサをそれほど優しく包んではくれない。少しだけ開いた窓から入り込む空気と共にそれはどこか他人行儀で、それでいて何も暗示してはくれなかった。
 カズマサはいてもたってもいられなかった。これほど終業のチャイムが待ち遠しかったことはない。できるこなら今すぐに教室を飛び出し、校庭を横切り、校門を駆け抜けたかった。しかしそんな勇気はない。ただ時が経つのをじっと待つしかなかった。
 6時間目の途中、ふと外に目をやると、校庭で体育の授業が行われていた。授業内容は長距離走のようだった。誰一人楽しんでいるようには見えなかったが、ただ一人体育教師だけが満足げにホイッスルを吹き鳴らしていた。カズマサは思う、音に魂を込めるというが、あのホイッスルの音にも魂が込められているのだろうか。ただ、いくら魂を込めたところで、生徒たちには全く伝わらないだろう。むしろ不快感が増すだけかもしれない。そう考えると魂を込めるべき場所やタイミングは考えなきゃならないな。あまりに下らない考えに嫌気がさしつつも、カズマサはひたすら時間が過ぎるのを待った。

 いよいよその時が近づく。カズマサはそわそわし始める。普段教室では目立つことのない、空気のような存在のカズマサのこの微妙な変化に気づく人間はどこにもいなかったが、それでもカズマサは他人に悟られまいと努力を続けた。帰りのショートホームルームが終わると同時にカズマサは誰にも気づかれないままに教室を飛び出した。一片の迷いもなく駅へと向かう。改札を抜け、階段を昇り、ホームへと駆け上がる。電光掲示板は5分後の電車到着を告げていた。

 ほぼ定刻通りに到着した列車に乗り込む。車内の端のシートでは男の子がはしゃいでいて、母親に叱られている。この親子の他には誰もいない。他の車両も乗客はまばらで、一つの車両に乗っているのは多くて三人というところだった。

 カズマサは着いてからのことを考え始めていた。学校であれほど時間を持て余していたいたにも関わらず、何をするかとか、何を話すかなど、全く考えていなかった。カズマサは急に不安になった。自分は何を求めているのだろう。そこに何があるのだろう。とても大切なことのような気もするし、全くの無駄の気もする。隣でテープを聴く彼女はどんな顔をするのだろう。何を思い、どんなことを口にするだろう。それに対し自分は何かを言えるだろうか。叱られてもめげずにはしゃぐ男の子が恨めしく思えてきた。電車はカズマサの思いとは無関係に、きっちりと仕事をこなし目的地に向かっていた。

 電車が目的の駅で停止する。カズマサは不安な気持ちを抑えこむように勢いよく立ち上がり、電車を降りた。前回と同じように改札を抜け、駅前の舗道に出る。ほんの数日前に来たばかりだというのに、なんだか違う景色に見える。ポケットの中のカセットテープを何度も握りしめ、確かめる。携帯に目をやると、時刻は約束の時間の二十分前を示していた。そんなに焦る必要なかったかなと思った矢先、メールの着信で携帯が震えた。ナナミからだった。10分ほど遅れるというメッセージが可愛らしい絵文字と共に届いていた。なおさら急ぐ必要なかったことがわかりカズマサは肩を落とした。

 他にする事も思いつかなかったので、とりあえずナインレコーズに向かう。今回はあっさりと到着した。店に入りレコードでも見て時間を潰そうかとも考えたが、今日に限ってはそんな気分になれなかった。仕方がないので、店の前のガードレールに腰掛け待つことにした。待ちながら彼女とのやりとりをシュミレーションしてみたが、やはりうまくいかなかった。何気なく店のショウウィンドウに目をやると、ディスプレイされているレコードが変わっていた。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの1stアルバム『アーユーエクスペリエンスド?』がそこにはあった。サイケデリックな黄色のアメリカ盤ではなく、見慣れたイギリス盤ジャケットだったが、今日はジャケットのジミたちから「お前、大丈夫か?」と言われてるような気がしてならなかった。なんだよジミ、ちょっとは優しい言葉の一つでもかけてくれよ、カズマサは心の中で呟いた。

 ジミたちが再び語りかける。
「アーユーエクスペリエンスド?」(今まで経験したことがあるのか?)

「ごめん、ごめん、待った?」
かなり急いで来たのか、息も絶え絶えにナナミが現れた。
「いや、ついさっき来たところだよ」
「そっか、良かった、返信ないから、怒って帰っちゃったんじゃないかと思った」
「あ、ごめん!連絡だから返さなくて良いのかと」
ナナミは息を整えながら笑った。
「カズマサ君らしいね」
「じゃあ行こっか」
「え、行くってどこに?」
「私ん家。だってここで聴くってわけにもいかないでしょ」(続く)

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